第12話 最萌!ダークサイドヒーロー!
「―――やめよ、葛彦(くずひこ)」
ザアアアァッと。
銀(しろがね)の雨が如く降り出した、千を越えようかという針を止めたのは、青い炎に包まれた祥太郎さんの『腕』と、凜としたまさに鈴色(すずいろ)の声だった。
しかしあたしの視線は一点だけに集中していて、針が肌を刺す寸でのところで停止していることにすら、気付けない。
だって。
今、あたしの目に映っているのは―――
張り裂け破れたスーツの袖から伸びる、明らかに人為らざる形の夫の『右腕』だ。
つい昨日まであたしの頭を撫でてくれた祥太郎さんの手は、今や何倍にも大きさを増し、さながら巨大な熊手を掲げたように、夜空に向かい突き出されている。
袖が破けたのは、恐らく質量に耐えきれなかった為だろう。
……羽根の次は、腕ぇーーーっ!?
ぱか、と。まるで腹話術の人形が口を開けた時みたいに、あたしの顎が落ち、口内に空気が入り込む。唾液が乾いていく感じがした。
確かに、背中から黒い羽根が生えている時点で、なんだか色々と突っ込みどころはあった。
だけど聞く必要があるとは思わなかったのだ。どんなであれ、祥太郎さんは祥太郎さんだし、あたしの旦那様なのだから。
しかしまさか、その突っ込み要素が後から増えるとは、よもや思わなかった。
今、祥太郎さんは左羽根と左腕であたしを胸に抱き込んでいる。正直ちょっと嬉しい。いやかなり嬉しい。
それはさておき、左腕もいつの間にやら大きくなっている気がするので、恐らくこちらも今目にしている『右腕』と同じく変化しているのだろう。
「祥太郎さん……? それ、どしたの……?」
恐る恐る尋ねると、祥太郎さんがふっと少しだけ顔をあたしに傾けて、曖昧な笑顔を浮かべた。彼の赤くなっている瞳の中に、どこか不安げな光が見える。
「咲良、俺が恐い?」
そして、ぽつりと胸奥の思いを漏らすように、そう零す。
どこかあたしの様子を窺うような気配があった。
「その腕……ええっと、あたしには急におっきくなったみたいに見えたんだけど、そうなって痛くないの?」
そっと手を伸ばしつつ祥太郎さんの右腕に触れてみると、一瞬ぴくりと怯えたように反応された。
だけどじっとしてくれていたので構わずするりと撫でてみれば、表面は元の肌色では無く、緑と青が混じったような、瑠璃色に近い色合いをしていて、感触はしっとりと弾力があった。
幾つもの浮き出た筋は、血管なのか規則的に脈打っていて、決して作り物では無く生きている一部分なのだと教えてくれる。
「……痛くは、ないよ。俺の腕は元々こうだから」
矢車菊の青を連想させる澄んだ色の淡い炎を纏ったまま、祥太郎さんが間を置いて答えてくれた。じっと息を凝らしてあたしの様子を観察する彼は、なんだか野生の獣を彷彿とさせて、怯えるが故に警戒している風に見える。
「なんだ、そっかー……。祥太郎さんが痛くないなら、まあいいや」
「え」
触った感触と彼の感想に安堵したあたしは、ほっと一息ついて、やたら迫力を増した夫の腕をさすさす、と撫でた。
突然ばりぃって感じにスーツが裂けて、にょばあって腕が伸びた時は吃驚したけど。
良かったー……。
血も出て無いし、祥太郎さんも痛く無いって言ってるし、おかげで一安心だわ。
しかし、これ、すーーごいな。色んな意味で。凄い。
「あの……咲良?」
「ん?」
安心できたので、改めて祥太郎さんの腕をまじまじ見つつぺたぺた触っていると、戸惑った声が聞こえて首を傾げた。
見れば、祥太郎さんが赤い目で困惑したようにこちらを見つめている。
「痛くないならって……それだけ?」
「?」
質問された事の意味が分からず、私はよりぐいーんと首を傾げる。
それだけって何だろう?
祥太郎さんの腕が痛くないならいいかと思っただけなんだけど。
突然生える系ってなんか基本痛みを伴いそうに見えるし。
そう思って彼を見つめ返してみるけれど、あたしに向けられた祥太郎さんの瞳は、今まで目にした事が無いほど―――いやもう今日一日あたしにとっては別人みたいな彼なんだけど、普段は柔らかく細められている奥二重の瞳が、今はこれ以上無いほどくわっと見開かれていた。
呆気にとられている、という表現がぴったりかもしれない。
青い炎もそうだけど、祥太郎さんの手がいつもより数倍ゴツゴツどころかゴリゴリ?し てるし、大きさなんて普段の四倍は軽くある。これで痛くないなんて、痛覚とか大丈夫なのかとふと考えた。
痛みを感じさせずに知らず進行する病気もあるし、今度人間ドックとか勧めてみようかな、と頭の隅にメモをする。
でもなんだろ、祥太郎さんのこの腕、何かに似てる気がするんだよねぇ……。
あれ、なんていったっけ。
あたしが昔ハマってた、鬼の妖怪の手を持った学校の先生の話。
ちょっと間抜けなんだけど、何があっても生徒を守る先生が格好良くて大好きだった、あの人みたいな。
祥太郎さんの場合は手首から下じゃなくて、両腕丸ごとって感じだけど。
それはそれでこう、なんていうか綺麗な祥太郎さんのお顔と反してちょっとゴツイ腕が、危ういアンバランスさを醸し出していて……ってやだやばい。萌える。
「なんか祥太郎さん……めちゃめちゃ格好良い……! 正義のヒーローみたい!」
ぱっと頭に浮かんだ子供時代のヒーローと祥太郎さんが重なって見えて、あたしは興奮してつい彼の腕をがっと掴んだ。そのせいか、祥太郎さんの腕が身体ごとびくっと反応した。
あ、ごめんなさい。勢いにまかせてつい。
でも両手で掴んでもやっぱりすごくおっきいな、これ。
「さ、咲良? 正義のヒーローって……俺どっちかというと悪役的な見た目だと思うんだけど……」
一瞬呆けたようになった祥太郎さんは、なぜかぶんぶん頭を振った後、引き笑い気味にそんな謙遜を口にした。
けれどあたしには、どこからどう見ても某少年漫画で人気を博した、某ヒーロー先生風にしか見えなかった。
だって服装もスーツだしっ! 色はグレーだけどっ。
「いやいやいや! 何を仰いますか祥太郎さん! 昨今のジャニ系イケメン俳優だって目じゃないよ! むしろミステリアス感がアップして、ダークサイド落ちしたヒーローって感じですっごい素敵だよっ!」
っていうかめちゃめちゃ撫で擦りたいのですが如何でしょうか。
今両手で持ってるけど祥太郎さん嫌がってないみたいだしいいかな。
だってなんかしっとりしてるの。これ抱き枕に出来たら、凄く幸せだろうなと思うくらい。
「咲良」
なんて事を考えていたら、突然ふわっとあたしを包む感触が消えてしまった。
あり? と思うと同時に、自分が地面へと降ろされている事に気付く。
あらやだ。地球さんお久しぶり。
地に足が付いた感触を認めてから、目の前……よりちょっと上の祥太郎さんに何で離れちゃうの、と頬を膨らませる。
夜空に浮かび、黒い翼と長く大きな腕を下げた彼は、青い炎で輝いてまるで宵闇の遣いのようだった。
いつの間に消えたのか、あたし達を取り囲んでいた銀色の針は今や姿無く、元の通りの星と月が祥太郎さん越しに輝いている。
まあ予防接種的な恐さはあったけれど、それ以上は感じてなかったのでそんなもんだろう。
「……咲良」
あたしの名前を再び呼んだ祥太郎さんは、じっとこちらを見下ろしたまま、ゴツゴツした右手をすっとあたしの方へ差し出した。
掌を上に向けて真っ直ぐ伸びてくる腕は、まるで王子様が姫に手を差し伸べているように厳かで、あたしは一瞬見とれてしまう。
祥太郎さん……! 格好良すぎる!
もう胸が破裂どころかぷっちん○リンな勢いだよ……!
これ以上好きにさせてどうするっていうの……!
姫様お手を、と言わんばかりに差し出された瑠璃色の手はまるであたしを誘うように、空中でじっと停止している。どこからどう見ても、黒い翼の王子様だ。
ちょっと違うのは、その手がゴツイのと、跪いておらず浮かんでいるところくらいだろうか。
この手を取っていいのかな、勿論いいよね、差し出してくれてるってことは。
とそんなことを考えつつ、祥太郎さんの大きな手をじっと見つめる。
うん。やっぱりあの某鬼の○先生と良く似たお手々ですね祥太郎さん。
程よくいかつく格好良いです。
その長い爪で背中つつーっとかやられたら悶絶しちゃいかねないよ。
あああでもどうしよう、そんな風においで状態で手を出されてたら、その掌に顎をのせたくなっちゃうんですが。
別に今時流行りの顎乗せ動画が撮りたいんじゃないよ。
祥太郎さんの手にちょっと顎を乗せたいだけなんだよ。
ついでに頭よしよしなんてされた日には、もうあたし成仏しても悔いは無いよ……!
誘惑に駆られたあたしは、未だこちらを見下ろしながら手を差し出し制止している祥太郎さんの様子を窺いつつ、その掌にそっと顎を乗せてみた。
ぴとり、と効果音が聞こえた気がした。
あたしの肌に、何ともいえない感触が伝わる。
「……っ」
おー……なんだろうねこの安心感。
いつもより大きさも四割増しくらいになってるから包まれ感が半端ない。
しかもほんわか光を発してるせいか、ちょっと暖かいし。ぬくぬくする。ほえ~気持ちええ。
祥太郎さんの鬼っぽい大きな掌に顎を包まれながら、その感触を堪能する。
顎を置いた瞬間にも聞こえたけど、あたしが顎を手の上ですりすりする度、なぜか祥太郎さんは小さな吐息を漏らしていた。
だから一瞬不安になったけれど、嫌なら手を引っ込めただろうし、そうしないということは大丈夫なんだろうと勝手に結論づけて、あたしは祥太郎さんの鬼っぽい手堪能時間を満喫することにした。
「……咲良」
「なあにー? 祥太郎さん」
そして五分くらい経過した時だろうか、祥太郎さんが静かにあたしの名前を呼んだ。
あたしはそれに応えつつ、尚も彼の鬼っぽい手に顔を擦りつけ、人肌とは違うすべすべした感触を楽しんでいる。
「咲良、どうして?」
「んー……何が?」
祥太郎さんはあたしに手を好きにさせてくれたまま、よくわからない質問を投げてくる。
何がどうして?
って祥太郎さんさっきから質問多いなぁ、珍しい。
まあ、それより何よりこのすべすべ感すっごく気持ち良いんですけど。
どう言えばいいのかなぁ。
あ、アレだ。筋肉をそのまま触ったらこんな感じかなって感じ?
鳥のもも肉を触った時みたいな!
あのぱっつーんとした張りのあるしっとり感! そうだ鳥のももだわ。むねじゃなくて。
「ん~~……上質のもも肉ですなぁ……」
「いや咲良それ全然わからない。もういいや、そのまま聞いてて。……咲良はさ、俺のこの手を見て何も思わなかった? 今の感じからして嫌ではないのはわかるけど」
「え??? 全然嫌じゃないよ? っていうかむしろ何で嫌がるの? 格好良いし触り心地良いし最高だよ??」
「……俺と離れたいとは思わない?」
「え、なんで?」
これまた不思議そうな声を出されてしまった。
あたし、何かおかしな事言ったかね。
「っく……ほほほっ……!! なんと、まあ!」
顎を乗せたまま、どういう意味かと祥太郎さんを見上げれば、突然夜空に鈴の声が鳴り響いた。
正しくは、高い笑い声といった感じである。
流石に反応して振り返ると、刑部と祥太郎さんが呼んだお姫様(もう刑部さんでいいや)刑部さんが、紅色の唇を豪快に開けて、なんとも楽しそうに笑い声を上げていた。
あ、忘れてた。
「なんとまあ面白い……ほんに肝の据わった女子(おなご)よの。それを目にして顔色を変えたのは、貴様を案じたが故だったとは……しかも、そうも嬉しげに擦りよるとはのぉ。見ていて微笑ましいわ」
さっぱりすっかり存在を忘れていたにも関わらず、夜空に揺蕩う真紅のお姫様は、機嫌を損ねた風でも無く、むしろ反対に楽しくて仕方ないみたいに、白く輝く指先を唇に添え吹き出したように笑っていた。
……あれ。
なんか面白いことしたかな、あたし。
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