十七話 男嫌い
背が高く、一筋の槍のような女だった。
鍛え抜かれた全身からは常に鋭い気配が漂い、すれ違う者たちの肌をピリつかせる。
気配と同様に彼女の眼光も鋭く、深緑色の髪は槍の穂先のようなポニーテールになっていた。
「東応武臣第三席、カタカ・カタギリ参りました」
『…………入れ』
扉の向こうから聞こえた女王の返答に、若い女騎士――カタカは内心で首を傾げる。
覇気がない。
イザベイラが女王に君臨して以来、彼女から淫気と酒気と覇気が消えたことは無いことは、カタカもよく知っていた。
(ご病気か……? まさかな)
浮かんだ疑念を自分で否定する。現代の女が簡単に病気になるわけもないし、特に女王の健康さは頑強の一言だ。
「失礼します」
謁見の間に入った彼女は、跪き儀礼通りの挨拶を述べる。許しを得て顔を上げると、先程の否定を否定すべきかと一考するほど、憔悴したイザベイラの尊顔があった。
いつもより濃い酒気と淫気を漂わせながら、まるで覇気ない。
性を搾れば絞るほど疲労するのは男性だけなのだが、今朝のイザベイラはサモン・ワイズマン直後の男のように沈んでいた。
「……貴様に仕事を頼みたい」
「御意に」
言葉を拾うような訥々とした言い方にも、カタカは直ぐに返事をしていた。
女王の体調は気がかりではあるが、優秀な侍医団がついているし、陛下が己を呼んだのは健康を診て欲しいということでないのは分かりきっている。
武臣の役目はつまり武を全うすること。力を以て、難儀を排する事だ。
「――して、魔物の討伐で御座いますか? それとも遠征で御座いますか?」
「……監視だ。ある男を、監視してもらいたい」
男と聞いて、カタカの眉が僅かに顰められた。
「口を挟む無礼をお許し下さい。なぜ
「……
イザベイラの瞳に、深い憤りと悲哀と、そして隠しようもない情欲の火が燃えた。
「……ラージファム侯爵家がな、ある男を匿っておる。本来、国の宝であるはずの男を、だ。余は其奴から彼を救いたい」
ラージファムという単語にカタカの記憶層が刺激される。
数日前、陛下自ら飛竜騎士団を引き連れラージファムの領地へ赴いたという。表向きは水質と竜害の調査という話だったが、恐らく男が関係していたのは間違いない。
また男かという気持ちを、カタカは忠節の下に隠した。
「そして、男とリュミエイラを巻き込み何かを企んでおる。亡命では無かろうが、捨て置けん」
「メリッサ・ラージファムが第一王女殿下と……では、その男を陛下に献上し、侯爵家の名誉回復を図る気なのでは御座いませんか?」
「……ならば話は早いのだがな。どうやら、男を栄達させる気でいるらしい」
カタカは耳を疑う。
男でありながら栄達を? そんなことせずとも、彼らには一生を安泰に過ごせるだけの財産や地位が法によって定められている。
何故そんな無駄なことを?
「国や余の庇護力ではなく、己の才覚によって名を上げようというらしい。男児に稀にある蛮勇だろうが、男を危機に晒す訳にはいかん」
「承知いたしました。では某は、監視しながら男を護衛すれば良いのですね?」
「……少し、違うな。監視し護衛しながらヤツの働きを妨害せよ」
困惑に顔を上げる。
「妨害……で、御座いますか……?」
陛下は頷き、傍らにあったワイングラスを手にとってくゆらせた。
「貴様も耳にタコであろうが、男は国の宝であり、守るべき尊い資源でもある。もし男が栄達などしてみろ、他の男児達にまで蛮勇が感染するやもしれん」
そうなると己の力量を過信した男児達がどんな目に遭うか、想像に難くない。
「男は財だ。美しく遠い星だ。儚く、弱い花だ。故に――」
男の生命力は年々弱体化している。そんな彼らに、幻想とも言えないような愚かな夢を見させることを、イザベイラは危惧しているのだろう。
彼女は淫靡と情欲の権化だが、男子を護ろうという気概は誰よりも強い。
「――故に、女より優れた男など居てはならん。己は愛されるだけの宝という自覚を、思い出させてやれ」
イザベイラはグラスを傾けワインを飲み干す。艷やかな唇がより紅く濡れた。
「…………最後に、もう一つだけお聞かせ下さい。何故、某なのでしょうか? 無論、陛下の御意に異を唱えるつもりなど毛頭ございませんが、殿方の監視ならば御身が声をかければ何百人とも集まりましょう」
「……余はな、裏切り者を作りたくはないのだ」
「それほどまでに魅力的な男児、と」
王の意に背き、件の男子を己の物にしようとしてしまうほど規格外な男がいるというのか。
野にのさばる野良聖女のような節操なし共ならいざ知らず、国家に忠節を誓う臣下ですらそうなる可能性があるということだ。
「それにな、その男にギルヴィアが敗れた」
「――! あの、竜人の娘が……!」
彼女は未だ正式な武臣として擁立はされていなかったが、実力と才能は確かだった。
近い将来、東西南北いずれかの武臣として配属され力を振るったに違いない。
そのギルヴィアが、脆弱な筈の男に敗れた。
俄には信じられないが、女王がカタカに偽りを言う理由が無い。
「……得心いたしました。故に、某で御座いますか」
「ああ。忠義厚く、力もあり、なにより
「委細承知いたしました。大役、身命を賭して果たしてご覧に入れます」
再び深く頭を下げたカタカに、女王が気分良く頷く気配がする。
「期待しておるぞ。ふふ……さて、話したら少し気が晴れたわ。おい」
やや覇気を取り戻したらしい女王は、二三度手を叩く。
すると影から、豪奢だが薄い絹衣に見を包んだ少年達数名が歩み寄ってきた。いずれも、線の細い美少年だ。
「ヒョウで無くては満足できんと腐っておったが、腹が減っては良い政務が執れんからな。近うよれ」
寄れと言いながら、彼女は手近な少年の手首を掴むとそのまま強引に引き寄せた。
少年は何も言えずに、その薄い唇を女王に奪われる。掴んだ手首はそのまま、イザベイラの豊かな胸に押し付けられていた。
「……失礼いたします」
熱を帯び始めたイザベイラの痴態を尻目に、カタカは謁見の間を出る。
女王に敬意と忠誠は持っているが、人目を憚らず淫蕩に耽ける姿は正直嫌悪に値する。
ああもだらしなく、己の肉体に欲望を詰め込んで何とするのか。
男も男だ。言いなりになっているのも気に喰わないし、女の美しい身体に触れておきながら嫌悪に顔を歪めている。
だが何より嫌悪するのは、己自身だ。
男嫌いだと言っておきながら、男の肉体に欲情する自分の肉体が、おぞましくて仕方ないのだ。
弱く、卑屈で、時には傲慢で不摂生な生物を蔑みながら、自分の中の女が情欲に疼いている。
血に刻まれた本能のせいだと分かってはいるのだが、カタカとしては納得し得ない。
男に産まれずに良かったと思う反面、女という自分に嫌気も差していた。
今も女王と少年達の情交を見せつけられ、燻っていた雌の本能が音を立てて燃え上がろうとしていた。鍛錬で己の身体を痛めつけ発散していた欲求が、閾値を越えようとしていたのだ。
イライラとムラムラで頭がどうにかなりそうだった。
――限界だ。だが、男なんかと肌を合わせたくない。
「……いっそ、これを使ってみるか……?」
呟き、カタカはアイテムボックスに収納されている瓶を思い出す。
王国の研究機関より譲り受けた偶然の産物。再現も困難を極めるため、実質世界で唯一の
効果を発揮する可能性は限りなく低いらしいが、理性と本能に苦しむカタカの為に、研究機関で働く友人が与えてくれたのだ。
「……いやいや、もし上手くいってみろ。最低でも、人一人の人生を狂わせてしまう事になる……」
そう自戒したのは一度や二度ではないし、何度も棄てようか返そうとも思った。
だが結局は保管したまま。こういう言動でも、己の浅ましさを呪わずには居られない。
せめて使うまいと、再びアイテムボックスと理性に蓋をする。
「はぁ……何処かに居ないものかな……女らしい男は」
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