第7話 金



 薄暗く窓もない部屋。

 音も存在せず、あるのは鉄の匂い。


 まだ十にも満たない幼い少女は部屋の隅で膝を抱えうずくまっていた。

 つけられている鉄の手枷。その下は異物との長時間の接触によってかぶれて赤くなっていた。


 乱暴にその部屋の扉が開けられると同時に部屋に明かりがともされる。


 びくりと少女は体を震わせ何かから逃げるように顔を膝に埋めた。


 「魔法を使う気にはなったかい?」


 優しい声色だった。

 部屋に入ってきたのはでっぷりと豚のように太った男だった。

 身に纏っているのは高価なものばかりで動くたびにじゃらじゃらと装飾品がこすれる音が鳴る。

 美しい装飾品とは対照的に肌は脂ぎっていて額からは汗が流れている。それを従者にしきりに拭わせている。


 幼く、しかし賢い少女は無言を貫いた。

 魔法を使う気などさらさらなかったのだ。だがそう答えれば男の機嫌を損なうというのも理解していた。だからこその無言だ。


 「……チッ。優しくすればつけ上がりやがって。おい、やれ」


 「しかし……」


 「やれ」


 男の無慈悲な冷たい声に従者は逆らえなかった。逆らえば今度は自分が酷い目に遭う。


 「──っ! いたいっ! やめて!!」


 己の主人から渡された鞭を振るえば乾いた音が少女を襲った。

 少女は痛みに思わず声を上げる。それを男は満足げな表情で眺めた。


 「やめて欲しければ金をつくれ。おまえなら出来るだろ、なぁ金の魔女」


 「い、いや! おじさんがこれは使っちゃいけない力だって言ってたもん!」


 「うるせぇ!」


 「きゃっ」


 男は従者から鞭を乱雑に奪い取ると少女に向かって振るった。


 「……本当に魔法なんて使えるんですか?」


 「使えないなら奴隷商か娼館にでも売りとばせ。幸い面は良いからな、さぞ高く売れるだろうよ」


 従者の疑問に厭らしい笑みで答える男。

 少女は痛みと恐怖におびえ部屋の隅で丸くなる。

 そんな姿に従者は同情しながらも魔女ならば仕方ないと自分を納得させていた。




※※※




 ノア達が怪我の応急処置をおえてブラックボアの解体を始めようとしたとき、ラルクが応援の冒険者とギルド職員を連れてきた。


 ラルクはブラックボアが覚醒したのを確認するやいなや冒険者ギルドに走ったそうだ。

 覚醒したこと、だが瀕死であることをギルドに訴えると増援の派遣はすぐに決まった。今までブラックボアに手を出さなかった冒険者も覚醒したとなれば明日は我が身、襲われる前に倒そうと名乗りを上げた。


 「にしても三人でやりきっちまうとはな……」


 「いや、でも助かったよ。この疲れた体であのデカブツを解体するのは骨が折れる」


 「ちがいねぇ」


 ノアが包帯が巻かれた肩を見せながら冗談めかして話すとラルクは同意して笑った。


 ちらりと解体の様子を見るとダンデが指揮を執っていた。

 全て自分たちでやってしまえば素材は総取りになったのだが、解体に協力してもらったとなれば彼らにも取り分を与えねばならない。ただその辺りはギルド職員に任せてしまおう。彼らなら公平に取り決めてくれるだろう。


 「さて、報酬の話だが、その怪我だ。街に帰ってからしよう」


 「別に今でも……いや、気遣い助かるよ」


 「はは、こりゃ随分と尻に敷かれてるな」


 ノアが考えを改めたのはフィオナの視線が痛かったからだ。

 「これ以上の無茶は許さない」と意志の込められた眼光に逆らう気はノアにはなかった。


 「良い酒場を知ってる。そこで落ち合おう」


 「あぁ、ありがとう」


 ラルクと軽く握手を交わして一旦お開きとなった。




 日を改めてノア達三人はラルクに伝えられた酒場に来ていた。


 薄暗い店内にはガスランタンの淡い光が灯っていて、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。かかっている穏やかな音楽も心を落ち着かせるのに一役買っているようだ。


 店内に見当たるのは酒場のマスターと奥の席に座っている外套を纏った男──ラルクだけだった。


 情報屋が愛用している店。

 つまり人払いが容易であり、今回は既に済ませているということだろう。


 マスターは壮年の大男だった。

 鋭い眼光には有無を言わせぬ迫力があり、小さなグラスを丁寧に拭く様子は奇妙だ。


 彼はこちらに気がつくと顎でラルクを指す。

 話も通してあるのだろう。

 ラルクの周到さに感心しながら三人は店の奥に進んだ。


 「よぉ、お客さんがた。よくぞおいでになすって」


 まぁ座れよと促されるまま三人は席に着いた。

 マスターにそれぞれ飲み物を頼む。


 「早速報酬の情報と行きたい所なんだが」


 「なんだ、まだなにかあるのか?」


 あからさまにイラついた声色でダンデが言う。

 ただでさえ試されているのが気にくわないと言っていたのだ。ここでもったいぶられるのはダンデからすれば舐められていると思っても仕方ないだろう。


 「いや、あんたらから情報を買いたい」


 「私たちからですか?」


 「そうだ」


 「まぁまて」と言うようにダンデの前に手のひらを広げてからラルクが口にしたものはノアからすれば考えつかないもので、フィオナもそれは同じらしい。


 「おまえらが魔女を探してる理由を買わせてくれ。金は出す」


 ガシャリ、と重量感のある音が店内に響く。

 その音からラルクがテーブルに置いた布袋の中にはたっぷりと金貨が詰まっていることが察せられた。


 「ここに十万ゴルトある。どうだ?」


 「そ、そんなに!?」


 フィオナの驚きは最もだった。


 つい先日のブラックボアの討伐報酬が二十五万ゴルド。

 一般的な家庭の稼ぎが大体二十万ゴルド。それくらいあればそこそこの生活をして多少の貯金を出来るといったところだ。


 その半分の十万ゴルドと考えれば破格といえる。


 「別にお金なんてなくても普通に話すよ?」


 そう。そもそもノア達は自分たちが魔女を探していることと、その理由を隠していない。

 だがノアの提案にラルクは首を振った。


 「いいや、金を払う。これは情報屋としての矜持でジンクスでもある。ただで買うほど怖いもんはねぇ」


 「なるほど。つまり金で信用を買うと。ノア、もらっておけ。旅する上で先立つものは必要だ」


 ダンデはラルクの言葉に納得がいったようでノアに先を促す。

 彼の言うことは最もだった。

 ノア達は拠点を持たずに各地を転々と旅する根無し草の冒険者。金はいくらあっても足りない。


 「うーん、わかった。そういうことなら有り難く頂戴しようかな。でも金額に見合うほどおもしろい話じゃないよ?」


 「かまわないさ。俺がそれだけの価値を見いだしてる」


 「そっか」とそっけなく返事をしたノアは木製のジョッキを傾け、中の酒を煽る。


 「俺さ、魔女狩りの生き残りなんだよね」


 ラルクの目が見開かれる。

 驚愕、という言葉がここまで似合う表情はそうそうお目にかかれない。

 ノアは苦笑いを浮かべながら自分の過去を語り始めた。

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