第十三話 立ち上がれ、ラージファム家ですわ!

「くすん、くすん……」


 ようやく折檻ご褒美から開放されたギルヴィアは、小さく鼻を鳴らしながら女王側の陣営に戻った。気のせいか、体格まで萎んで見える。


「帰れ」


 そんな彼女……彼女達に対し、ヒョウの応対はどこまでも冷めている。氷で固めた塩のように、熱も甘さも感じなかった。

 突っぱねるような男の態度に誰も何も言えない。この場で最強の戦力であるギルヴィアが敗れたことにより、ヒョウに実力で意見出来る者が居なかったからだ。

 また男に冷たくされるのがちょっと気持ちよかった為でもあるが、それは言わずもがなの事だ。


「さっきも言ったが、王都にはいずれ出向いてやる。だから今は退け。それとも――」


「ひぃ……♡」


 視線に射すくめられ、ギルヴィアは大きな体を更に縮こませた。覇気と情欲に濡れた顔はもう無い。覇気だけは綺麗に取り除かれていた。


「それとも、そこのドラ娘と同じようになりたいか?」


「「「なりたい」」」


「へ?」


「こ、こほん……! ヒョウとやら! 何故じゃ、何故ラージファム家に肩入れする⁉ 没落していく辺境の一小娘ごときに!」


 強引にシリアスな話題に持っていける陛下にメリッサは密かに感嘆した。

 問われたヒョウは怒りの表情に困惑さを加えて、額を掻いていた。


「口にしてしまうのは恥だが……やんごとなき理由きっかけが有ってな。まあワケの分からん使命とやらもあったんだが……いや、俺の個人的な事情はもういい。メリッサが望むのなら、俺はこの地に骨を埋める覚悟だ」


「侍女長、侍女長! い、いまヒョウ様、わたくしに骨のように硬いオチ◯チ◯を埋める覚悟っておっしゃいましたわ⁉」


「仰ってませんからお嬢様は黙ってろ下さい」


 ひぇっ!


「な、何故じゃ……何故なんじゃ……! 納得できん!」


 陛下は地団駄を踏み、屈辱に濡れた瞳でヒョウとメリッサ達を睨んできた。

 この国の最高権力者である自分より、他の……しかも醜い牛のような女を優先されることが我慢ならないらしい。


「貴様ほどの力、器量、度量の持ち主ならば、栄光栄華も思いのまま! 余と共に来れば王国史上最大の繁栄すら夢ではないのだぞ! 何故、こんな地の……こんな女にぃぃ……! いったい、なんのメリットがあって……!」


「アンタさっきから何故しか言ってないな……幼少期のエジソンかよ。メリッサ様!」


「ひゃ、ひゃい⁉ なんですの⁉」


「無礼をご容赦ください。責めは後でいくらでも」


「へ、きゃっ――」


 おずおずとよって来たメリッサを、ヒョウはいきなり抱きしめた。身体と身体が密着し、男女の隙間がゼロ未満になる。


「「なぁ……⁉」」


 悲鳴と怒号と羨望の喧騒の中、逞しい肉体に包まれたメリッサは目を白黒させた。


「ひょ、ひょひょひょ、ぴょーさま⁉ あ、はふぅ……」


 布越しとはいえ、女とは違う男の玉体に若いメリッサは恍惚と酔いしれた。あまりに力強い抱擁に、昨晩壊された理性の堤防が再び崩壊を始めていく。

 素敵な殿方がいたら抱きしめたいと常日頃から思っていたメリッサだったが、考えを改めてしまった。

 抱きしめられる方が良いに決まってますわ。


「メリッサ、顔を上げて」


「……ひゃい? なんですの、まだ何――――んむっ⁉」


 ズキュゥゥゥン!


「「あー⁉」」


 更にあろうことか、ヒョウはメリッサの唇を奪ってしまった。男の方からキスしてくるとか、ちょっともう何言ってるか分からない。怒号は双方の陣営からだ。


「な、な、き、きさ、きさま……な、なにを……!」


 わけても、イザベイラは真っ青になって戦慄している。羨望と嫉妬のミルフィーユが喉につっかえてしまい窒息寸前らしい。

 そんな女王を前にしても、ヒョウは微動だにしない。いや、かすかに頬が赤い。それはメリッサに接吻をしてしまったという照れからくる表情だった。

 それが理解出来てしまうから、彼女たちは更に悔しいのだ。

 先程のギルヴィアなども「なんだよこの差はよォ……! アタシはお尻ペンペンだったのに……! ズルい! 羨ましい! 興奮する……!」と、半ベソだった。


「……ん、メリットとかじゃ無いんだよ女王。それとも、なんだアンコールか? 仕方ないな……」


「はーっ♡ はーっ♡ ひょ、ひょうさ――ッ!」


 ズキュゥゥゥン!


「「あー⁉」」


 おかわりが来た。武骨なヒョウの肉体の中で、最も柔らかい部分といってもいい部分がメリッサのソレと重なる。昨晩も散々重ねたというのに、ヒョウとの口づけは色褪せるという事を知らない。触れるごとに、心の翼が強く羽ばたくのを感じた。

 荒くなりそうな鼻息を必死に我慢し、沸騰していく脳を辛うじて制御する。気絶などしてたまるものか、この甘美なキスを一ミリでも多く神経細胞に刻み込め! と、メリッサは必死だった。


 ズキュズキュズキュズキュゥゥゥン!


「「あー⁉ あー⁉ あー⁉ あー⁉」」


 しかしメリッサのそんな努力をあざ笑うかのように、ヒョウは追撃に追撃を重ねていく。呼吸の全てを彼と共有し、メリッサの理性がズタズタになっていく。あまりに情熱的な愛情表現にメリッサは――。


「やめよ‼ もうやめよッッッッ‼」


 絹を裂いたような悲鳴が女王の喉からほとばしった。美麗な顔は恐ろしいほど醜悪に歪んでおり、悔しさ故か目には涙すら浮いていた。

 同性間の嫉妬の凄まじさに触れても、しかしヒョウの顔からは獰猛さが消えなかった。


「ぷは……ははッ! ご覧くださいメリッサ様! 女王のあの情けない御尊顔を! 貴女に狼藉を働いた女を見て、どうか留飲をお下げください!」


「へにゃぁ♡ ……ふぁにゅぃあ……♡ こぽぉ……♡ こりりりりっひひひっ……♡」


「………………………………………………………………見るまでも無いってよ!」


 メリッサの細い腰に腕を回し、巨大な乳房が完全に身体に押し付けられるのにも構わず、ヒョウは堂々(?)と言い放った。

 他人の関係ではない。知人の抱擁でも無い。親密さと比例する肉体の距離だった。


「なんということだ、きさ、貴様は、まさかぁ……」


「一介も漂泊者と貴族令嬢とでは甚だしい身分違いも承知。驚くのも無理は無いが……まぁ、御覧の通りだ」


「貴様、デブ専だったのかぁぁ……!」


「そう。俺はメリッサを慕っ――え、なに、でぶ?」


 豊満な肉体を恐れる男が大半な為、その逆の趣向を持つ者は特殊性癖の持ち主といえる。異常者と呼んで差し支えない。

 余談ではあるが、平均バストサイズが上昇しつつあるため巨乳と呼ばれるラインは近年上昇傾向にある。しかしその中でさえ、メリッサは爆乳クソデブと揶揄されていた。

 また世の女性の7割は巨乳デブであり、残り3割を二次性徴前の少女と稀有な成人女性が分け合っている。つまり全女子人口の7割は、殿方争奪戦において後方からスタート前しなければならなかった。

 わたくし達、肩コリも酷いのにハンデまで背負うとか、ふざけんじゃねえって感じですわ。と、メリッサも思っていた。昨日までは。


「〜~~~! 破廉恥じゃ! 破廉恥すぎる! 貴様ほどのドスケベは見たことない! まさにド級のドスケベ……ドドスケベじゃ!」


「いや語呂悪っ! つーか人をスケベ呼ばわりするな! 俺は普通……あー……いきなりキスとかしちゃったのは、俺の覚悟の表れというかなんというか……ごにょごにょ……」


「惜しいっ、つくづく……! 精力絶倫でデブ好きとか、フィクションの住人では無いかぁ……! な、なのに、なぜメリッサのごときに! デブというなら、余だって『駄肉陛下』とか『中古なのに汚乳おニュー王』とか陰口叩かれてるのにぃ!」


「えっ、可哀想……」


「余で、余でよいではないかあああああ!」


『辺境の雌豚没落令嬢である私が、異邦のエッチなイケメン執事に甘やかされて溺愛されてます』とか、モテない女の願望詰め込み過ぎと、謂われないそしりを受けるヤツ。

 しかも理由もないのにスパダリに好かれるという現実感皆無なクセに、同性からの暴言描写等が妙にリアルで心が苦しくなるタイプの創作物だ。


「陛下、ここは……!」


「ぐ、ぅぅぅ~~~~!」


 査察官の進言に女王は歯噛みする。

 打つ手はない。これ以上の戦闘を続けても互いの損耗が拡大するだけであり、最も得難いが手に入る確証もない。

 ヒョウの手に掛かって、戦闘不能者を量産するのがオチだ。それはそれでご褒美だが。


「……………………引き上げるぞ……」


 逡巡というには苦悩に満ちた数秒の後、イザベイラは歯噛みして撤退の判断を下した。


「忘れぬぞ、ヒョウ……! 貴様はいずれ必ず跪かせ、余の尻を舐めさせてやる!」


「捨て台詞まで品の無い……フン。アンタらこそ、首を洗って待ってろ」


 さっ!


「一斉に胸を隠すな! 何処の首だと思ってんだよ!」


 さっ!


「そしてウチのメイド達まで何なんだよ!」


 侍女長だけは堂々と胸を張っていたのだが、メリッサは気絶していたので叱ることはできなかった。


 ・

 ・

 ・


「ヒョウ様ぁ!」


「っと」


 空に小さくなっていく飛竜達を見送り、ひとまずの安全が確保されると、メリッサはヒョウの身体に飛び込んでいた。正気、というか現世に帰ってきたらしい。あのまま寝とけバカお嬢様。と何処からか聞こえた。


「も、うしわけありませんヒョウ様……貴方を巻き込んでしまいました……」


 ヒョウはいいや、メリッサの背中を優しく擦る。


「謝らなきゃならないのはコッチだ。喧嘩を売ったのも俺だし、連中が此処に来る原因を作ったのもどうやら俺。辛い思いさせて悪かった。泣かないでくれ、メリッサ」


「ぐすっ、泣いてなど、おりませんわ……貴方が一番大変なのに、何故わ、たくしごときが、ぐす……泣きましょうや……ぐすん、ぐすん……」


「ははっ、そっか」


「(ひゃー! ヒョウ様の胸の中きンもチィィィ! つーか背中なでなでやっば! やぁっば! 今夜も此処にソロキャン決定ですわー! 火など無くとも、アツアツジューシーなソーセージがわたくしのディナぁぁぁ!)ぐすん、ぐす、ぐふ……ぐふんっ、ぐふふん……」


「(あれ? 本当に泣いてないな?)……と、とはいえ、面倒な事になったな……」


「ほらお嬢様。ヒョウ執事長は面倒な女がお嫌いだそうです。とっとと離れて、面倒臭くないわたしと代わるべきです」


「そんなヒョウさまっ! 駄目な所は全部直します! 嫌な所は全て改めてますから、捨てないで……! 嫌いにならないで下さいましー!」


「いやそんなメンヘラ女的な面倒さじゃなくて! これからのラージファムについてだ。ともかく、場所を変えて話そう」


 メリッサはヒョウから離れ……というよりメイド達に力ずくで引き剥がされ……此処では、と別室サロンに入る。

 侍女達で散らかった調度品などを軽く整頓し、他のメイドに飲み物を用意させる。

 やがて紅茶と、果実水入の大きな水差しが運び込まれた。

 まず当主の娘がソファに腰掛け、勧められヒョウもソファに座る。そして侍女長をはじめ、メイド達は彼女達を囲むように立った。


「……俺がラージファムの筆頭執事を名乗り、女王やその臣下を叩きのめした以上、この家は王家に叛意を持っていると判断されるのは時間の問題だろう。爵位剥奪か、お家お取り潰しか、最悪の場合――」


 果実水を飲みながら、ヒョウは沈痛な表情で言う。

 辛そうな顔の貴方も素敵ですわ! とメリッサは思ったが、流石にそんな空気の読めない発言はしなかっ「◯クのを我慢している顔に見えてムラムラしてきました……」侍女長お前は言うんかい。


「執事とかいうのは実はの妄言で、ラージファム家を不当に占拠し、娘達を力で支配してたってんなら皆は助かるかもしれないが――」


「「「それは絶対に駄目です!」」」


「お、おう……」


 屋敷に乗り込んできたイケオスが女達を屈服させるとか、ドドスケベ過ぎてパンもパンツもお代わり案件だが、ヒョウに全ての責任を押し付けるのは本意ではない。

 そうした所で結局ヒョウは王国に囚われることになるだろうし、第一、女より遥かに弱い男が精強と名高いラージファム家の女達を力で――なんて、信憑性に欠ける。

 質の悪い虚言として、メリッサ達にはより重い罰が下されるだろう。


「時間が経てば、流出した『賢者の雫』が一個人のモノであることも調査で分かるはずです。疑惑は残るでしょうが、ひとまず男性の集団拉致については冤罪と判断されるでしょう」


 侍女達の見解にメリッサは神妙に、ヒョウはちょっと恥ずかしそうに果実水を啜った。

 どうでも良いことだが、男の啜る顔ってエロい。わたくしも啜って欲しい。ちゅぞーっ!


 幸い王国の法では、難民や亡命者などの異邦男性の保護権は第一発見者に依るものと定められている。

 本人の希望であれば、そのまま一定期間は第一発見者の下に逗留することも可能だ。

 故に、ヒョウがラージファムの屋敷に身を寄せたことは罪にはならない。

 付け加えて集団拉致疑惑も冤罪であり、また『賢者の雫』大量廃棄が故意のものではなく、本人にも追徴課精の意志の有りとされた以上、直ちにどうこうされる事は無いと判断できる。


「でも王国が……いえ、陛下があのままだとは考えられません。どんな手を使ってでも、ヒョウ様の己のモノにしようとするハズですわ」


「あぁ。死の呪いをノーリスクで解けるかもしれない人物を為政者が放っておくワケがない。きっと権力に物を言わせ、次から次へとうら若き乙女を俺に……くっ、想像しただけで股か――いや頭に来る!」


 いえ単に女王がスケベだからですわ。

 という独り言は、紅茶の水面に溶けて消えた。

 呪いウソはともかく、確かに楽観的な事ばかり考えることも出来ない。

 保護権はあくまで一時的な物であり、男性の最終的保護権は国に帰する。遠くない将来、ヒョウには王都への招集命令が下るだろう。


「まぁ、少なくともラージファム家の名誉についてはそう変わりませんわ。どの道、長くない家名でしたもの」


「……? それって、どういう――」


「既にラージファム家はわたくしの代で終わることが決まっているからですわ。今回、それがほんの少し早くなっただけの事」


 メリッサは力ない微笑をカップの縁に隠す。

 かつて彼女の起こした不祥事イケオジ殺害未遂は、その日の内にラージファム家から爵位を奪ってもおかしくはなかったし、事実そういう声も多かった。

 だというのに恩赦が与えられ、未だ領地を任せられているのは父デーヴィットのお陰だ。

 彼の王家への婿入りを条件に、侯爵という地位とメリッサ達の生活は護られたのだ。


 だが、それも束の間のこと。

 ある大きな罪により、ラージファム家の失爵は決定した。

 貴族を名乗れる期限は次期当主が聖女になるまで――つまり、メリッサが三十歳になるまでだった。


「わたくしの代でラージファム家を終わらせてしまうのは御先祖様に申し訳ありませんが、今さら延命しようとも思えません」


「メリッサ……」


 心配そうに呟いたヒョウを、メリッサは見つめ返した。

 もしヒョウを見つけ保護した功が認められれば、ラージファム家は恩赦により失爵を免れるだろう。

 それどころか超級の雄を献上したことにより、陞爵すら夢ではない。

 ただしそれは、彼との離別を意味する。


 ……ありえませんわ。


「いえ、思えません


「……!」


 もう二度と大事な人を売り渡してたまるものか。名誉の為、我が身の可愛さ故に彼を犠牲にするようでは、それこそ家名に――いや、このメリッサという女に泥を塗る。


「お嬢様、では……」


「えぇ侍女長。わたくし、腹を決めましたわ。今一度、ラージファム家を護るために戦ってみようと思います」


 立ち上がり、メイド達の顔を見渡す。

 どうせ没落の未来が決まっていたのだ。何もかも諦めて細々と生きる前に、みっともなく足掻いてみるのも悪くない。

 燃えるような恋は、彼女の心も滾らせていた。


「それに……」


 メリッサは最後にヒョウへ向き、イタズラっぽい笑みを浮かべた。


「平民になるのなんて怖くありませんでしたが……我が家が没落してしまえば、ヒョウ様の食い扶持だって無くなりますものね」


「――ふふっ、助かるよ。家も実務経験も無い自称執事とか、ちょっと不憫だからな」


 そう言って、笑みにウインクで返すヒョウ。その仕草にきゅんムラムラっとしたが、顔には出さない。

 ちなみにメリッサの後ろに居たメイド達は、フニャフニャと腰がコンニャクになっていた。メリッサは非聖女候補だから我慢できたけど、皆は聖女候補だったから我慢できなかった。


「具体的にどうなさるおつもりですか、お嬢様」


 心配そうな顔で訊いてくる侍女長にメリッサは力強く頷いた。ウインクにヤられ、発情期のスライムみたいになった下半身は無視した。臣下の恥部を見逃すのも主の器なのですわ。


「えぇ、実は既にアイデアがありますわ。今までは我が身の汚名ゆえ、あまり近付くべきでは御座いませんでしたが……」


 個人的な感情としても、友人である彼女を巻き込みたくは無かったし、ヒョウをまつりごとに関わらせたくも無かった。

 だがもはや、自分達もヒョウも蚊帳の外ではない。

 自分の一言一言がこれからの時代に影響するかもしれないと思うと唇まで震える。

 メリッサは肚に力を込めて皆に言った。


「第一王女殿下のお力を借りしましょう」


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