第十六話 歩め! 出世街道ですわ!

茶番回です



 

「まさか……ヒョウ様を我がラージファム家侯爵家の当主にするおつもりですの⁉」


 リュミは形の良い唇の片方を持ち上げて応えた。肯定か否定か、微笑が何を意味しているのかを改めて尋ねるほどメリッサも物わかりは悪くない。


「もちろん、いきなりは無理だよ。差し当たりは騎士爵でも授けて、徐々に……って感じかな」


 ヒョウ様が、ラージファム家の当主……? そうなると自分はもちろん当主では無くなる訳で。ヒョウ様が執事長から我が御主人様……ならばわたくしは、ただの一メイドとして彼に――?


 ・


『メリッサ、なんだこの汚れは。ちゃんと掃除したのか?』


『も、申し訳ございません御主人様! すぐにやり直しますわ!』


『いーや駄目だ。貴様には罰をくれてやる。今すぐ寝室に来て、俺の身体を隅々まで綺麗にするんだ。お前自身の手でな。上手くできれば――褒美をくれてやる』


『ほ、ほひぃぃ♡』


 ・


「くぅ……いったい、何処から掃除すれば良いんですの……!」


「まずは鼻血と涎から拭いたらどうだい? メリッサの気はちょっと早いけど……つまりそういう事さ」


 な、なるほどですわ……ヒョウ様に我がラージファム家を継いで頂ければ、実質今まで通りの生活が出来ますわね。


「ですが、そんなに上手く行きますの? 殿方に……ましてや異邦人に王国の爵位を与えるなど、想像できませんわ」


「確かに、爵位授与の最終決定権は陛下が持つ。仮に優秀な普通女性の臣下を、ボクらがいくら推薦したって通るものでもない。故にヒョウくん(n乗)には必要なんだ。誰にも……陛下にだって文句の付けようのない成果が」


「成果……ですがリュミ、成果とおっしゃられましても具体的にどうすればいいか……」


「アイデアはあるよ。ちょっとした役職に就けばいいんだ」


「役職……お仕事、ですの?」


 この世界の男性の選択肢は限られているとも言えるし、恵まれているとも言える。

 力は弱く魔力の素養も女性を下回る彼らは、労働力では無く財産であり皆で守るべき宝だ。

 故に「男として産まれただけで偉いのに仕事をするなんて!」と、大半の男性は労働――各種の義務や奉仕は除いて――と無縁のまま人生を終える。


 とはいえ、活躍の場が全く用意されていないというワケでもない。

 本人が望みさえすれば、おおよそ全ての役職や事業に携わる事が出来る。その上「男性でありながら労働なんて!」と、今度は彼らの献身から高い地位を与えられる事が多い。

 つまり、生きているだけで栄達できるということ。恵まれた選択肢ないのだ


 出生や身分も不確かなヒョウであっても、望めばの職に就くことができるだろう。


「でも、そこそこじゃダメさ。だからコレを使う」


 言ってリュミは、懐から四角いものを取り出した。品の良い宝石に彩られた白皙の小箱だ。

 それを彼女は机の置き、メリッサとヒョウに見えるように開けた。

 中身はチェスの駒のような黄金の物体だ。

 首を傾げるヒョウに対し、目を見開いたのはメリッサだった。


王印おういん……! 直系の王族のみに与えられる印章……! あらゆる決まりや規則より優先される、一種の持ち運び憲法!」


「そう! これで推薦状とか作って、ボクがヒョウくくくくくくんを後押しするよ! 本来、厳しい審査とかの面倒なあれやこれやをすっ飛ばして一気に超エリートの仲間入りさ! そして将来その実績を以て領主代行としてラージファム領に派遣し、なし崩し的にラージファムの長になって貰うんだ!」


「し、しかし! 王印使って実績でっち上げからの外堀埋めとか、かなり危ないですわ!」


「詐欺とかじゃないよ、ボクはただ彼を推挙するだけ。素晴らしい男の子に活躍の場を与えたいってだけさ。実績なら、そこで上げれば良いんだ」


 なんという回りくどいマッチポンプ! 直接の叙爵が無理なら、その一歩手前からスタートさせると言うんですのね⁉


「……と、勝手に話を進めて済まなかったね」


 リュミは沈黙したままのヒョウに向き直り、長い指を一度鳴らす。すると空間に光で出来た窓が浮かび上がった。首を上に傾けないと全体を把握できないほど巨大だ。

 光の窓には規則正しく文字が……世にあるおおよそ全ての職業が記載されていた。


「キミは何者にでもなれる。何を選択しても、ボクがキミの背中を押してあげる」


 長い脚を優雅に組み直しながらリュミは頬を綻ばせた。ヒョウは黙ったまま、文字の羅列を見つめていた。


「ぼ、ぼぼぼぼぼボクとしては、第一王女の屋敷の警護隊長とかオススメなんだけど……三食間食完備で休日もちゃんちあるし、要人護衛を務め上げたとして騎士爵への良い弾みになると思うんだけどなぁ……」


「リュミ! どさくさに紛れてヒョウ様をスカウトしないでくださいまし! 仕事をするにしても、執事と兼業できるものにするべきですわ!」


「や、やましい事を言ったつもりは無いよ⁉ 将来を見越して、王族と繋がりをもっておくのは損にならないんじゃないかなって思っただけで……!」


「繋がりなんてヤラしいですわ!」


「ヤラしい事を考えてる人間の言い分じゃないか!」


「……この冒険者ってのは?」


 そんな姦しい言い争いを続ける二人へ、ヒョウはポツリと呟いた。


「へ? あ、あぁー……」


 問われたリュミは、曖昧な苦笑いを浮かべた。

 ヒョウが指さした先――下の隅の方に書かれていたのは、他のどれと比べても将来性を感じないような物だった。


「んー……なんていうかな、良い言い方をすれば夢を追う開拓者で、悪い言い方をすれば夢で飢える根無し草って感じかな」


「ほう」


 冒険者という職業――あくまで職業と言い張るのなら――は、おそらくこの国でも一番多い就業人口だろう。

 特別な資格なども必要もなく、簡単なテストやステータス鑑定などで即日冒険者を名乗ることが出来た。


「でも誰でもなれるってことは、それだけ競争が激しいってこと。確かに当たればデカいよ? 貴族達の祖先にも、かつては優秀な冒険者だったという者もいる。けど、それは非常に稀な例さ。とても再現性があるとは言えない」


「ほうほう」


 彼女たちの仕事は多岐に渡り、強力なモンスターの討伐、希少素材の採取、未調査ダンジョンの探索など、様々だ。

 運が良ければ、一夜にして億万長者になることも、また歴史に名を刻むことさえ不可能では無かった。


 無論、そんな上手い話が簡単に転がっているはずもなく、ほとんどの冒険者はの上がらないその日暮らしを強いられている。

 強力とは言えない雑魚モンスターの駆除、ありふれた薬草の採集、ドブ掃除など、子どものお使いの延長のような依頼が大半だ。

 時折ある美味い依頼は争奪戦になるし、そうなる以前に高ランクの冒険者が依頼を独占していく場合だって多い。

 同業とはいえ、自分以外は全てライバルなのだ。


「第一、危ない。仕事上、常に危険と隣り合わせなんだ。冒険者ってのは基本国家と関わらない自由業で、国からバックアップを受けることは非常に難しい。彼女達を支える組織として冒険者組合ギルドとかはあるけど、基本は自己責任。どうなろうと、全て自分の裁量と実力次第さ」


「ほうほうほう」


「冒険者の担保は己の命と強さのみ。実力と運とを兼ね備えた者のみが、まばゆいばかりの栄光を手にできる。99%有象無象を突破し1%選ばれた者になるのは、真の強者だけさ」


「――――」


 うーむ、聞けば聞くほど血なまぐさい世界ですわ……ウチのメイド達にも元冒険者はおりますが、きっともうやりたくないでしょうし……。


第一王女護衛して♡さて、話を戻そうか。 第一王女護衛して♡キミは何を選ぶ? 何 第一王女護衛して♡を以て王国に名を馳せ 第一王女護衛して♡ようというのかな?


「サブリミナル勧誘はおやめくださいな!」


「ああ勿論、今すぐ結論を出す必要など無いとも。そうだね、とりあえずボクの屋敷に逗留してノンビリ考え――」


「――俺、冒険者ってのやってみたい」


「ん? ……ふふふっ! そうだろうとも、そうだろうとも! では直ぐにキミをボクの屋敷で召し抱えよう! お手つきされないようボクの紋章を付けた制服も用意して……――えっ?」


「せっかく異世か――おほん。実力で成り上がる冒険者の方がじゃないか」


「「えっ?」」


 お家再興のために武勲を挙げるというのも、ある意味らしいな、と彼は何か愉快げに笑う。

 が、当然、メリッサ達はそれどころではない。


「というわけで……ありがたい話だが、俺はコネとかじゃなくて、冒険者として自分の力で成り上がりってヤツを――」


「「「だめええええええええええええええええええええええ‼」」」


「うぉっ⁉」


 リュミとメリッサと、隠れていた筈の第一王女の従者が飛び出てきて揃って声を上げた。


「何を考えているんだキミは⁉ よりによって冒険者だって⁉ 馬鹿は休み休み言いなよ!」


「リュミの言うとおりですわ! なぜよりよって冒険者なのです⁉」


「どうかお考え直し下さいませ執事殿! なぜ自らの尊厳をいたずらに危険に晒すのですか!」


「な、なんなんだ三人して……」


 自分が何を言ったか理解していないらしく、ヒョウは困惑に首を傾げているばかりだ。まるで無知な彼の振る舞いに、メリッサ達は危機感をメキメキ募らせてしまう。

 こんな無防備な美男子を、場末お粗末世紀末な女の世界に? 冗談ではない。


「話を聞いておりませんでしたの!? 冒険者は危険極まる世界だと、リュミが仰ったではありませんか! 腕は立つのに本人の人品が駄目で士官できなかった、そんな厄介な実力者だって多くおります!」


「それでこそ。男一匹独立独歩、やってやれんことはない」


 なーにがやってやれんことですの! 貴方はヤラれる側ですのに!

 信じて送り出したイケメン執事が低級冒険者に囲まれて――なんて、ラージファム家の脳という脳を破壊するおつもりですか! 


「ヒョウくん! 貴族になろうというのに初手からそれは悪手だよ! 冒険者が国に従属しないってのはさっきも言ったけれど、つまりそれは国での栄達が難しくなるってことだ! 回り道にもほどがある!」


「だがリュミ、貴女の言う方法で本当に上手くいくのか?」


 指摘に、リュミやメリッサは表情を改める。


「仮に俺が貴族に叙せられる程の功を為したとする。で、確実にラージファム家を与えられるか? 女王が叙爵権を持つというのなら、彼女にとって都合の良い家名や領地を寄越すんじゃないか?」


「……! それは……」


 考えていなかったことでは無いが、無意識の内に頭から除外していたことでもある。

 そう。断絶した家、もしくは断絶しそうな家は何もラージファムだけではない。

 男好きな陛下(彼女に限った話ではないが)のこと、わざわざ見目麗しい男性を辺境に押しやる理由が無い。

 手元……そうでなくとも近くに置きたくなるのは当然だ。きっと、女王派の門閥だって似たような意見を持つに違いない。


「お膳立てやありがたいが、国に関われば関わるほど身動きが取れなくなる可能性がある。お役所勤めしている内に外堀が……なんて、蜘蛛の巣に飛び込むようなモノだ」


「だから! そうならないようボクの名前を使って……」


「王位を継ぐ気は無いと言っていたな。そんな貴女が女王の意に背き、俺を辺境の長にすることは、実際に可能なのか?」


 リュミは今度こそ言葉を失った。

 第一王女の権限は決して軽くない。王位継承権第一位という肩書だってある。

 しかし既に世論は、次の女王は第ニ王女だろうと言っている。

 現女王イザベイラが表立って意を表明したことはないが、彼女が誰を後継者にしたがっているかは分かりきっている。リュミを擁立しようという派閥への態度でも分かることだ。


 先日のラージファム領内で出現した竜はヒョウによって食い止められたが、他の領地では大きな被害が出た。

 竜害を被ったのは、いずれも第一王女派の貴族領だ。

 未だ疑惑でしか無いが、女王は第一王女派の力を削ごうとしているのではないか? 

 そんな逆風の中、女王の欲しがっているヒョウを、リュミが強引に擁立すればどうなるか――。


「結局、どっちが適しているかなんて分からないが……少しでも女王の影響を受けないように立ち回るべきだと、俺は思う」


「で、でも! 素性の分からない者を冒険者にするのは余計な時間がかかる! 各都市への入場許可証や滞在許可証だって、発行までどれだけ時間が掛かるか……その間に女王が手を打ってくる可能性だって……」


「素性うんぬんは普通の仕事でもそうだろうに。というか、その王印とやらで入場許可証とか滞在許可書とかも作れるんじゃ?」


「!」


 ヒョウの視線が移ったのを敏感に察したリュミは、咄嗟に王印を手に取っていた。


「推薦状とかじゃなくて、単なる身分証。それだけなら、万が一貴女に追求があったとしても、きっと言い逃れしやすい」


「ぼ、ボクの、心配してるんじゃなくてさぁ……!」


 己ではなく、あくまでリュミを心配するかのようなヒョウの態度にリュミは表情を強張らせた。

 困る。けど嬉しい。けど、やっぱり困る。みたいな心の漣が、表層筋まで打ち寄せていた。

 数秒の逡巡の後、リュミは激しく頭を横に振る。


「駄目だ駄目だ駄目だ! やっぱり、とても許可なんてできない! 脆弱な男子君達が生きていける世界じゃない!」


「――脆弱……?」


「そうだよ! 多少は腕に覚えがありそうだけど、結局は男性の範疇で強いってだけさ! なら、安全な場所で要人の近衛になるくらいがちょうどい――」


「俺の何処が脆弱だというんだ⁉」


 脱ぎぃ!


「「「うわあああああああああああああああああああああああああ⁉」」」


 言うが早いか、ヒョウはのり目も新しい礼服をいきなり脱ぎ捨て上半身を天下に晒した。


「確かに俺は未熟不覚の青二才だが、だからといって脆弱とそしられるような浅い修行はしていない! さぁ見ろ! 俺の身体をッ!」


 ムキムキ!


「「「ひいいいいいいいいい♡」」」


 しかも頼んでいないのにポーズまで決めだした。陽光に健康的な肌色を濡らしながら、肉体をメキメキと隆起させている。

 筋肉が男から辞書の中に滞在先を変えてから幾星霜。逞しいという概念は此処に蘇り、彼の五体隅々にまで搭載されていた。

 一言、ウルトラ・ドドスケベ・ホソマッスルだった。そんな王国語はない。


「う、うそ……わたくしのヒョウ様、エロすぎ……?」


 一度目は大浴場で、二度目は夜のベッドで(この時は暗かったから肉体をゆっくり鑑賞できなかった。翌日、寝室の照明器具を最高級の物に替えるよう手配した)ヒョウの裸体を目撃したメリッサですら、一見で雌の願望を引きずり出させる肉体。

 甘美な雄の気配に、レモン5兆個分の涎が口内に溢れてくる。

 では、リュミは?


「はだっ、はだ、か…………お、とととこのこ、の、お、おぱっ、わ、ワァ、しゅご……お、ひ、ぇ、あばばばばばばばばばばばばばばばば……」


 あー⁉ りゅ、リュミが初めての裸に完全ノックアウト状態ですわ⁉ これだから聖女候補は!


「って、ヒョウ様! 何をいきなり脱いでおりますの! 貴方の肌はわたくしだけのモノですのにー!」


 主人公以外の女に裸を見せるとか、ラブコメでしたら炎上案件ですわよ!?


「早く服を着てくださいませ! 殿方が肌を晒し続けるものでは――って、あら? ヒョウ様の礼服は何処に……」


「ふゴーッ! ふゴーッ!」


「返せこらー!」


 メリッサがヒョウの服に顔を押し付けている侍女の相手をしている間に、彼は男装の麗人に歩み寄っていく。


「どうだホラ、これでも俺を脆弱と抜かすか」


「ぁぅぁぅぁぅ……」


 ズンズンズンと大股で肉薄し、いつしかリュミを四阿の柱に追い詰めていた。追い詰められた側の顔は食べ頃のリンゴ色になっていた。

 体中の血が顔に集まっている為か、血の足らない脚は既にガクブルだった。

 リュミの視線は絶え間なくヒョウの上半身を行ったり来たりし、特に胸元に集まっている。

 彼女に限った話ではないが、男の胸に欲求を向ける者が大多数だ。つまり世は雄っぱい聖女だらけだった。


「す、すご……すごすぎる……♡ 逞しい……かっこいい……こんなすごい身体、初めてだよぉ……クラクラするよぅ……♡」


「ふん。どうやら貴女を愛した男共は揃いも揃って貧弱だったらしい。そんな連中と褥を共にすれば、偏見を持つのもやむ無しか。だが、俺を優男達と一緒にしてくれるな」


 ヒョウは手の平を勢いよく突き出し、リュミの顔のすぐ横に叩きつけた。ビクンと身体を強張らせるリュミに、ヒョウは更に顔を寄せる。


(ひー⁉ しかも、か、かかかか、壁ドンですのー⁉ 羨まし過ぎて脳がポタージュにぃッ! 壁ドン童貞が簒われましたわぁああああああああああああ!)


 半裸の男に壁際まで迫られるという、今では高級男娼でしか見られない全女子憧れのシチュエーションだった。

 それを自分ではなく親友のリュミに。脳に塩を掛けるとこんな痛みになるに違いない。


「なぁお願いだリュミ。俺の男伊達立ての為にさ、一肌脱げよ」


「ぬ、脱いでるのは君の方じゃないかぁ……」


 前髪を揺らすほど近くで囁かれ、リュミは更に顔を赤くさせる。目を凝らせば、頭から湯気が上っているようにも見えた。


「まあ良い。押せないってんなら俺が勝手に押す。貸してくれ」


「え、ちょっ」


 ヒョウは逆の腕を伸ばし、リュミの手の平に握られていた王印を奪おうとする。


「だ、だめだって! 勝手に使ったら! やだ、やめて!」


「先ちょだけ。先っちょだけだから」


「印章は先端が最重要なんだけど!?」


 王族から印章を奪うなど未遂であっても大罪だが、誰もそんな事を気になどしていなかった。

 取り合うヒョウとリュミは、単にじゃれ合っているようにしか見えない。


「くぅ! こ、これならどうだぁ!」


「ッ……!?」


 それでも辛うじて理性が残っていたリュミは、最後の抵抗を行う。

 不必要なほど自分のシャツの胸元を広げ、王印を胸の谷間に押し入れた。

 メリッサほどでは無いが、リュミのバストも平均から大きく逸脱している。武などを嗜まない華奢な身体にあっては、やや不自然なほど豊かだ。

 普段から男装の為に専用コルセットで膨らみを抑えており、ヒョウと会話する時も怖がらせないように再びキツく締め上げていたのだ。


「さあ隠したぞ! 王印はもうない!」


「く、ぬぅ……!」


 それを緩ませ、本来を膨らみを露呈させたリュミは威嚇するかのように胸を張る。シャツごと弾む威容にヒョウは瞠目し、一歩後ずさった。

 彼は恐れを為した、と判断したらしいリュミは、顔に申し訳なさと男に身体を見せつけるという仄昏い達成感を滲ませながら、更に彼に乳房を突き出す。


「どうだい! 取れるものなら取ってご覧よ! さぁ!」


「な、んだと……!? いいの……!?」


「強がるな! 男性キミ達にとっては、毛虫とナメクジの集団交尾に手を突っ込むようなものだろう⁉ この忌々しい肉塊が恐ろしいなら――」


「挑発したのはお前だからな!」


 ずぼー!


「きゃああああああああああああああああ♡⁉♡⁉」


「おわぁぁあああああああああああああああああ⁉」


 彼が躊躇ったのは最初だけ。恐れなど一ミリもなく、ヒョウは彼女の胸の間に手を突っ込んだ。

 押しやられた両の膨らみが手の平の分だけ左右に広がり、シャツのボタンが悲鳴を上げる。

 もっとも、リュミとメリッサの悲鳴の方が何百倍も大きかったが。


「あっ、あっ、あっ、手ぇ、男の人の手が、ぼ、ボボボボボボクの胸の間にぃ……! あっ、これ、いい……」


「は……? や、やわらか……つーか、狭……深……な、なにこれ……?」


 何処に手を突っ込んでますのヒョウ様! 貴方様のポケットはココにありますのに! ズルい! なんっ、なんで、リュミばっかりぃぃぃぃぃ!


「……はっ! いかんいかん……さぁほら! 何処へ隠した! ……いやマジで何処に隠したの……? ぜんぜん分かんないんだけど……」


「あっ、あっ、あっ、も、もうだめ、へきが歪む……こし、が、抜けちゃうう……」


「誰が腰抜けだ! 俺は艱難辛苦を恐れたりはしない! どんな山あり谷ありの人生だろうが超えて見せる!」


 手始めにリュミの山と谷を越えようというのですのね!? やかましいですわ!


「出せ! とっとと王女の印鑑を出せ!」


「か、かき回さないでぇ……だめぇ……全部こぼれちゃうよぉ……」


「あった! コイツか‼ ……ん? なんか違う……?」


「お゛ッ♡」


「ヒョウ様! ヒョウ様! それは王印ではなくてボインですわ!」


 って何でわたくしがこんなアホみたいなツッコミしなきゃなりませんの!


 スポーン!


「よっしゃ取れた! じゃ、ちょっと借りるから! ポンって適当な紙に押したら、秒で返すから!」


「はっ、そんな! 待って、待ってよう! ぁうっ」


 走り去るヒョウに追い縋ろうとしたリュミは長い脚をもつれさせ、そのまま転んでしまった。

 起き上がろうにも、仔鹿も鼻で嗤うレベルで足腰がおぼつかない。


「だ、だめ、もう立てない……! メリッサ! 早く君の執事を追いかけておくれよ! このままじゃ彼、冒険者になっちゃう!」


「も、申し訳ありませんリュミ! 鼻血と悔し涙で、もはや前が見えませんわ!」


「何してんのさ、もう! 婆や、早く彼を止めて! 王印が使われる前に取り返して!」


「フゴーッ! フゴーッ!」


「婆やああああああああ!」


 ・


 その後、三人娘を置き去りにしたヒョウは本当に一分もしない内に戻ってきた。

 よくよく考えれば王印はリュミ本人でなくては起動しない一種の魔道具だったので、ヒョウに使える筈もなかった。

 しかし、安心したのも一瞬。

 あろうことか、ヒョウは後ろからリュミを抱き締め、彼女の王印を持たせた後、操り人形のようにして判を押させたのだ。

 昇天し脱力しきったリュミの手を動かすなど、ヒョウには簡単すぎたらしい。

 ついでに王国の滞在許可証やらも書かせ、晴れて彼は冒険者への道を一歩踏み出した。


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