第13話
引っ越し業者の青い制服を着ながら、台車をガラガラと転がす。恰好が落ち着かなくてしきりに帽子の鍔を触ってしまう。
「ど、どうしてこんなことに…?」
唯の決意表明を聞いてから十分、事態は訳の分からない方向に進んでいた。
ロビーに入り、唯が暗証番号を押してドアを開けたとき、管理人にそれを見咎められた。この時点で退けばよかったのだが、彼女は反射的に気絶させてしまった。
人に見られてはまずいと、管理人室の机の下に体を押し込んで隠した。しかしその最中、運悪く引っ越し業者までが部屋に入ってきてしまった。作業する前か、している最中か、なにかしら管理人に確認することがあったのだろう。
騒ぎ出す前に鳩尾に拳を捻じ込み、悶絶している間に彼女がまた気絶させた。部屋の中にあったロッカーの中に詰めているときはもう二人とも泣きそうになっていた。
管理人に遭わば管理人を殴り、業者に遭わば業者を殴るという超絶ガバガバプレイである。ステルスゲームだったら間違いなく最低評価になるだろう。
「無策で突っ込むのは危険って自分で言ってたのに、なんで正面から入ろうとしたんだよ!?」
「だって番号覚えてたんだもん!押したくなっちゃってもしょうがないでしょ!」
昨日早乙女というあの少女に触れたときの影響で断片的に覚えていたらしい。だが押す理由にはまったくなっていない。
「番号押しただけで引き止められるなんて思わなかったもん!」
「住んでないヤツが入ってきたら変に思われるに決まってるだろ!」
「なんですぐに分かるの!?おかしい!おかしい!」
「キミの頭の色は目立つんだよ!」
「あ!金髪差別!翼嫌い!!」
意気揚々と組んだコンビは秒で崩壊しかけていた。これはまずい。警官に触れて捜査情報を奪うのが目的なのに、まだスタート地点から半歩しか進んでいないではないか。ここは冷静にならなければ。
「その、少し言い過ぎた。ごめん」
拗ねてそっぽを向いてしまった唯の肩を叩くが、フンと鼻を鳴らすだけで返事が返ってこない。反抗期が来てしまったみたいだ。
「あの怪物を止めるために来たんだろ。ここで閉じこもっていてもなんにもならない」
「…なら翼が考えて。人に文句言ったんだから、自分はうまくやれるんでしょ?」
「…え?オレ?」
考えろと言われても、誰にも怪しまれずに敷地内を歩く方法なんて思いつかない。管理人を排除したおかげでマンション側の人間から通報される可能性は少なくなったが、警官からは不審に思われる可能性が高い。野次馬だと思われて追い出されでもしたら、次近づくときに警戒されてしまうだろう。それはなるべく避けたい。
唸りながら、首を捻っていると作業員の男が被っていた帽子が目に入った。
眠っているお兄さんの制服を追いはぎの如く奪い取り、唯の小柄な体を段ボール箱の中に詰めて台車に乗せた。完璧な変装だ。この格好なら自由に行動できるはず。
唯は「台車が冷たい。息苦しい。暗い。馬鹿みたい」と散々文句を言っていたが馬謖を切る思いで無視した。作戦の成功には犠牲が必要なのだ。
彼女の分も作業服があればよかったのだが一人分しかなかったし第一サイズが合わないだろう。選択の余地はなかった。
しかし、ここはうちと比べてかなり広い。ロビーには机とソファ、それにテレビ、周囲の風景を模したジオラマまで置いてある。オレ達のマンションなんてインターホンと郵便受けがせいぜいなのに。
ロビーの大きさに比例して、部屋の数も多い。一フロアごとに二十部屋以上ある。殺人が起こった場所を唯が覚えていなければ、長い間迷うことになったかもしれない。
件の現場は九階のエレベーターを降りて、右を進んで二つ目の分岐点を左に曲がった先にあった。
「人多いなあ…」
鑑識官と思われる人間が玄関のドアを開けたまま作業している。話し声や足音から察するに五人は超えているだろう。
侵入経路を調べているのか鍵穴やドアノブなどにも目を凝らしていた。このままでは玄関先に近づくことさえできない。どうしたものかと様子を窺っていると、体格のいい男がなにやら深刻そうな表情でこちらに向かってきた。外の空気を吸ってくると言ったのが辛うじて聞き取れた。休憩をとりにいくみたいだ。
「お尻冷たい。体痛い。しんどい。早く出して…」
「静かにして。人が近づいてきてる!」
コツコツと重たい足音が近づいてくる。やり過ごすために屈んで作業をしているふりをした。横目で窺ったが男はこちらにまったく意識を割いていなかった。
チャンスだ。事件の捜査担当が一人で出歩いている。記憶を読むなら今しかない。
ある程度距離が離れたと同時に立ち上がり、後を追う。男はきびきびとした足取りでエレベーターに入った。一緒に入ろうか迷ったがやめておく。あからさまに近づいたら不審に思われるかもしれない。顔を見られないよう、不意打ちで勝負を決めたい
扉が閉まり切った後にエレベーターの階数表示を見てみると、一階に降りて行ったことが分かる。オレ達も遅れて二台目のエレベーターに乗った。
外に出てしまっていないことを祈りながら降りてみると男はソファに座って頬杖をついていた。疲れたような表情で虚空を見つめている。
辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。今ならいけるはずだ。
「唯、もう段ボールから出て。あの人の記憶を読むんだ」
「…あの人ってどの人?前も見えないのにそんなこと言われても分からない」
「いいから出なさいって…」
「なあ、君」
低い声が壁に反響した。声を出したのが男で、かけられたのが自分だということに遅れて気づく。
男はいつの間にかオレの方向に顔を向けている。
「オレ、ですか…?」
「さっきの彼はどこにいったんだ?随分若いように見えるが…」
「…えっと」
さっきのというのは気絶させたあの人のことだろう。この男は作業員の顔を覚えていたのか。職業柄人の顔を覚えるのは得意らしい。
どう返せばいいものか迷っているとき、唯が小さな声で耳打ちする。段ボール箱の中からなのだから耳うちとは言わないかもしれないが。
「…お昼休みに行ってるとかは…?」
「昼休みに、行っちゃったみたいです…」
男はそれを聞いて一度瞬いた後、興味をなくしたように顔を背けた。
「年下に仕事任せて自分は休みか…?俺も人のことは言えんけどなあ…」
「あはは、酷いですよね本当」
本当は腹を殴られ、ロッカーに詰め込まれているだけなのだから彼に罪はない。というか悪いのは疑いようもなくオレたちの方だ。今もパンツ一枚でロッカーの中にいる彼に謝罪の念を送った。
「君、ちょっといいか」
「はいっ!?」
「ふぎゅっ!?」
今度こそ男に唯を近づけようと段ボールを外そうとした瞬間、また声をかけられた。慌てて立ち上がりかけた彼女を強引に元の体勢に戻させる。珍妙な悲鳴をあげたが、今は謝まる余裕がない。
「…変な声聞こえなかったか?」
「ね、ネコの鳴き声かなにかじゃないですかね」
ペット扱いされたことに不満だったのか、段ボールをがたがたと揺らして怒りを表現する唯。それをなんとか抑え込む。
「ここペット禁止だった気がするんだが…まあいいや。突っ立ってないで座ったらどうかな?俺はすぐ戻るから気にする必要はない」
「…じゃあ遠慮なく」
男は顎で向かいのソファを指示した。正直こんな怖そうなおじさんと向かい合って座りたくないのだが、近づくのに都合がいい。それに相手も善意で誘ってくれているようだし。
さりげなく唯を乗せた台車を男の背後に置いておく。これなら合図を送れば容易に彼を気絶させることが出来るだろう。
改めて間近で見ると体格のいい男だった。耳が潰れていることから柔道かなにかを相当やりこんでいたのが分かる。首も丸太のように太い。夜道でうっかり会ったら怖い思いをしそうだ。
浅黒い顔からは強さと知性を感じさせる。険しい表情を長く続けているせいか眉間には深い皴が刻まれていた。顔も体も岩か鋼でできているみたいな男だった。
「…すまないね。仕事だというのに邪魔をして。公僕があちこちうろついているせいで集中できないだろう」
「そんなことはないですよ。酷い事件なんだしすぐに解決しないといけないのは分かってますから。オレ…じゃなくて僕達の迷惑なんて気にしないでください」
まあ、この服の本当の持ち主はどう思っているか分からないが。
「それはありがたいが今のところ成果はゼロだ。上は張り切っているが現場の連中はやる気を失っている。迷惑がられた方がこっちとしては気が楽だな」
男は自嘲気味な笑みを零した。なんと返したものか。
「すまない。愚痴を聞かせてしまった。忘れてくれ」
「いや、お気になさらず。犯人の手がかり、見つかるといいですね?」
そう言うと男は目を丸くし興味深げな視線を投げかけた。変装していることがバレたのかと身構えたが、そうではなさそうだ。
「…オレの顔に何かついてます?」
「そうではなくてね。君、今犯人と言ったのか?」
「言いましたけど…それが何か?」
「いや、不思議に思ってね。世間では怨霊だの呪いだの、騒がれているというのにそれでも君は人がやったと思っているのかい?」
ああ、それを疑問に思ったのかと得心する。確かにオレ達も最初は人がこの事件を起こしているとは考えもしなかった。そうかもしれないと思い至ったのは唯の直感とオレ達自身の体質のおかげだから、少し突飛な発想に聞こえたかもしれない。
その二つの根拠抜きで、どうやって人の犯行だと確信を持てるのだろう。唯じゃなくオレ自身はどう思っているのだろう
少しの間目を瞑って考え、正面の男の顔に向き直った。
「…犠牲になった人たちのことはよく知りませんけれど、呪われたり祟られたりするほど悪いことをやったとは思えません」
昨日会った早乙女という少女。少しの間しか縁はなかったが普通の子に見えた。人である以上なにか間違いは犯していたかもしれないが、命まで奪われる程のことではないと言い切れる。
「いや、彼女らは皆過去に重大な罪を犯しているよ」
「…は?」
「…今のは冗談だ」
にこりともせずに男は発言を訂正した。どこか掴みどころがない人だ。
「笑えませんよ、それ」
「すまない。しかし君の考えは面白いね。確かに彼女たちのような人間ですら生きるに値しない罪人だと判断されてしまうのであれば、刑務所は今頃死体置き場に生まれ変わっているだろう。私の上司も何人か首が飛ぶかもしれない。因果応報という観点で考えると彼女らの死は理不尽この上ない」
そこまで過激なことは考えていないが、言いたいことはそんなようなものだ。本当に怨霊だというならその恨みは然るべき人間に向けられるべきだ。無作為に出会った人間を殺すだけならそれはただの災害だろう。
「…俺も君と同じように人の仕業だと考えている。だけど、理由が少し違う」
教え子を諭す教師のような口調だった。
「いつの時代も殺すために殺すのは人だけということだよ。熊や虎などの動物も人の命を奪うことがあるが、それは殺したいからじゃない。腹が減ったから、自分のテリトリーを侵されたから、殺すのはその結果であって目的じゃない」
例外はあるみたいだけどね、と小さな声で補足した。
「胸糞悪い死体は何度も見てきたが、今回のは相当だ。ああいうものを作るのは人間だけだよ」
言い終わって男は目頭を揉んだ。今まで見てきた惨い光景を思い出しているのだろうか。ただ単に疲れているのだろうか。その両方かもしれない
「…仕事に戻らなければ。実のところ俺も自信を失いかけていてね。犯人なんていないんじゃないか、人の力ではどうしようもないことなんじゃないかと弱気になっていた。君のおかげで少し活力が戻ったよ。ありがとう」
「いえ、そんなこと。頑張ってくださいね。無理のない範囲で」
「…はは。それこそ無理というもの…だ……ょ」
苦笑いをした男の顔から表情が突然消えて、声が段々とか細くなっていく。大丈夫かと呼びかける間もなくソファに倒れこんでしまった。
突然の出来事に困惑している真っ最中のオレの脳味噌に更なる負荷がかかる。段ボールを頭に被りながら自信満々に胸を張る謎の怪人が現れたのだ。
「へ、変質者!?」
「被せたの翼でしょ!?もう忘れたの!?」
思わずファイティングポーズをとったオレに対し、怒声を上げながら段ボールを取り外す唯。会話に夢中になって存在を忘れていた。
「この人の記憶を覗くのが目的なのに…それも忘れてたお喋りに夢中になっていたわけじゃないよね?」
「まさか…」
笑いながら頭を振ったオレに冷たい視線が突き刺さる。やはり嘘は通用しないようだ。
「とりあえず運ぼうか。場所はどこにしよう?」
「…さっきと同じでいいんじゃない?」
「分かった」
刑事の体を持ち上げる。見た目に違わず骨と肉がぎっしりと詰まっているのが直接触れてみてよく分かった。唯とは比較にならないほど重い。
「ようやくこの服を脱げ…」
「黒谷さーん!すぐ戻るって言ったのに全然戻ってこないじゃない…です…か?」
「…る」
いつの間にかジャンパーを着た若い男がエレベーターの前に立っていた。話しぶりから察するにこの刑事の部下だろう。その目は有り得ないものを見ているかのように見開かれ、口もポカンと開いたままになっている。
オレ自身も思考が完全に停止した。だってそうだろう。気絶した男一人担いで連れ去ろうとしているんだ。言い訳なんてしようがない。
「……アハハハ」
「お、お前…」
爆発寸前のダイナマイトのような、危うい空気が辺りを支配している。何か少しでも動いたり、音をたてたりすれば状況は一気に進んでしまうだろう。
「唯、逃げよ」
視線を向けると彼女は段ボールの中にすっぽりと体を隠していた。すっかり使いこなしている。どうやらオレだけに罪を背負わせるつもりらしい。
「ひー!ごめんなさい!」
「おい!待て!!」
今日が娑婆の空気を吸える最後の機会かもしれぬと覚悟して、男の体を放り投げ、全速力で走りだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます