第九話 王者見参③
賢者の雫。
精の別名であり、世で最も重要な物質かつ高価な資源だ。
子孫繁栄の要なのは無論だが、現在では更に実用的な用途が存在する。
それは、エネルギー・マテリアルとしての活用だ。
様々な機関で行われた研究の中、精が高効率な魔力素材として運用できる方法が開発されたのだ。
ごく僅かな精にも反応するような魔道具の開発を推し進める内に、逆に精を燃料としてしまう仕組みが見つけ出されるという、一種の皮肉めいた発見だった。
あるいは黄金以上に価値の有る『賢者の雫』は、国家繁栄、人類存続の為に欠かせない物質だった。
ただ歴史が証明するように、重要なもの、貴重なものを独占し私腹を肥やそうという者は世に絶えないらしい。
男児が生まれた事を隠そうとした者、性力ランクを偽り納精量を誤魔化した者など、枚挙に暇がない。
昨今、更に厳罰化が進んでいるというのに、男性を己の所有物にしようとする者はゼロにはならなかった。
・
「誤解です陛下! わたくし、今まで一度も税を滞納したことなど御座いません! まして、大勢の殿方を隠しているなど……」
「弁明は後にせよ。おい」
訴えに聞く耳持つ様子もなく、陛下は控える文官達へ声をかけた。呼びかけに応じて進み出たのは、『水晶』の紋章を持つ文官達だった。
「財務府、王国国
マディッカと名乗った先頭の人物が、書面を前にしてそう宣言した。財務府文官の中でも特にエリートと呼ばれる国精局員、その中でも更に敏腕と名高い査察官だった。
普段は地方に勤めているらしいが、有事の際には本来の職務に復帰し査察に踏み切るという。
「全員動くな! 査察終了まで、あらゆる物への接触と会話を一切禁止する! この警告を無視する場合、王への叛意と心得られよ!」
怒号にメリッサのメイド達は身を固くした。
柔和な美貌を持つ人物だが、今は表情にも全身にも気迫を漲らせている。彼女の正義感にとって、ラージファム侯爵家の振る舞いは到底許せるものでは無いらしい。
「必ず見つけ出せ! 髪の一本、魔力反応、匂いの残滓も決して逃すな!」
リーダーの号令を受け、部下の文官達は屋敷内に散っていった。その動きは、蜘蛛の子を散らすというより獲物を追う猟犬の群れみたいな統率があった。
彼女達は家具、調度品、食器など片っ端から引っ張り出し、少しでも目に留まった物は
「陛下! お聞き入れください、何かのお間違いで御座います! わたくしは大勢の男性など隠しては――」
「くどいぞ、メリッサ・ラージファム。もしそなたが真に潔白ならば、座して待てばよかろう」
優美な長身をソファーに沈め、イザベイラは給仕に注がせたワイングラスを傾ける。
「確固たる証拠が見つかるまでラージファム領に逗留する。竜騎士達は近隣の村や町に、余を含めた数名は屋敷に常駐させるからな」
「そんな……⁉」
「長く居座られたくなければ早々に男達を出すか、それに比例する税を納めよ。もっとも、隠蔽していた罪や精を流出させた罰などは、また別だろうがな」
無茶苦茶ですわ……!
もちろん数十人から数百人の男性など居ないし、仮に居たとして、短時間で殿方の数に匹敵する納精など出来ようはずもない。
まして、無駄に廃棄された精液の補填など絶対に不可能。
未納分や罪業を仮に金銭で贖うとして、いったい幾らになるのか検討もつかなかった。
きっとラージファム領の全てを身売りにしてって払えっこない。
万事休す。もはや助かる術はヒョウを国に――イザベイラ女王に献上するしか無いのか。
国の為、ひいては人類全体の為に貢献した父のように、ヒョウに頑張ってもらうしか無いのか。
(嫌ですわ、そんなの! わたくしのせいで、大切な人を利用されるのは絶対に……!)
王都へ送り出し、遂にラージファム領に帰った来なかった父を思い出し、メリッサは唇を噛んだ。
あんな思いをするくらいなら、いっそ……!
「陛下、こんなものが!」
憤怒の沼に沈みかけたメリッサを引き戻したのは、文官の嬉しそうな報告の声だった。彼女は手に一つの額縁を持っていた。
後ろから付いてきた別の文官達も目をやり、黄色い歓声を上げている。
受け取ったイザベイラもまた目を輝かせた。
「これはこれは! 我が
「それは――!」
絵画と言うには少し小さいが、メリッサ達にとってはどんな美術品よりも価値の有る宝。父、デーヴィットが描いた絵だ。
絵には三人の人物……父と母と、そしてメリッサが描かれている。生前の父の姿が写る、最後にして唯一の品だ。
「デーヴィットいわれの品は全て回収したはずだったが、まだ残っておったか! ラージファムめ、男だけではなく、こんなものまで隠しておったか!」
陛下は鼻歌交じりに額縁をこじ開け、中身を取り出す。長い指で生前の父の姿をなぞり、艶美な唇を釣り上げた。
その振る舞いにメリッサやメイド達はおろか、侍女長ですら表情を変えた。
「ふふっ! あいも変わらず愛らしい姿よな。よし、これは余が直々に王宮へ持ち帰ろう」
「お待ちください陛下!」
思わず声を上げていたメリッサは、這いつくばるようにして床に
「それは……! それだけはお許しください! 我が父が、亡きデーヴィット様が残してくださった最後の品! わたくしと母……いいえ、ラージファム家の皆の思い出なのです! どうか、どうか……!」
涙は頬を流れず絨毯に染み込んだ。
父が亡くなった時、女王やデーヴィットの妻達は彼の持ち物を形見分けだとか言ってほとんど全てを持っていった。
その中で唯一隠し通せたのが、その絵だ。
「メリッサ、デーヴィットは貴様の父である前に我が夫。つまり、メンヒデリ王国の宝なのだ。個人が独占はいかんぞ」
だがイザベイラはメリッサの方も見ずにそう言い捨てた。
逆だと叫びたいのを、メリッサは必死で堪えた。父の最初の妻がメリッサの母スフィアであり、イザベイラは後から父の評判を聞きつけてやって来たのだ。
だが今は違う。ラージファムの女達は、王都にある父の墓に赴くのですら行政の許可が必要な立場なのだ。
「なに、余とて情けはあるとも。この絵画に免じ税の多少の融通は聞いてやる。男が描いた絵ともなれば、欲しい連中は山程おるからな」
ま、売りはせんがのと、イザベイラは何処までもご機嫌だった。
「ほうほう……くぅー、流石に良い絵の具を使っている……生前のデーヴィットの筆使いが目に浮かぶようだ。奴は絵も巧者であったからなぁ……だが――」
ふと彼女の目が不満に歪んだ。
「――周りの女どもが邪魔だな。おい、誰かハサミを持て」
「……!」
立ち上がり思わず駆け出していたメリッサだったが、親衛隊が垣根になり彼女は取り押さえられたしまった。それでも檻の外へ逃れるようにして、女王へ手を伸ばした。
「お願いです陛下! 陛下――!」
「やかましいのう、そう騒ぐな。すぐに返してやるとも。
文官からハサミを受け取った女王は、耳煩そうにしながらも絵へ刃を向けた。
「案ずるな、余は存外に器用だ。デーヴィットには……男には傷一つ付けん。
「あ、ああ……っ」
閉じられていた鉄の形が、ワニの顎のように開く。それを注意深く……まず父の居ない部分へ這わせた。
「お、お父様……!」
瞼に浮かぶのは、絵を描いた時の光景。
大きな鏡の前に三人で椅子に座り、父が絵の具を片手にキャンバスに筆を振るった。
絵の具に跳ねシャツが汚れる度、メイド達に叱られションボリ肩を落としている父の姿も今でも目に浮かぶ。
長い時間同じ姿勢だったため、足が痺れベソを掻いた幼いメリッサを、父は優しく抱きしめてくれたのだ。
あの時の暖かさと絵の具の匂いをメリッサは忘れたことが無い。
「おとうさま、おとうさまああああああああぁぁぁぁぁ!」
もう永遠に戻ってこない、愛しい記憶達。それが切り裂かれようとした時、
「――――流石にそれは駄目だろ、女王」
女王の手首を握り、冷たいハサミを拒む力があった。
「ぬ、ぅ⁉」
「え……⁉」
「嘘、い、いつの間に……⁉」
文官でも騎士でも、ラージファム家のメイドでも無い。
いつの間にか、全く別の誰かがイザベイラの側に立っていた。
音も気配も無かった。それこそ、手首を掴まれるまで女王もメリッサも誰も彼に気がつかなかった。
「なんだ、誰だ⁉」
今日初めて王の表情が驚愕と困惑に歪む。
ピクリとも動かせないのか、手も体勢もそのままにイザベイラは顔を第三者に向けていた。
だがその第三者が誰か、メリッサにはもう分かっていた。
「ごめんメリッサ、戻って来ちゃった」
権力者の質問には答えず、青年はメリッサに向かって照れくさそうにはにかんでいた。
漂泊者ヒョウ。
後の世に、世界で唯一の真の王者として語られる彼が、歴史の表舞台に登場した最初の瞬間だった。
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