第12話 いつか私を
「なんだよこれ……」
目の前が炎で埋め尽くされていた。
見渡す限り、炎の海だった。
村が燃えている。そう少年が認識するまでにたっぷり三十秒を要した。
「──っ! 父さんと母さんは! いそごうソフィア!」
「ノアまってよ!」
幼い少年少女は走り出した。
しかし未成熟な体はすぐに根をあげる。まだ家まで随分距離がある。
酸素を肺に送ろうと呼吸が荒くなる。
だが送られるのは熱気。喉が焼ける。余計に苦しくなる。
それに構わず二人は走った。
「そんな……」
ノアの家は燃えていた。
向かいにあるソフィアの家も同様だった。
ごうごうと燃える村の中で自分達の家だけ無事なんて都合のいい事などなかった。
「や、やめてくれ!」
一際大きな叫び声が村の中心の方から聞こえた。
叫び声の後には大きな破裂音が続く。
銃声だ。
しかしノアとソフィアには銃声だと判別がつかなかった。
銃という存在は知っていても幼い二人は見たことも使ったこともないからだ。
「こっちだ。いってみよう」
もしかしたら父と母もいるかもしれない。
そんな淡い期待を抱えて叫び声の元へ向かう。
近づいていくとともに強烈な臭いが二人を襲った。
肉を焼いているときのものに近いが、食欲をそそるような物ではなかった。
むしろ不快でむせかえる。
村の中心には一際大きな火があった。
人影がいくつか見えた。
村人ではない。
火に照らされた顔は見覚えがないものばかり。
「おや、ここにいたのですね。随分と探しましたよ」
背後からの声にノアは素早く身を翻した。
その瞬間、ノアの目に映ったのは祭服を身に纏った男だった。
蛇のような瞳がこちらを見ている。
昼間、森に向かうときに出会った人だ。
ソフィアを隠すように前に出る。
そのときに男がなにか丸いものを手に持っている事に気がついた。
「あぁこれですか。魔女の使徒ですよ」
「……っ!」
「そんな……」
母だ。
母の顔がそこにあった。
男が持っているのは母の頭部だった。
首から下はない。
母の髪をわしづかみにし吊り下げるようにしている。
「オエッ……」
胃からこみ上げてくるものをそのまま地面に吐き出した。
口の中が酸っぱい。臭いもきつい。
頭の中がぐるぐると混乱している。
一体何が起きている。
燃える村。母の死。
他の村人は、父さんやおじさん達はどうなった。
何故母は殺された。
「ああ、かわいそうに。こんなに幼い子も魔女の毒牙に掛かっているだなんて」
祭服の男は掴んでいた母の首を中央にある火に向かって投げた。
弧を描いて飛んでいく母の頭部をただ眺めることしかできなかった。
目の前の非現実的な出来事をうまく飲み込めなかった。
「……父さんは、おじさん達はどこ?」
「使徒は皆同様に処理しました。一つも例外はありません」
ふつふつと黒いものが心の中で渦巻いていた。
それが怒りだと遅れて気がついた。
「君は気づいていないのかもしれないが、その子は魔女なんだよ」
諭すように穏やかな口調で男は続けた。
「君が使徒ではないならその子をこちらに渡して欲しい」
「ふざけるなっ!」
冗談じゃない。
この男は父や母、おじさん達や村人の命だけでは飽き足らずソフィアの命までも奪おうというのか。
頭に血が上る。
ここまで激しい怒りを抱いたのは初めてだった。
ノアの全身はわなわなと震え、握りしめた拳から血が滲んでいた。
そのまま激情に身を任せ、祭服の男に殴りかかろうとするとソフィアに袖を引かれる。
──逃げよう。
少しだけ冷静になった頭で考える。
相手は大人で複数人いる。
子供の力じゃどうしようもできない。
「いこう!」
「うん!」
「やんちゃですね。捕まえなさい」
ソフィアの手を引いて来た道を引き返すように駆ける。
後ろで男が指示を出す声が聞こえる。
きっとあの祭服の男がリーダーなのだろう。
走り抜けていく村は依然燃えていて慣れ親しんだ光景なんてものはなかった。
「まずい」
「ノア、こっち!」
「まちやがれ!」
先回りされて目の前に表れた人を視認するやいなやソフィアが別の道を指差す。
それに従って進路を変えて再び逃げる。
それを何度か繰り返すも長くは続かなかった。
周囲は燃えていて普通の環境ではない。
大人でも長時間の活動は困難であろう状況で未成熟な子供が逃げ続けるなど不可能だ。
「そろそろ遊び疲れたかね」
ゆえに祭服の男はゆっくりと歩いて再びノア達の前に現れた。
ノアとソフィアは息が上がり地面にへたり込んでいた。
大量の汗で地面の色が変化する。
呼吸を整えようと大きく息を吸うと熱気でむせかえる。
気づけばノアとソフィアは囲まれていた。
逃げ場はもうない。
「苦しそうですね。でも大丈夫、すぐに救って差し上げます。きっとお父さんとお母さんにも向こうで会えますよ」
男が懐から何かを取り出す。
銃だ。
周囲の炎に照らされたそれは鈍い光を放っていた。
ノアはよろよろと立ち上がる。
逃げ回るうちに顔は煤だらけ、吐いたりむせたりで口周辺は胃液唾液まみれ。
どこかにぶつけたのか腕には切り傷がいくつか。
膝も笑っていていつ倒れてもおかしくない。
普段からかけ離れた姿だった。
それでもノアはソフィアの前に立った。
祭服の男とソフィアの間に壁となるように立ち上がった。
「ノア! やめて!」
守らなければいけない。
父と母もなにもかも失った。
ノアに残されているのはソフィアだけだった。
勇者ならきっとこうする。
ソフィアを救うには勇者が必要だ。
でも助けなんてこない。
それならば自分が勇者になるしかない。
勇者は大切な人を守るために立ち上がるのだ。
「あぁ、なんと美しい」
祭服の男は銃を下ろさず、まるで涙を拭う様に片手で目元を押さえた。
しかし再びノアに視線を向けるときにその目に浮かんでいたのは激情だった。
蛇を思わせるその目には明確に殺意がこもっていた。
「それに比べ、なんと汚らわしいことか! この薄汚い魔女め!」
言葉と共に唾が飛んでくる。
男の怒りは収まる気配がない。
勢いのまま引き金に指がかけられる。
「しねっ!」
「やめてえええええええええええええ!」
ソフィアの叫び。
ノアはぎゅっと目をつむった。
全身をこわばらせて衝撃に備えた。
しかし予想していたものはいつまで経っても訪れなかった。
周囲の温度が下がったのを肌で感じた。
燃えさかる村のせいで熱気であふれかえっていたのいうのに今はむしろ肌寒い。
恐る恐るノアが目を開ける。
氷。
氷、氷、氷、氷。
見渡すかぎり氷に覆われた世界が広がっていた。
「な、んだよ、これ」
祭服の男は銃を構えたまま氷づけになっている。
他の人間も同様だ。
ぴくりとも動かない。
ノアはゆっくりと振り向いた。
そこにソフィアがいるはずだからだ。
ノアはこんな芸当が出来るのは魔法しかありえないと考えたからだ。
そして魔法をつかえるのはこの場に一人、ソフィアだけだ。
「う、うそ。私、そんな……」
ソフィアはしばらく黙りこんだ。
ノアはそれを見ているだけだった。
もう動く気力すら残っていなかったのだ。
ソフィアは意を決したように立ち上がるとノアに近づく。
「……ごめんね、ノア。もう一緒にはいられない」
真剣な表情でソフィアは言った。
ノアは慌てて口を開く。酷く動揺していた。
「な、なにいってるんだよ」
ソフィアはノアに構わず続けた。
「ごめんね。──いつか、いつかわたしをみつけて」
「まっ────」
ソフィアはノアに向かって手をかざした。
引き留めようと動くノア。
ソフィアの涙が落ちるのが見えた。
それを最後にノアの意識は闇に落ちた。
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