第八話 王者見参②

 

 庭園に降り立った竜とその竜騎士達は上位者に待機を命じられ、整然と列を作った。

 否、整然と言うには些か以上に語弊がある。


「うわっ、くっせえ! ちょっと、出発前にトイレくらい済ませときなさいよ! 貴女の竜、漏らしてんじゃないの!」


「へへへっ、ごめんごめん! あんまり綺麗なお手洗い場だったからつい!」


 王国騎士の中でも特にエリートである彼女達は、既に我が物顔で寛いでいた。ラージファムのメイドに茶や菓子などを用意させ、邸園には無い、雑談という花を咲かせていた。


 それだけならまだいい。まだ我慢できる。

 しかし彼女達は相棒である竜も連れ、邸園を駐屯地の代わりに用いた。

 確かに竜専用の物などは無いが、客人用や緊急時における一時的な厩舎きゅうしゃは充分な物が建っていた。

 竜騎士達はそれを使わず、勝手に竜と武器を携えて屋敷の前に集結したのだ。


 同じ高さで切り揃えられた芝に覆われ、余計な雑草など一本たりともない自慢の庭が、竜に蹂躙され面白いはずもない。

 特に今朝は、ヒョウが庭で剣術を見せると言っていたので、常より念入りに手入れをしたのだ。


「ラージファム家のみなさーん! ちゃんと後で掃除してくださいましねー? 自慢のお庭、汚したままは良くないっしょー?」


「でも言うほど汚くなくね? 元からこんなもんだったっしょ」


 きゃはははははははは!


「――ッ!」


 自分達とそう年齢も変わらないであろう女騎士達の、嘲弄を含んだにメイド達は血が沸騰するのを自覚した。


「落ち着きなさい」


 ――が、侍女長がそれを制する。


「見え透いた挑発です。どうせ、あれ以上のことはしてきません」


「ですが……!」


「乗ってしまえば、最悪の場合、メリッサ様ならびにスフィア様の立場が危うくなります。堪えなさい」


 それにと、侍女長は声をひそめる。


「……彼女達自らがヒョウ様の匂い痕跡を消してくれるのです。証拠隠滅の愚行くらい、涼しい顔で見送って差し上げましょう」


 言われると、いくらか溜飲も下がる。メイド達は頭に上っていた血が冷えていくのを自覚した。

 確かに、彼女達はあんなに偉そうにしているくせにヒョウというとびっきりの男を知らない。触れ合うどころか、存在すら確認していたのだ。


 だが自分達は知っている。なんなら普通に会話だってした。

 優越感が怒りやら不満やらを簡単に上書きしていく。自分たちは今、世界でも最高に幸福なメイドだろうから。


「……ふん、言い返さないとか。腰抜けどもめ……」


 全く言い返してこないメイド達が面白くなかったとみえ、騎士達はしかめっ面で鼻を鳴らす。侍女長の言う通り、ソレ以上のことはしてこなかった。


 ・


 ヒョウを屋敷の外に出し、隠れているように頼んでからキッチリ1時間後、国王が随伴を多く連れて現れた。

 数は51名。ただの訪問にしては大仰すぎる。


「ご機嫌麗しゅう御座います、イザベイラ・ナガック・メンヒデリ国王陛下。当主スフィア・ラージファムに代わり、その娘、メリッサ・ラージファムがご挨拶させていただきます」


 正装のドレスに着替えたメリッサは、屋敷の玄関で恭しく頭を垂れた。

 メリッサの目標はただ一つ。ヒョウの存在を隠し通し、イザベイラ達に帰ってもらうことだ。

 彼女達が何を目的にやって来たのかは不明だが、流石にまだ証拠などは無いはず。夢の如き時間と彼を護るため、面の皮を厚く構築していく。


「うむ、久しいなメリッサ・フォン・ラージファム――いや、今はただのラージファムか」


 先頭に立つ客人――王国の最高権力者は鷹揚に頷き、メリッサの挨拶を受け止めた。

 長い髪とほとんど剥き出しの肉体を見せびらかせながら、王は顔を伏せたままのメリッサに上から声を掛けた。

 再び深く頭を下げつつ、メリッサは王の後ろへと目をやる。

 彼女の少し後ろには護衛の騎士と……。


(『大樹』に『水晶』の紋章……環境府と財務府の文官ですわね……それも、おそらくは中枢に位置する幹部級の)


 制服からメリッサはそう察した。また、彼女達も露出の多い服を着ていることから、かなりの上位権力者である事も分かった。


 貴族の大体の爵位や力を一目で見抜く方法がある。それが露出度だ。


 世界の至宝である男性の気分を害さぬよう、女達は肌を隠蔽する義務がある。乳房、臀部、腹部、脚、言うまでもないことだ。メリッサも、外出する際はキツく己の肉体と服装を戒めている。


 だが逆に言ってしまえば、露出を許される者は他とは違うということ。自分は肌なんて隠さなくても良い身分だと言うことだ。


 現にイザベイラ女王は常からほとんど裸だ。

 今だって、下着ですら躊躇うようなデザインのドレスを身に纏っている。ほとんど裸にマントだ。

 メリッサとほぼ同サイズのバスト(身長は女王が高いので、相対的にはメリッサが大きい)を堂々と張っている。

 侍女長の物とは絢爛さが段違いだが、陛下もニプレスマスターらしい。風邪ひけ。


「もてなしの用意もなく、このような場で拝謁する事をご容赦頂きたく存じます。事前に報せを頂ければ、歓待の式典なども――」


「ああ、よいよい。茶を飲みに来たのでも無いのだからな。そも、このような辺境に遊びに来るものか」


 跪いたままの体勢で助かった。歪む表情を無理に隠す必要が無いのだから。

 とはいえ、この程度の嫌味など日常茶飯事だ。今更に気にする事はないと、メリッサは己に言い聞かせた。


「して陛下、此度はどのような御要件であらせられますか? 陛下自らのご来訪、余程の大事があったと存じますが……」


 王の許しを得てメリッサは顔を上げる。あたかも何の理由も分からないという風な表情を作り、努めて真摯に尋ねた。


「ふむ……さて、何から話したものか……そうさな、まずは――」


 イザベイラが指を鳴らすと、文官の一人が羊皮紙の束を差し出した。

 受け取った女王はそれにサッと目を通すと、投げるようにメリッサへ渡してきた。読め、ということらしい。


「ソレに書かれている通りだが……実は昨晩な、このメンヒデリ王国の各所で強力な竜が出現したという報が届いたのじゃ」


「――! 竜害、で御座いますか」


「うむ、いずれも被害は甚大。領民にも犠牲者が出ておるし、該当する領地はしばらく安定と回復を強いられるであろう」


 報告書はいずれも王国の貴族達からだ。サッと探し読みしただけでも痛ましい様相が目に浮かぶようだ。

 一歩間違えれば自分たちもそうなっていたのだと思うと、メリッサの心胆は凍えていく。


 二枚目、三枚目と捲ったところで、メリッサは違和感を覚えた。

 気のせいだろうか。被害にあった領主、貴族諸侯の名に覚えがある。爵位も領地方面もバラバラで、ラージファム領と交友のない者も多いが、何故か目に覚えのある名前ばかりだった。

 メリッサの違和感が輪郭を固めるより早く、イザベイラは口を開いた。


「そして、ある目撃情報に依るとラージファム領にも一頭、巨大な竜の影が接近したという。だというのに、そなたらからは竜害の報せは届いていなかった。他の領主達はすぐに知らせ、支援の要請をしてきたというのに――」


「…………」


「魔法便書を使う暇も無い程の被害を受けたか、はたまた未だ交戦中なのか――と、まあそんな具合で足を運んだ次第だ」


「…………お心遣い、感謝の言葉もございません。ですが、ご覧の通り我らに変わりはありません。きっと、なにかのお間違いでしょう」


「嘘を申せ」


「――⁉」


「此処に向かう途中、モジョの森を見た。あれは確かに巨大な竜が出現し、暴れた跡であった。身の毛のよだつ破壊力、獰猛さが見て取れた」


 メリッサは額に浮いた脂汗を隠すように、やや頭を下げた。


 おかしい。手際が良すぎる。


 ラージファム領は広い。王都からは遠く交易などには不便だが、その分広い領土を与えられている。

 だというのに、何故モジョの森が現場だとすぐに分かった?

 出現し、ヒョウに討伐されてからまだ一日も経っていないのというに。


 偶然か? 飛竜に騎乗していたゆえ、上からの目視でたまたま確認できただけか? しかしラージファム領と王都の最短距離を結んでみても、その線上にモジョの森はない。

 行きがけにちょうど発見したというのでは説明がつかないのだ。


 そして何故、モジョの森の爪跡を竜によるものと断定できたのか。

 確かに場の痕跡を時間をかけて精査すれば分かることだが、いくらなんでも早すぎる。


 まるで、竜がラージファム領を襲うことを最初から知っていたかのような……。


「そなたら、何故に無事なのだ? 恐るべき竜が出現したとすれば、勇猛と名高いラージファム家の私兵団が足を運ばない筈はない。領民を護るため、怪物と一戦交えたのだろう?」


「と、仰られましても……現に我らは無事。きっと竜とやらは、モジョの森のモンスターを喰い荒らし満腹にでもなったのでしょう。そして満足した竜は我が領地より飛び去った……という処では無いでしょうか?」


 早口になりそうな舌をなんとか抑え、メリッサは独自の推理作り話を展開した。

 しかし言いながら、悪い考えに至ってしまった。


「……ふむ。ま、あり得ん話ではないな。もし巨竜を討ち果たす程の手段がこの辺境にあったとすれば、一目見ておきたかったのだがな」


 ニヤリと微笑む女王に、先程の違和感が確信に変わる。竜害の報告書を上げてきた貴族達に、共通点を見つけたのだ。


(そうですわ、彼女達もの……!)


 穿った見方を極めれば、女王は反抗勢力である彼女や自分達を竜によって排除しようとしたのでとも見える。

 甚大な被害を受けた領地は当然弱体化するし、支援を受けたのなら恩を受けたということにもなる。


 竜を撃退したとしても、その領地には強力な防衛手段……あるいは攻撃手段が隠されているということになる。

 王家へ反逆の意思を持つのは危険だが、王家を打倒する力を持つのも、為政者にとっては看過できない問題なのだ。


(けど、だとすれば王国は任意の場所に巨大な竜を放つ術を持っているという事になりますわ……!)


 悪い想像に過ぎないかもしれない。しかし、もし真実だとするなら余りに悪辣なマッチポンプだ。

 首筋に浮かぶ冷たい脂汗よりも、粘度の高い沈黙が場に漂った。


 一歩間違えれば己の身命すら危ぶまれる所に立たされていることを、メリッサは察してしまった。

 相手が早すぎた。もしくは、気づくのが遅すぎた。

 あるいはヒョウをすれば恩赦を受け、全て無かったことになるかもしれない。

 しかしメリッサは――。


「……ふむ、まあ良い。雑談はこれくらいにし、そろそろ本題に入ろうかの」


「……⁉」


 まず沈黙を破ったのは女王だった。あまりに軽く話を中断され、メリッサは思わず顔を上げる。

 女王は竜害の報告書を文官に返すと、別の報告書を受け取った。だがそれは手に持ったままメリッサに見せようとしない。


「さて本題に入る前に、余の愚痴を聞いてはくれんかメリッサ」


「愚痴、に御座いますか……?」


 なんですの……?

 ニタリと笑うイザベイラに、先程とは違う緊張がメリッサを支配した。

 嫌な予感がする。それも、もはや言い逃れすら出来ないような――。


「清水スライムは知っておるか?」


「……? は、はぁ……無論、存じておりますが……」


 モンスターでも男でもない話題に目を白黒させつつも、メリッサは頷く。

 それはメリッサでなくとも、ある程度教育を受けたものなら誰でも知っている常識だ。


 イザベイラより五代前、通称『水賢王』と親しまれた女王が居た。長く善政を敷いた彼女の、今もなお残る偉業の一つがそれだ。

 元々聡明であった彼女は研究機関にも積極的に投資し、あるスライムの品種開発に成功したのだ。


 そのスライムはあらゆる生活排水を分解し、男乳児が飲めるレベルの水にまで綺麗にする力を持っていたのだ。


 ウォータースライムを原種とするそのスライムは、有機物や無機物を区別なく餌とし、ほぼ自然物として体外に排出する機能を有していた。

 このスライムのおかげで、浄水用の高価な『魔石』も『魔道具』もほぼ不要になり、定期的な掃除も、下水道の設備もかなり簡略化出来るようになった。

 また汚水を媒介にして増える感染病も激減し、民の死亡率も大きく下がったのだ。


 文句のつけようがない数々の偉業により、『水賢王』の名は今でも広く民に愛されていた。


 ……余談だが、、独り淋しく読書している姿がとても共感できるというのも人気の理由だったりする。ほっといて差し上げなさいな。


「実は数年前にな、そのスライムの一部を更に品種改良することに成功しておったのじゃ」


「清水スライムを改良……で御座いますか?」


「そう。とは言っても基礎的な能力は変わらん。いやむしろ、スライムの寿命や処理能力が半減し、コストが倍以上に掛かるようになってしまった。おかけで財務府や民達から、税の無駄遣いと長らく言われておったわ」


 女王の後ろで『水晶』の紋章を着けた文官達が苦笑いを浮かべていた。


「無論、余とて現行のスライムを全て新清水スライムに入れ替えするような愚は犯さん。まあ一部だとしても、掛かるコストは増えてしまったのは事実だがな。なにせ民の血税。納めてくれた者達に申し訳ないからのぅ?」


「は、はぁ……」


 話が見えない。スライムの品種改良に失敗してしまったという愚痴なのだろうか?


「おっといかんいかん。どんな新機能を付け加えるのに成功したのか、まだ言っておらんかったな! なんとその新スライムはな、に強い反応を示すようになったのじゃ!」


 嬉しそうに女王は言う。


「新清水スライムが反応する物質はの、ずばり精。殿なんじゃ」


「……――!」


 背筋を刃で撫でられているような怖気がメリッサを襲う。

 予想もしていなかった話題の急変に表情と心臓とがついていけず、痛いほど強張っていく。


「元はほんの思いつきであった。どれほど巧妙に、また大切に隠された男であっても、水が無くては生きてはいけん。痕跡が残るなら、生活排水が確実だろうなと余は踏んだ」


 だがと言って、女王は大仰に頭を振ってみせた。


「忠臣達の掣肘も分かる。

『精に反応するスライムを開発したとして、それが何になる? もとより薄い濃度の精、下水道を通る頃には更に希釈されているに違いない』

『ただでさえ世で最も貴重な液体。いくら何でも、排水として流す馬鹿など居るわけがない』

『この国には幾つの下水道があると思っている? その全てに新スライムを配置するなど、コスト的にも現実的ではない』

 などなど、ここ数年は耳にタコじゃったわ……しかしな」


 そこで初めて、手に持っていた報告書をメリッサによこしてきた。簡素なグラフで、タイトルは『081番下水路』X軸には日時、y軸には反応強度の数値が記載されている。

 そして昨日の日付で、数値が極端な上昇を見せていた。


「しかし今朝方、余の大願は成就した。『財務府』と『環境府』の文官達の唖然とした顔は今思い出しても愉快じゃ」


「――――」


「数値にして、男の平均射精濃度の約314倍。希釈されてもその数値、流石に目を疑ったぞ。なんせ、数十人から数百人の殿方の精が流されたというデータなのだからな」


 聞きながらメリッサは頭を必死に回転させた。

 女王の次の流れが分かる。つまりその新スライムが、ラージファム領に繋がる生活排水の中から精液を見つけたのだ。


 でも何故?

確かにヒョウは居た。一糸まとわぬ姿になり、お互いの欲望と肉体を貪った。昨晩はお互いに部屋から一歩も出ていない。それに、彼の情動の熱液は一滴も零さずこの私が――。


(あっ)


 ・


 ――――はぁ、はぁ……すまん、メリッサ……もう、我慢できないんだ……! 水風呂に浴しようが、何発か抜いてこようが、どうにもならなかった……!


 ・


 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉ ヒョウ様、お、お、おおおおおおおお、オ◯ニーしてますわああああああああああああああああああああああああ⁉ しこたまヌいてましたわああああああああああああああああああ⁉


(わたくしと初エッチする前に、なんかメチャクチャ抜いてたっぽいですわ⁉ え? それなのにあの力強さでわたくしとを? いやん、なんて逞しさ……惚れ直してしまいますわ……って、言うてる場合かーですわ‼)


「さてメリッサ・ラージファム、話を蒸し返すようで悪いが、貴様も領主なら税の大切さが分かるであろう……?」


 優しく諭すような声が逆に恐ろしい。

 汗腺が完全に壊され、メリッサの全身を汗が濡らす。思考も脳内も空白になり、貧血を起こす寸前にまで追い詰められてしまった。


「ラージファム……貴様、大勢の男を匿い、更に納の義務を放棄しておるな……?」


 メリッサは脱してしまった。

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