第六話 貴方はこの世界の救世主ですわ!

長くなってしまいました。のんびりお付き合い頂ければ、幸いです


・ 


「ぬおおおおおおおおおお! はなせえええええええ! 約束通り腹を切らせろおおおおおおおお!」


「してませんわそんな約束! くっ、なんて力ですの! 皆さん、もっと力を入れなさいな! なんですのそのへっぴり腰は!」


 侍女の報を受け急行したメリッサ達が見たものは、上半身裸(わぁお♡)のヒョウが短剣で腹を突こうとしている光景だった。

 若い男の裸に何名かがクラクラっと来てパタリと気絶したが、何とか寸前で間に合った。

 メリッサは真面目だったが、他の侍女たちはここぞとばかりにヒョウの胸板や腹筋に抱きつき頬ずりなどして恍惚としている。へっぴり腰の原因ですわ。


 ともかく、男性を失うなんて世界の損失だ。なんとてしても回避せねばならない。

 しかも眼の前の男はただの男ではない。恩人以上、夜を共にし、一緒に朝を迎えた初めての男だ。

 メリッサにとって一生に一人しかいない大切な彼。

 そんな彼が血まみれで果てるサマは、地獄のようなトラウマになるに違いない。

 自分を優しくも激しく包んだ熱が血となって流れ出るのを目撃した時、メリッサは完全に我を失うだろう。


「邪魔をしてくれるなメリッサ! お前の散った純潔の代金に、俺の命も散らせてくれる!」


「要りませんわそんなもの! いや貴方の命は(色んな意味で)欲しいですけれど、死によって得ても何にも嬉しくはありませんわ!」


「武士の情けだ、死なせてくれ! 一宿一飯の恩義を踏みにじり、寝所に忍び込んでそのまま貴女を……情けない……これほど己を情けないと思ったのは、生まれて初めてだ……!」


 ヒョウは男泣きし、頭を深く垂らしていた。


 ……全く意味が分からない。


 メリッサ達の脳内は、大量の疑問符に埋め尽くされていた。

 なぜ男が謝る? 抱いた女に対して何故こうも慚愧に震えている?

 むしろ謝罪すべきは自分達の方だ。

 竜の血強力な媚薬を浴びせて、自ら襲わせるなど言語道断だ。ある意味、女が男を襲うよりも罪深い卑怯なヤり方だ。

 然るべき機関に訴えられれば、その日のうちに牢屋発冥府行きの切符を買う羽目になる。

 だと言うのに悪いのは自分だと言って聞かない。貞操観念逆転殿方と知った今でも、彼の言動は俄には受け止められない。


「頼む、このまま生き恥を晒すくらいなら――!」


「イき恥なら私だって掻きましたもの! だからおアイコですわ!」


「メリッサ様だけズルイです!」


「私もイキ恥をかきたいです!」


「百回くらいイキ恥たいです!」


「皆でイけば怖くないのです!」


「恥かきにイこうどこまでも!」


「貴女達ちょっと黙っててなさいな!」


 バカへっぴり腰どもは当てにならないし、ヒョウは顔中を悲涙に濡らししきりに暴れる。

 ええい、埒が明きませんですわね! 致し方ありませんわ!


「ふぅー♡」


「ぬひゃあ⁉」


 メリッサは意を決し、ヒョウの耳元に息を吹きかける。

 昨晩、墓場まで持っていこうと決めたヒョウの弱点――性感帯だ。昨晩ベッドで見つけたんですわ。

 ダンジョンや魔法の情報がそうであるように、男の性感帯の情報は高額で取引される。

 一夫多妻が全体の95%を超える現代、夫の感じるポイントを知っているというのは、妻として大きなアドバンテージだったのだ。

 情熱的な夜と良質な子種を授かるべく、妻達は熾烈な争いを繰り広げるのだ。

 子を授かれば妻としての格は確固たる物になり、もし男児を授かれば一生涯の誉れだ。


 そんなヒョウのエッチポイントを侍女たちに晒すのは断腸の至りだが、背に腹は代えられない。彼の命が最優先だ。

 果たして攻撃は命中し、ヒョウは可愛らしい声を発して短剣を取り落とした。

 ソレをすかさず蹴り飛ばし、


「今ですわ皆さん! ヒョウ様を早く!」


「「今の声、えっっっっ♡」」


「今 で す わ 皆 さ ん!!」


 抜群のチームワークで、セップクとやらを回避することに成功した。


 ・

 ・

 ・


 男を縄で縛り土の上に座らせるなど、不敬罪で処罰されるのが普通だ。

 先程のメリッサと似たような様相になっていたが、彼を取り囲む感情はメリッサの時とまるで違う。


「……落ち着いて下さいましたか?」


 そう尋ねるメリッサこそ未だ落ち着いていないのだが、自分より遥かに恐慌状態にある彼を見て、相対的に冷静さを得ることが出来ていた。


「……縄を、解いてくれんか」


「駄目ですわ。また、お腹を切るつもりでしょう?」


 ヒョウの悲壮な決意に満ちた顔を見ると胸が潰れそうだ。

 冷静になった頭で考えて、メリッサは更に頭を抱える。

 確かに、もし逆の立場だったのならと想像するとメリッサも冷静ではいられない。

 媚薬のせいとはいえ、貴族男児の童貞を奪ったとなれば、極刑どころか御家断絶、一族郎党みな殺しだ。


 だが、此処が彼にとって貞操観念逆転世界だと知ってしまえば話は違ってくるはずだ。

 確かに夜這いは予想外だったけれど、ああいう初体験もアリよりのアリでしたわ。


「いかがなさいますメリッサ様……? 正直に申してみます?」


「……」


 耳元で侍女長がそう訊いてくる。

 いっそ、貞操観念逆転世界だと正直に話してしまうか?

 一瞬悩んだが、メリッサは首を横に振る。感情と打算とが、その行動を取らせなかった。


 彼がこの世界の常識を知らないことを良いことに好き放題し、己の欲を満たした。それは貞操が逆転していなくとも許されない行為だ。

 騙された上に姦淫の罪を被せられたと知ったら、彼は激怒しこの家を去るかも知れない。


 嫌だ。ヒョウ様に嫌われたくない。もっともっと、一緒にいたい。


 メリッサは卑怯にもそう思ってしまったのだ。

 かといってこのまま放置しておくと、次は舌でも噛みそうだ。噛むならわたくしの身体にして下さいな。


(どんな手を使ってでも、ヒョウ様の命を護らねば……!)


 たとえ後世から稀代の嘘つきと罵られようと、卑劣な悪女と蔑まれようと、メリッサは嘘を貫くことにした。

 考えは未だ纏まらないが、差し当たってはヒョウのスケベの罪悪感を取り除かなければならない。


 刮目なさい。メリッサ・ラージファム、一世一代の大嘘を!


「――ヒョウ様、違うのです」


 諭すと言うより、与えてしまった誤解を謝罪するような声色でメリッサは語りかけた。


「違う……? 違うとは、何がだ?」


 おっほ、睫毛ながっ! 今すぐにドチャクソなディープキッスしてぇですわぁ……。


「はい。実は黙っておりましたが、貴方はわたくしの命を救って下さったのです」


 内心のスケベ心などおくびにも出さず、メリッサは深く頷いた。昨日までの自分には出来なかったであろうこと。華々しく初体験を迎えたメリッサは、一皮も二皮も剥けていたのだ。


「……どういうことだ?」


「結論から申しましょう。この世界の女達は、18歳を超えてもなお純潔のままだと命を落とす呪いに冒されているのですわ!」


「――な、


「「「なんだってー⁉」」」


 ――って、何故に皆も一緒に驚く⁉ 貴女達の世界の話じゃないのか⁉」


 チィッ! なんてアドリブが利かないのかしら! 嘘だってバレちゃうでしょうに!

 つい口に任せた出鱈目な話だが、メリッサは構わず話し続けた。


「わたくし、実は昨日18歳の誕生日だったのです! 故に『ああ、わたくしの寿命も残り僅かになってしまいました。いったい、いつ天に召されるのでしょう……ヨヨヨ……』と枕を濡らしておりました――ですが」


「俺が、現れた……と?」


 メリッサは力強く頷いた。


「だ、だがそれでは変じゃないか? その……18歳まで、せ、セ……ス、しないと死ぬなんて、他のメイド達はどうなっている⁉」


 セックスが言えないヒョウ様可愛すぎて淫語責めしたいですわ。


「ああいや……セクハラ的な事を言いたいんじゃなくて……経験の有無を疑っているのでもなくて、何人かは、お付き合いしたことも無いとか言ってたから……」


「もちろん、全員非処女ですわ」


 真っ赤なウソをついた。真っ赤過ぎて侍女たちも『えっ』て顔をしている。

 メリッサも、自分で何を言っているか良く分からなくなっていた。


「ただし、自前の非処女です」


「自前⁉ 自前とはなんだ⁉」


「言葉の通り、自分の手でブチ抜いたのです!」


「ぶ、ぶち……はぁ⁉」


「皆、18歳を迎える前に、こう、細長い棒のようなものでヤッたのですわ!」


「な、なんと……!」


 ヒョウは真っ赤な顔のまま呻き、驚愕の表情でメイド達を見回す。その視線は、無意識の内に侍女たちの股間を見つめている。

 メイド達は恥ずかしそうに顔を染めてスカートを抑えていた。そうそう、そういう演技力が欲しかったんですわ!

 侍女長はスカートを捲り上げて見せびらかそうとしていたから、ローキックで黙らせましたわ。


「では、あそこにいるあどけない顔をした小動物うさぎのようなメイドも……⁉」


「ウサギとは正にご賢察。彼女はウサギの好物ニンジンで呪いから逃れました」


「にんじんで⁉ で、では昨日存分に料理を振るってくれたあの料理長も⁉」


「彼女は愛用しているパスタ用の麺棒だったそうですわ。男棒メンぼうの代わりに麺棒めんぼうとはこれ如何に。うふふふっ」


「いや全然上手くないが⁉ じゃ、じゃあじゃあ、メリッサの隣で毅然と立っている侍女長も⁉」


「大根ですわ」


「だいこん⁉」


 あーたたたたたた! 侍女長が見えない角度でわたくしの御臀部を抓ってきますわー⁉ さっきのキックのお返しですの⁉


「貴方様はわたくしにかけられた呪いを、力強く打ち破って下さったのです。どうして恨む必要がありましょう?」


 ヒョウは驚きのあまり口を半開きにして固まっていた。荒唐無稽な話に理解が追いついていないに違いない。普通にホラ話ですし。


「本当は、わたくしの方から貴方様を寝所にお誘いしようと思いました。ですが、それも憚られました。なぜなら聖女候補……つまり異性経験の無い女を抱くと、呪いが男へ転写されてしまうからです。命の恩人を贄にして生きるなんて、わたくしには無理でしたわ……」


 彼の脳が冷静になる前に一気に畳み掛ける。メリッサは嘘に嘘を重ねていく。


「そんな時、貴方様がわたくしの元に現れてしまった。『生き永らえられるかもしれない』という天より垂らされた糸に、わたくしはつい縋ってしまったのです」


 ここで罪悪感(を抱くフリ)で涙を浮かべる。実際は侍女長のつねりがクソ痛かっただけだ。

 ちなみに寝所に誘おうと散々悩んだのは本当だ。ヘタれて淑女協定を結んだが、いずれは――と夢想していた矢先にヒョウがやって来て、自分を抱いてくれたのだ。

 あの情熱的な夜をメリッサは一生忘れないだろう。忘れない為にも週9の頻度でお願いしたいですわ。


「ところが、貴方はわたくしを抱いても死にませんでした。本来でしたら、聖女の呪いを転写された殿方は体中の毛穴から血を吹き出して、激痛と脱水の果てにショックで死んでしまいますのに……」


 ヒョウの顔が青くなる。

 死に方は惨く、激烈な方が自身の無事を意識しやすい。


「これは奇跡です。貴方様は我ら……この愚かで哀れな女達を救うために、異なる世界から現れた選ばれし存在!」


 メリッサは立ち上がり大きく胸を張る。そして嘘でも、嘘偽りない正直な気持ちを声に出した。


「ヒョウ様こそ、この世に降臨なされた救世主――いいえ、救主なのですわ!」


 ……。


 シン、と静まり返った庭園で皆の視線がヒョウに集まる。


(どうですの……? やっぱり駄目……?)


 生唾が乾いた舌に張り付く。己の鼓動が喉にまで響いてくる心地だ。彼の次の言葉で自分達の命運が決まるかもと思うと、全細胞が震えてくる。

 静寂は短く濃密。

 やがてヒョウは神妙な顔を上げた。その表情に、もう死相は張り付いていなかった。


「そうか……ではまさか、、本当だったというのか……⁉」


「……? いま何と……?」


「ああいや……こっちの話だ。それより――」


 ヒョウは再び深く頭を下げる。


「改めて心より謝罪を申し上げる。思えば……死で償うという楽な道を選ぼうとしてしまった。そちらの事情はともかく、恥ずべき行いの数々、どうかご容赦いただきたい」


「ご容赦など……とんでもございませんわ!」


 風向きが変わってまいりましたわ!

 メリッサは確信し、ヒョウを縛っていた縄を侍女たちに解かせた。

 だが拘束から解放されても、彼は土に座したままだった。


「……? ヒョウ様?」


 心配になって、未だ低い所にいるヒョウに向かって手を伸ばすと、その手をヒョウが優しく受け取る。

 ぎょっとして目を見開くが、男の真摯に見上げてくる瞳に何も言えなくなってしまった。

 吸い込まれそうな瞳に、メリッサは改めて心を奪われる。

 世界に自分とヒョウしか存在しないのではないかという錯覚に陥ってしまった。


「――これより、俺は貴女の剣だ。あらゆる敵を斬り払い、貴女の道を拓く。命ある限り、メリッサの傍らにいることを誓う」


「……――!」


 宣誓や誓約などの儀式的な物は、侯爵家の令嬢であるメリッサは王宮などで行われる式典で何度か目撃している。

 いずれも綺羅びやかなな衣装に身を包んだり、豪奢な剣や勲章などが付き物だ。

 ヒョウが口にした誓約は、そのいずれにも絢爛さでは劣っていた。比べるのも烏滸がましいだろう。


 だが、これが本物の誓いだ。今までのは形骸化した儀式。ただの偽物だ。

 彼が、ヒョウだけが本物の誓いを魅せてくれた。

 周りの侍女達からは嘆息が――ではなく舌打ちが聞こえてくる。

 抱いてもらった上に騎士の誓いごっことか、わりゃぶち殺すぞ私と代われボケカス。と聞こえてくる。


 胸が詰まって声が出ない。感動と、少なくない罪悪感とに情緒を押し流され、メリッサの口は動いてくれなかったのだ。


 今ならまだ引き返せる。そう彼女の理性が告げてくる。だが――。


「誓い、しかと聞き届けましたわ。これより貴方を我が第一の剣とし、またラージファム家唯一の執事に任命いたします。どうか末永く、よろしくお願いしますわ」


 ヒョウの罪悪感の為だなんて言い訳はしない。メリッサの魔の道を歩む決意はとうに固まっていた。

 乳が分厚くてよかった。チクチク痛む胸の内が透けなくて済む。


「……さ、堅苦しい話は此処までにして、朝食に致しましょう! 今朝も、料理長が腕のよりをかけましたの!」


 言うとヒョウは緊張の頬を緩め、恭しく会釈する。


「先にお召し上がり下さいメリッサ様。執事に任命されたばかりなのに主人とご相伴なんて、身の程知らずにも程があります」


「もう! 敬称も警護も不要だと昨日も申したでありませんか! わたくしの事はメリッサとお呼びくださいな! わたくしも貴方をひょ、ひょ、ひょっひひょひよよよよ、ポゥとお呼びしますわ!」


「いやだから言えてま……言えてないって。じゃあメリッサ様と呼ぶのは公の場とかにする。それまで、礼儀作法とか覚えないとな」


 ざっくばらんな殿方と、礼儀を重んじる殿方を両方味わえますのね⁉ ふひー! 辛抱たまりませんわ!

 そうだ、これだけは言っておかないと!


「ああそれと、呪いについてですが……まだ完全に祓われたとも、ヒョウ様に転写されなかったとも言い切れませんわ。、今後もわたくしとだけ寝所を共に――」


「う、うぐー!」


「「⁉」」


 呻き声が侍女長の物であることは直ぐに分かったが、いったいどうしたというのか。突如、彼女は胸を抑えてその場に蹲ってしまった。

 メリッサとヒョウは慌てて駆け寄り、周りの侍女たちも驚いた顔で走り寄ってきた。


「侍女長⁉ どうしたのです侍女長!」


「の……!」


「の⁉」


「呪いが……再発しました……!」


「の……のろい……? はて、のろいとは……?」


「メリッサなんでピンと来てないんだ! 聖女の呪いだとさっき言ってただろ!」


 あっ! そうでしたわね!

 えっ⁉ なんで⁉


「うぐー! やはり大根では無理がありましたか! く、くるしー!」


「しっかりしろ侍女長! どこだ! どこが痛いんだ⁉」


 いやいや、呪いなんて無いのですから、彼女のそれは真っ赤な仮病ですわ。 

 しっかし演技下手クッソですわね……これでは役者ですわ。

 それに騙されるヒョウ様もヒョウ様ですが……そんな純朴なところも、しゅき。


「そうだ、とりあえず衛生兵を――」


「必要ありません」


「⁉」


 狼狽に立ち上がろうとしたヒョウの手を掴む侍女長。

 有無を言わせない握力が彼の手首をメキメキと軋ませた。どう見たって体調不良の患者が出せる筋力ではない。


「さすってくれたら良くなります」


「は? あ、そ、そうか……えっと、背中で良いか……?」


「待ってました」


「え?」


「治療を待ってましたという意味です」


 こ、この女ー! 呪いウソを利用してヒョウ様とスキンシップを図るつもりですのねー⁉ なんて卑怯なのかしら!


(でも、わたくしが言い出した手前、お止めなさいとも言えませんわ……!)


 葛藤に苦しむメリッサの前で、ヒョウが侍女長の背を優しく撫でる。

 昨日、自分を悦ばせてくれた手が今は違う女の身体に触れている。メリッサは胸の奥に妙な気分が湧き上がるのを感じた。

 良く見れば、周りのメイド達も血走った目で二人の様子を見守っている。


「はぁ……はぁ……だ、だんだん良くなってきました……もっと強く……出来れば、服の中に手を突っ込んで下さい……」


「服の中に……⁉ え、えっと、こう、か?」


「んんっ、お、お上手です……! 流石は救性主様……さ、そのままブラのホックを外して……次は下を……こう、お尻を擦って頂けませんか……? もちろん、下着の中に手を入れてから――」


「あっ、貴女! 調子に乗るのも『うぐー!』――⁉」


 我慢の限界に達したメリッサの声よりも、大きな呻き声が周りから上がった。侍女たちが突然苦しみだしたのだ。


「く、くるしー!」「ま、ママー!」「マッサージしてくれなきゃ死ぬー!」「むしろヒョウ様の身体をマッサージしないと死ぬー!」「あっ、それいい!」


 ラージファム家は恥知らずの温床ですの⁉


「ちょっと待ってくれ! いきなりこんな数……いくらなんでも俺だけじゃ対処出来ないっていうか……」


「では、呪いの酷い順に治療してもらいましょう。一番目は引き続き私、最後はメリッサお嬢様ですね」


「えっ」


「異議あり! 手遅れの方は後回しで良いかと思います!」


「まだ18になっていないから先に行うべきです! 治療より、予防を優先すべきかと!」


「感染症じゃないんだから治療に重きを置くべきに決まってるでしょ! ケツの青い小娘共は引っ込んでろ!」


「聖女招集通知をドヤ顔で破るチャンスなのよ! あと10年はあるんだから我慢してなさい!」


 あわわわ……! 世にも醜い年功序列社会が生まれてしまいましたわ……!


「貴女達いい加減になさいまし! ソレ以上、ヒョウ様の前で恥を晒すようなら――」


「「メリッサ様抜け駆け非処女ビッチはすっこんでろ!」」


「と、とんでもないルビで罵倒されましたわー⁉」


 それから『チキチキ! 誰が一番悲惨な呪いかレース! 〜ポロリしても良いよ〜』が開催されてしまいましたが、侯爵家の黒歴史になったのは間違いないので割愛させていただきますわ。


 ・

 ・

 ・


 同時刻、メンヒデリ王国、王都ナシタマの王宮にて――。


「陛下! 陛下はいずれに御座おわすか!」


 見た目は十代後半から二十代半ばの女性――実年齢は40歳過ぎ――の女が、絢爛な廊下を小走りで駆け抜けていく。時折ずれ落ちそうになる眼鏡をかけ直しながら、女性は宮殿の中を急いだ。

 国の宰相である彼女は今日も眉間に深いシワを寄せていた。

 やがて侍従の一人から居場所を聴くと、勢いのままその一室に飛び込んだ。


 入室した彼女を迎えたのは甘ったるい女の臭いと、香ばしい男の臭い。まだドアを残しているというのに控室にまで及ぶのだから、中はさぞ……と、宰相は辟易する。


「失礼いたします! 陛下、一大事に御座いますぞ!」


 それでも彼女は最後のドアを開け、毅然とした態度で入室する。先程の数十倍にもなった淫臭が鼻を刺激するが、顔色一つ変えない。内心の変化はともかく。


「おお、宰相。貴様はいつも大事を抱えておるのぅ。なんぞ、運命から恨みでも買ったか?」


 宰相を声だけで迎えたのは、裸の美しい女だ。

 国王イザベイラ・ナガック・メンヒデリは、十人は座れそうなソファの中央で長い脚を組み、若く豊満な身体を隠そうともしない。


「そう働き詰めでは老いも始まってしまうぞ? どうだ、こっちへ来て一緒に愉しまんか? 実は我が娘が改良した竜の血が、凄まじい効能でのう……」


「喜んで! ……というのは冗談で、今はソレどころじゃ御座いません!」


 王の側には裸の男達が付き従っており、両脇の二名は大団扇で彼女を扇ぎ、二名が彼女の肩を素手で揉みほぐし、もう二名は彼女の大きな胸を優しくマッサージしている。

 が一息ついたのだろう、彼女の白い肌には玉のような汗が浮いていた。


「ほれほれ、手が止まっておるぞ。もっと労わんか」


 イザベイラは更に身体を背もたれに預け、男達に肉体を晒す。

 長い脚、引き締まった腰、くびれたウエスト、豊満な乳房を眼の前にし、男達は疲弊した顔を引き締める。

 王の肉体をマッサージする彼らの手には、毒蜘蛛を素手で触るかのような恐怖と緊張が見えた。


「んん……ふふっ、極楽極楽……して、大事とはなんだ? ははぁ、竜の被害が報告されたか?」


 王の一言で羨望と辟易に沈んでいた宰相は我に返る。男達の裸体を記憶層に留める為とはいえ、言うべきことを忘れてしまうのは宰相失格だ。


「それも御座いますが……まず何よりコチラを」


 宰相は咳払いし、本題に入る。

 歩み寄り、手に持っていた報告書を陛下に渡した。途中、ビクビク震える男達を横目で盗み見るのも忘れない。


「……物々しいのう、財務府と環境府の連名か。どれ、内容は……――ッ」


 面倒くさそうに受け取った女王の顔が、一瞬にして驚愕に染まる。


「なんじゃこの数値は……! これは真か⁉」


「何度も精査いたしました。データに狂いはありません」


 環境府の職員数名が、海へ飛び込もうと画策していたことは伏せた。

 彼女達が海に辿り着く頃にはとっくに手遅れだろうとも思うが、あの数値を見てしまえば無理もない。


です。恐らく、数十名から数百名の男が現れました」


 宰相は断言する。

 たった一夜の内に突然男が現れた。ありえない話だが、そう結論づけなければとても説明がつかない。


「記載の通り、環境府と財務府が調査団の派遣を要請しております。いかが致しましょう?」


「そんなもの幾らでも用意してやる。すぐに支度せよ! 余も行くぞ!」


 イザベイラは長身を勢いよく起こし、風を纏うような早さでガウンを肩にかける。

 そのまま袷も帯も締めずに、大股で部屋の外に向かった。廊下に出ても裸体は惜しげもなく晒されたままだ。


「お、お待ち下さい陛下! 行き先がまだ――」


「見当はついておる。川の上流に気になっていた領地があるからな。どのみち、いずれ行こうと思っておったところだ。竜害の報告書を見せよ」


 小走りで追ってきた宰相から、もう一つの書面を受け取る。宰相が持ってきた要件のうちのもう一つ、昨晩までに確認された竜による被害の報告書だ。

 その報告書の中に、ある領地からの物がことを確認し、イザベイラはほくそ笑む。


「ラージファムめ……財宝おたからの独占は許さんぞ……!」


 女王は獰猛に笑い、赤い舌で己の唇を一舐めした。

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