第十一話 怪物②

 

 竜人族は、あらゆる能力を高い水準で兼ね備えており、最優の種族とも呼ばれている。

 骨格は強靭で力も強く、魔術に対する理解も深い。また、魔力無しでも空を飛べる種族でもあった。


 とはいえ、各部門のスペシャリスト達には及ばない。

 体格や膂力は巨人族や鬼人族には及ばないし、魔力はエルフに届かない。

 俊敏さやしなやかさでは狼人や猫人の獣人族に敵わないし、飛行能力も有翼種の中では最上位とはいかない。

 彼女達の得意分野を100点満点で評価するなら、竜人族は80点前後で採点されるだろう。


 だがそんな彼女達の事を、器用貧乏と揶揄する者はほとんど居なかった。

 金メダルは取れなくても、ほとんどの種目で表彰台を席巻している種族が弱い筈がない。

 全人口のおよそ6割を占める人類種(亜人種達と区別し、敢えて庸人ようじん族と呼ばれる場合も多い)を同じ基準で採点するなら、きっと40点も超えないだろう。


 つまり竜人族は、庸人族の完全な上位互換であった。


 ・

 ・


「いよーっメリッサじゃねぇか! 相変わらずチビでデブだな!」


「ふん。アナタこそ、ノッポでデブではありませんか」


 竜人の娘はニヤニヤと、庸人の娘は憮然と言う。

 こう、侮蔑と軽口を叩きあった時には既に、彼女達の力関係でどちらがが上かは察する事が出来た。


「お? いつもより強気じゃねえか。やっぱ男の前だから、イキがってるらしいな! に、しても……」


 ギルヴィアはギザギザの歯を剥いて笑う。やがて嘲笑を浮かべたまま、竜人の娘は高いところからヒョウを見下ろした。


「おい。テメェだよテメェ、ソコの色男。なにメリッサなんぞに付き従ってるんだよ。コイツに弱みでも握られたか?」


(握りましたが? 弱くて、硬い所をですが……♡)


 とメリッサは思った。


「訊いてどうする? 俺がメリッサ様に仕える理由など、お前には関係ない話だ」


「かかかっ! 生意気なオスガキめ。居るんだよなァ時々、世界の深さも女の恐ろしさも知らねえで、少しばかし才能があるからって無駄に自信満々なヤツがよ」


満々ムンムンでしたわ。雄の色気が……♡)


 とメリッサは思った。


「良い機会だ。厳しい厳しい社会のジョーシキってやつを教えてやるよ。世間様に代わって、アタシがいっちょ揉んでやる」


(揉まれましたが? あっ、これは私でしたわ♡)


「あのメリッサ様……? さっきから何ニヤニヤブツブツしてるんるです……?」


 おっとはしたない……自重ですわ、自重。


「――ってそうではなくて! お逃げ下さいと申しているではありませんか! ヒョウ様がいくら強くても、ギルヴィアの強さはまた別格です! 悔しい話ですが、わたくしでは手も足も出ませんでしたわ!」


 事実、メリッサはギルヴィアに勝利したことはない。

 各領地の護衛騎士や兵士を集め、王都で定期的に行われる親善試合において、彼女は竜人の娘に負けっぱなしだった。

 歳はギルヴィアが2つか3つ上ではあるが、戦闘力の差は年月以上の物がある。

 ヒョウに向かって同世代に遅れはとったこと無いと豪語したメリッサだったが、仮に彼女と同期だったとして、果たして互角の戦いが出来るかどうか。


 昨日、ヒョウの為した巨竜打倒が偶然で無いのは分かる。しかし、ギルヴィアには経験があり、技術があり、知恵も有る。あるいは獰猛な獣より厄介な相手だ。


 なにより、彼の対人戦闘技能は未知。王を投げ飛ばした技には目を見張ったが、そもそも王は戦士ではないのだ。

 メリッサはそう訴えるが、ヒョウは視線をギルヴィアから逸らさない。


「逃げて事態が好転するなら逃げますが、そうもいきませんよ。俺だけ逃げたら、メリッサ様や他のメイドさん達……ひいて領民にすら累が及ぶかもしれません」


「ならば、せめて一緒に――!」


「いえ、メリッサ様達は手を出さないで下さい。王国側の騎士と矛を交えたとなっては、今度こそ言い逃れは出来ませんよ」


 こ、この期に及んで、ワタクシ達だけではなく、会ったこともない民にまで気遣って、更にいざという時は自分が泥を被るつもりなんですのね⁉ 貴方マジで女を悦ばす才能しかありませんの⁉


「へー……女を心配なんざ奇特な野郎だ。ますます堪んねぇや。どうだ? いまココで股ぁ開いたら、全員の無事を約束してやるが?」


「な……⁉」


 そんな事したら、肉体は無事でも我々の脳が木っ端微塵ですわ! 衆目寝取られとか度し難すぎて色々歪みますわよ⁉


「刺激的だが、品のない誘惑だ。悪いが……」


 チラリと、ヒョウは一瞬だけメリッサの方を振り返った。


「悪いが、俺は淑やかで清廉でおおらかで気品があって笑顔が素敵な女性が好みなんだ。他を当たれ」


 淑やかで清廉でおおらかで気品があって笑顔が素敵な女が……⁉ そ、それってつまり……!


「誰?」「どなた?」「知らん」「私じゃね?」「いや、私っしょ」「少なくともメリッサ様で無いのは確か」「ヒョウ執事長の妄想では?」「好きな女の子考えるヒョウ様スケベ過ぎて好き」「執事長の妄想の中に住みたい」「妄想の女からヒョウくん寝取りたい」


 お前ら全員ランチ抜きですわ。


「あー……そうかよ。和姦じゃなくて、しこたま搾られるのがお好みかよ」


 龍の娘はつまらなそうに吐き捨てると、


「陛下ァ! ねぇ、やっぱコイツのドーテー、アタシに下さいよ! 今すぐにボコって、この場で抱いてやりますからさぁ!」


 獰猛な淫欲を隠そうともせず、竜人はそう上位者に訴えていた。その粗暴すぎる要求に誰もが顔色を変えた。


「――! 貴様、不敬であるぞ! 筆下ろしクジや競売に掛けられる場合を除き、童貞は全て王族の――すなわち、余のモノだ! を弁えんか!」


 俄然、憤慨する女王だが、ギルヴィアはニヤニヤ笑うばかりだ。それどころか挑発的な瞳をして女王を、また配下の騎士達を睥睨する。


「そんなコト言って良いんスか? みんな、あのイケメンに手も足も股も出なかったからアタシを呼んだんでしょ? アタシが一言『やーめた!』って言えば、アイツと交尾できなくなりますよ?」


 イザベイラは歯噛みをしてギルヴィアを睨んだ。

 ヒョウの圧倒的な雄力を前に、正気を保っていられるのはごく僅かだ。

 予想するに、性力ランクが少なくともAランク以上でないと立っていることすら出来ない。


 該当するメリッサや侍女長は無論ヒョウの味方だし、女王は戦士ではない。

 底なしの情欲を持ち、更に強力な武力を持つ者などギルヴィアしか居なかった。

 竜人の娘は粗暴で獰猛だが、愚かとはほど遠かった。

 この場で自分が出来ることと、またこの場で何が最も価値があるのか理解していたのだ。

 十数秒の逡巡ののち、折れたのは女王の方だ。


「……壊すなよ、そいつはいずれ余の夫になる男だ」


「へへっ、モ□チンっすよ」


 首や肩を鳴らしながら彼女は一歩前に出た。


「けどまあ、怪我させんのは見逃して下さいよ。どーせ、腕っききの宮廷魔術師集めて、つきっきりで看病すりゃあ良いんだしよ」


「ギルヴィア殿! 殿方への乱暴は重罰の対象です! いくら王国民では無いからといって――」


 文官の語尾が尻窄みに消えていったのは、ギルヴィアの剣呑な目に射られたからだ。


「甘えコト言ってんじゃねえよ雑魚。こういう跳ねっ返りには、早い内から立場っつうモンを教え込まなきゃならねーんだよ。異邦人なら尚更さ。淑やかで従順で素直な男――王国男児の理想じゃねえか」


 誰も口を開かなかった。尊大な振る舞いをしても黙認されるのは、彼女が強かったからに他ならない。

 才能も武功もある若い女騎士は、それが許されるだけの実力を持っていた。

 ギルヴィアは無音の非難轟々の中を悠然と闊歩し、ヒョウへと近づいていく。


「つーわけだ。せいぜい良い声で鳴いてくれよ」


 騎士制服の上着を脱ぎ、シャツをも脱ぎ捨て、厚手のタンクトップ1枚になる。

 剥き出しになった長い腕は人のソレと変わらない。時折鱗などを纏う竜人族などもいるが、ギルヴィアの肌は庸人族の肌と変わらないように見える。

 ただし、搭載された筋肉は並みではない。

 鍛え抜かれしなやかな上腕は、ひ弱とは対極にある腕力を約束している。

 竜人用のタンクトップですらサイズが合っていないのか、チラチラ見える腹部にもうっすら筋肉の溝が見える。


 また、女性の象徴たる乳房も巨大だ。明らかに人間の頭より大きい。ウエストが細く見える分、そのボリュームは尋常でなかった。

 ギルヴィアの2メートルを超える身長からして、バストサイズは130センチを優に超えているだろう。

 ただし、豊満というような柔らかそうな形容は適当で無い。

 服を突き破らんばかりに飛び出して、まるで砲弾だ。城塞ごとき、物の数ではないと言わんばかりの圧倒的な破壊力を誇っていた。

 そのあまりの迫力に、ヒョウはおろか同性のメリッサ達も瞠目する。


「んー……? なんだジロジロと……ははーん?」


 男の視線に気づいたのだろう、ギルヴィアは唇をいやらしく歪めた。


「怖いだろ? 気持ち悪いだろ? 心配すんな、直ぐにターップリ生で見せてやるよ♡ 上も下もな♡」


「……!」


 ギルヴィアは舌なめずりし、あまりに大きな乳房を両手で挑発的に持ち上げてみせた。並の男なら、恐怖と嫌悪感で失神してしまうレベルだ。しかし。


(いけませんわ、いけませんわ! ヒョウ様は世にも珍しい巨乳に優しい殿方! わ、わたくしではなくギルヴィアに心惹かれてしまうのでは――!)


 まさか自分より大きい胸に危機感を抱く時が来ようとは思わなかった。昨日までは、日に日に大きくなるバストが恨めしくて仕方なかったはずなのに。

 貞操逆転殿方は大きければ大きい方が良いのか? いやいやサイズではともかく、実際のカップと形と柔らかさでは勝っているはずですわ。

 メリッサの危惧をよそに、竜の娘は淫らに笑う。


「アタシはな? この身体を無理矢理拝ませて、泣き叫ぶ男を見るのが好きなんだよ」


「なん……だと……⁉」


 ヒョウは戦慄し、女王の配下達すら余りの不快感に顔をしかめた。

 女性らしい身体を持つ者のマナーも品性も無い、最低の言葉だった。


「テメェが今からどういう目に遭うか教えてやろうか?」


「……(ごくり)言ってみろ」


 周囲からの悪感情など意に介さず、彼女はメリハリの効きすぎた肉体を淫靡にくねらせ、赤い舌と尻尾を挑発的に揺らす。


「テメェをぶっ倒した後は互いにスッポンポンになるのさ。オスとメスの身体の違いを、まずはゆ〜っくり目で堪能しようや。んでもって泣かれ続けんのも喧しいからコイツで栓をしてやる。喚こうもんなら口にぶち込んでやるから覚悟しろよ? そして尻尾コレでテメェのイチモツをシゴき、無理矢理立たせた後はお待ちかねのメインデッシュ、童貞を美味しく喰ってやるよ! 一滴残らず納精させてやっからなぁ♡」


「――――下衆めッ……!」


 吐き気を催す邪悪とはこういう者の事を言うのだろう。あんな粗暴な女が王国騎士を任されて良いのかと、メリッサは吐き捨てた。


「ははは! そんな下衆な女に大事な男が美味しく喰われちまう所を歯噛みしながら見とけ! なんならオカズにしてもいいぜ!」


 挑発を繰り返すギルヴィアに対し、ヒョウは何も言わない。ただただ、彼女の姿をじっと見つめているだけだ。

 もしや怖気づいた? あり得る。女の醜さを煮詰めた性獣を目の前にし、流石のヒョウ貞操逆転殿方も――。


(って、あら? なにやらモゾモゾしているような……?)


「……ヒョウ様?」


「あ、いや……その、ちょっと、ポジションがですね……」


 ポジション? ああ、確かに地の利や足場は重要ですわよね。


「なんか別の意味で戦う気が失せてきた……いかんいかん、集中しろ未熟者め……」


 ――先程までの発情臭が場に残っていなければ、彼のが大変な事になっていることにメリッサも気づいただろう。


「手加減無しで分からせてやるよ――ッラァ!」


 言うが早いか、彼女の髪が中空に赤い線を残した。

 まだまだ距離はあったというのに、一瞬でヒョウとの距離を詰めていた。

 踏み込む音と同時に肉薄したようにうにも見えた、驚くべき瞬発力と脚力だ。

 斜め下から撃ち上げられたボディブローも、身長差からヒョウにとっては普通のストレート変わらない。ギルヴィアの巨拳は今までヒョウの上半身があった場所を正確に通過していた。

 ヒョウは、少なくとも表情上は涼しい顔をしてバックステップで躱していた。


「羽根みてぇにヒラヒラしやがって! そんな矮躯じゃあアタシは満足させらんねぇぞ! まあ今まで満足出来た男は居なかったけどなぁ!」


 追いすがり、拳を打ち下ろす。唸りを上げて迫る塊を今度は前方へ跳び紙一重で躱す。

 彼はそのままギルヴィアの脇をくぐり、玄関の方へ駆け出していた。すぐ側を男の風が通り過ぎただけで、女王の騎士達はクラクラと目眩を起こしていた。


「逃がすかよ!」


 逃亡と見るや、ギルヴィアは巨躯を翻しヒョウの背を追った。

 が、彼はすぐ近く……庭園のひらけた場所で待ち構えていた。


「別に逃げたワケじゃない。屋敷の中で暴れられると、後から掃除やら修理やらが大変になりそうだったからな」


「あーそうかい、そうかい。ま、別に良いぜ? お天道様の下の方が、お前の身体をジックリ拝めるしな」


 慌てて追ってきたメリッサ達は、ギルヴィアが再びヒョウに襲いかかる瞬間を見た。

 彼はあわや命中という寸前で攻撃を躱し、見たこともない足捌きで庭園を巧みに使っている。


 しかし反撃はない。出来ないのだ。

 ヒョウもギルヴィアも共に素手だが、体格の差もリーチの差も比較にならない。ならば小兵の戦い方セオリーとして、手数で押すか懐に入ってしまうかなどがあるが、竜人の娘はそれも許さない。手足の回転数が並ではないのだ。

 ギルヴィアには――少なくともメリッサから見て――隙というものがなかった。


 ヒョウもそれを察しているのだろう。ギルヴィアの拳撃を躱すばかりで手を出さない。ただただ、彼女の身体をじっと見つめているだけだ。


「あ、危な――きゃぁっ!」


 危うさに、見ているこっち側が悲鳴を上げてしまう。メイド達も気を揉み、目を逸らしてしまう者もいた。


「く、もはや我慢なりませんわ! やはりワタクシも共に戦います! せめて、ヒョウ様の盾になるくらいには――!」


「お待ち下さい、お嬢様」


 たまらず腰の剣に手を掛けたメリッサだったが、侍女長の掣肘がそれを止める。


「止めても無駄ですわ侍女長! このメリッサ・ラージファム! 殿方一人を戦わせるなど、淑女の風上にも置けないようなことなど……」


「そうではありません。何か、様子がおかしくありませんか……?」


 おかしい?

 そう言われて、興奮と恐怖で狭くなった目を改める。努めて冷静に、二人の交差を見てみた。


「あ……?」


 いつの間にかヒョウの足が止まっていた。未だギルヴィアの攻撃を躱し続けているが、その踵は半径50センチの円を一歩も出ていない。上半身の動きだけで拳や蹴りをやり過ごしていた。


「どうした色男! 言っとくがアタシにスタミナ切れはねえぞ! 避け続けたって、先にヘバるのはテメェさ!」


 ギルヴィアは気付かないのか、あるいはイケメンを一方的に蹂躙している(と思い込んでいる)陶酔に視野が狭くなっているのか、意に介した様子もない。


「けどまあ中々見どころあるじゃねえか! こんだけ動いて息も上げねえっつうんだから、ベッドでも期待できそ『分かった』……は?」


「だいたい分かった」


 言うと、ヒョウは数十秒ぶりに距離をとった。おおよそ3メートルほど後ろにバックステップしたのだ。


「アホが!」


 しかし、それは明らかな悪手。ギルヴィアの歯が獰猛に光ったのをメリッサは見た。

 充分な助走距離を得て、ギルヴィアの全身は砲弾と化した。今まではお遊びだったと言わんばかりに、巨拳が唸りを上げた。


「――っ‼」


 幻視される血みどろになるヒョウの姿。メリッサ達は悲鳴を上げる暇もなかった。

 ただし、悲鳴を上げる間もなかったのはギルヴィアも同じだった。


「え、あれっ、うそ」


 何が起きたのか分かった女は一人として居ない。気がつけばギルヴィアは仰向けで倒れていた。

 恐怖に竦んでいたメイドや文官を除けば、誰も瞬きもしていない。

 必殺の一撃がヒョウを捉えたと思った瞬間、時間が切り取られたかのように今の状況になっていたのだ。


「……はぁ?」


 倒された本人も呆けた声を出して、ヒョウと青空を呆然と眺めているように見える。誰よりも、ギルヴィアが自分の現状を把握できていなかった。


曾祖母ひいばあちゃんには遠く遠ーく及ばないが、俺の合気だって中々のモンだろ?」


 すぐ側で、ヒョウは手を揉み揉みと擦り合わせている。何ら不自然はないと、彼だけが平然と立っていた。

 寝っ転がっているギルヴィアを下に、笑うでも無く蔑むでもない。ただただ冷淡に見下ろしている。


「立て、ドラ娘。手加減で思い知らせてやる」

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