第五話 たとえこの身が……ですわ!
「なにか言い残す事はございますか、メリッサ様」
「……」
夢の朝チュンを迎えたメリッサに待っていたのは、審問の現実だった。
屋敷の最高権力者であるはずの彼女は床に正座し、侍女達がソレを睥睨している。360度、何処をどう見ても逃げ道など無かった。
昨日、あんなに盛り上がったバンケットルームだが、今は霜が下りてしまうほどに寒々しい。
メイドが館の主を見下ろす。普通の貴族達なら処刑もやむ無しの状況だが、メリッサも侍女たちも最早そんな事を言っていられる精神状態では無かった。
「…………」
メリッサは俯いたまま一言も喋らない。
口を閉ざしているのは、抜け駆けしたことが後ろめたいから――ではなく、
「ふひっ……ふひひひひ……!」
「あー⁉ メリッサ様いま笑った!」
「わ、笑ってなどおりませんわ! これはただ我が身の行く末を案じていひゅっほほほほほっ」
「もっと隠す努力したらどうですか!」
堪えても堪えても、次から次へと笑みがこぼれていく。
メリッサを取り囲む現実と、彼女の内面とでは大きな乖離が有った。
総勢50名からなる侍女たちの嫉妬と怨嗟の視線に突き刺されても、彼女の心は薔薇色だった。
自分は大人の女になったのだ。
自らの手で故意になどではなく、正真正銘殿方の手で純潔を散らせた。
メリッサは確率にして2%しか無い稀有なグループへの仲間入りを果たしたのだ。
しかも普通の行為でないことは明白。
逞しい肌。分厚い胸。肌が触れ合う感覚。全身にキスされた時の切なさ。そして、女には無い凄まじき剣の熱さ。
健康で精悍でエッチでしかもメリッサの事を好ましく思っている男に果てる陶酔感、そして男が自分で果てるという達成感。
怒涛のような快感は、今までの不遇な人生を全て帳消しにするどころか、お釣りで豪邸が建つほど強烈だった。
下品な言い方をすれば、めっちゃ気持ちよかったですわ。こんなの、国王陛下ですら体験したこと無いに違いありません。
向こう100年間、誰にも誕生日を祝って貰わなくても充分な贈り物を貰ってしまった。ニヤニヤもやむ無しですわ。
「ニヤニヤしてないで、私達に謝罪とか弁明とか無いんですか!」
「ゆうべはお楽しみでしたわ!」
「「誰が自慢しろと言った⁉」」
こんなに腹の立つ自己申告が未だかつて有っただろうかと、メイド達は石でも投げつけんばかりに目を怒らせている。
男に抱かれた事の無い者だけが石を投げつけなさい。全員で投げるわボケが。
「裁判長! 埒が明きません! どうか処断を!」
取り囲む侍女達の中から裁判長――侍女長が姿を表した。
足音もなく現れた彼女は、まるで幽鬼のような気配をまとっていた。気のせいか、侍女長の体を蜃気楼のような力場が覆っている。
気配より何より、その顔が幽鬼そのものだった。
眼球は充血し、瞼は腫れ上がり、目の下の隈がとんでもないことになっていた。
よく見れば他のメイド達も凄い隈だったが、侍女長のは桁が違う。
「あ、あの……侍女長? なにかすんごい顔しておりますけど……」
「あ?」
「ひぇっ」
普段の300%増しの殺気に吹かれ、メリッサは忽ち縮み上がった。
「この顔ですか……? ああ、そんな表情じゃ男にモテないって言いたいわけですか」
「い、いえ……決してそんな意味じゃぁ……」
「お黙りなさい」
黙るしか無い。何を言っても火に油だ。
「お嬢様……お忘れかも知れませんが、昨晩は有事に備えて我々メイドも屋敷の寝具に身を休めました」
「はぁ……」
侍女達は普段、屋敷から少し離れた宿舎で寝泊まりしている。
基本二〜三人部屋だが、ベテランの侍女にもなると個室を与えられている。
また、一部の侍女達は交代で屋敷の警護に廻り、屋敷内にある近衛部屋で夜通し待機するようになっていた。
だが昨晩は特例により、全メイドが屋敷に集まっていた。
普段は使われない客室などに身を寄せ、そこで身体を休めることにしたのだ。
表向きは巨大な竜などを警戒しての事だが、本当は男と同じ屋根の下に居たかっただけだ。
なんせ、ワンチャンあるかもしれないし。
夜食に誘ったり、お風呂でラッキースケベに遭遇したり、「あっ♡ 部屋間違えちゃったー♡」なんて言って夜這いに出掛けたり、あるかもしれません。と期待していたのだ。
期待していたのに。
「そしてお嬢様。私の部屋は、貴女の隣でした」
「はぁ……………――あっ」
察して、メリッサは侍女長の顔を……そしてメイド達の顔を見回す。
……なるほど、全員もれなく寝不足ですわね。
夢心地のメリッサはようやく合点がいった。確かに逆の立場だったのなら、自分も正気ではいられなかったであろう。
「ヒョウ様が遅くまで何かゴソゴソしているのは存じておりました。浴場へ赴き、身体を流していることも知っておりました。何度、背中を流しに乱入しようかと思ったか分かりません」
ゴチャゴチャ考えず、突撃すれば良かったと侍女長は続けた。
「それからしばらくの後、彼の足音がコチラに近づいてきているではありませんか。故意に音を潜める足遣いには、隠しようもない淫気に満ちておりました」
思い出したのか、侍女長は恍惚に目を潤ませる。だが直ぐに瞳の光彩を消した。
「屋敷で初めてあった時、ヒョウ様が私の胸や臀部に視線を寄越していたのは知っていました。嫌悪ではなく、欲情であることもすぐに分かりました」
メリッサほどでは無いが、大きな胸を侍女長は寂しげに揺らす。
「足音がこの部屋に近づくのを感じ『これはもしや……⁉』となった私の気持ちが、お分かりになりますか? まさか、遂に、この時が来たのか! と、ベッドの中で狂喜に震えました。急いで
足音は私の部屋に来る前に消えてしまいました。
「それからしばらくして……隣から、ギシギシアンアンと……」
メラメラと、侍女長の髪が炎のように揺らめいていく。
「私が……!」
「あ、あの、侍女長……?」
「私の方が好きだったのにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
で、出たー⁉
侍女長は普段の沈着さのかけらもなく、地団駄を踏んで泣き喚き始めた。
共感するように、他の侍女達もしきりに頷いている。中には泣きながらハンカチを「キーッ!」としている者もいる。
そういうハンカチの噛み方する方、初めて見ましたわ。
「ぜったいぜーったい私の方が先に好きだったんです! 屋敷で初めてお見かけした時から、『あっ、この人私の運命の男の子だ♡』ってなったんですもん! なのに、メリッサ様が、メリッサ様が……私の初めての男を寝取ったんだあああああああああああああ! うわぁあああああああああん!」
「ちょ、ちょっとお待ちなさいな! ヒョウ様と出逢ったのはわたくしが先でしたわ! わたくしだって、森で助けて貰った時には『コロッ♡』って恋に堕ちてましたもの! わたくしが誰よりも先にヒョウ様を好きでしたわ!」
「早いとか遅いとかの問題じゃないんですメリッサ様!」
「早いとか遅いとか言い出したのは貴女の方ですのに!」
「私だって……エッチで経験豊富な年下の男の子に優しく激しく抱いてもらいたかったのにぃいいいいいい! お嬢様が一服盛ってヒョウ様をベッドに引きずり込んだんだぁああああ! 卑怯者! 何が竜の血じゃいバカタレ!」
「一服盛っただなんて、ご、誤解ですわ! それにヒョウ様は経験豊富ではなくて、昨日まで童貞――あっ」
「「「あ?」」」
ラージファム家の侍女達はだいたい童貞厨だった。
「この
「「よっしゃあ!」」
「何がよっしゃですの⁉ 貴女達おやめなさいな! ここは一度冷静になって――」
「たとえこの身がどうなろうと構いません……! いざとなれば、お嬢様と散ってご覧に入れます!」
ひー! ふ、普通じゃありませんわー!
「くっ……ここは一時撤退ですわ! ごめんあそばせ!」
勝ち目なしと踏んで、メリッサは脱兎のごとく駆け出した。
完全に包囲されているが、私兵団の長を勤めるメリッサは戦闘侍女達の実力が把握できていた。包囲網の層の薄い部分は既に目星を付けていたのだ。
メリッサは、身体を砲弾のようにして吶喊した。
つもりだった。
よた、よた、よた、よた、よた!
「「とったぁあああ!」」
「あー⁉」
ガニ股で逃げ出したメリッサはあっという間に捕まった。諸事情により、彼女の機動力はゴミみたいなことになっていた。
「脱がせ脱がせ!
「おお⁉ なんじゃいこのキスマークの嵐はよお⁉ どんだけチュッチュされたんじゃいワレェ!」
「はぁ……! はぁ……! こ、ここでメリッサ様と
「貴女達、いったい何処の出身ですの⁉ というか一人やばいのがおりませんかしら⁉」
メリッサはあっという間にショーツ一丁にされ、床に転がされた。
彼女の若く豊満な裸体には、多くのキスマークと男の薫りが残されていた。忌まわしい事この上ない。暴れる大きな乳房に何人かはビンタをしていた。
「やりますよ皆さん! お嬢様を徹底的に磨き上げ、ヒョウ様の痕跡を消し、昨晩の事は無かった事にするのです!」
侍女長の号令に、メイド達は勇ましい
「な――! それが狙いでしたのね⁉ こんちくしょうですわ、洗われてたまるかですわ! わたくし、もう一生お風呂に入らないと今朝決めたのですわ!」
「『
「ぎゃああああああ! 生活魔法の雨あられですわあああ! お、おのれぇ……! たとえこの身を綺麗にされようと、心まで綺麗にすることは出来ませんわ!」
「「最低ですメリッサ様!」」
数分後、床にはピカピカになったメリッサが転がっていた。
・
「お楽しみのところ申し訳ありません!」
新品の部屋着に着替えさせられ、未だ怒りの収まらぬ侍女達に囲まれているメリッサのもとへ、一人の侍女が飛び込んできた。
「貴女、これが愉しんでいるように見えるの「構いませんわ! 申しなさい!」」
侍女長は舌打ちするが、糾弾劇の幕間チャンスは見逃せない。メリッサは毅然と(少なくとも自己評価では)立ち上がり、急を告げた侍女へ続きを促した。
何はともあれ、皆が頭を冷やす時間を設けられるならそれに越したことはない。
あとは時間が解決してくれることを願うばかりだが、彼女達の憤怒具合を見るに一日二日では無理だろう。
いっそほとぼりが冷めるまで、隠れ別荘などへヒョウ様と逃避行などしたほうが良いのではないか? そうしたら、毎晩毎晩わたくしはヒョウ様と――ふひひっ。
だが侍女の次の言葉は、楽観的だったメリッサから冷静さをまるごと奪い去ってしまった。
「ひょ、ヒョウ様が……! ヒョウ様が、身を切って、じ、自害をぉ……!」
メリッサも侍女達も、頭が冷えすぎて死を連想した。
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