第6話 vsブラックボア2



 何度目か分からないブラックボアの咆吼にノアは顔をしかめる。


 「ブモブモうるさいやつめ」


 少し離れた場所で悪態をつきながら睨み付ける。

 ポーチから小さい丸瓶を取り出す。今回の小瓶には赤く透明な液体が入っている。


 ただポーションと呼ばれるものだ。

 怪我や傷を治す効果がある。傷口にかければ消毒の効果がある優れものでスタミナポーションと同じく冒険者には必須の道具だ。


 それを一息に飲み干す。

 柑橘系の香りが鼻から抜ける。こちらは爽やかな味で飲みやすい。


 それと同時、フィオナが渾身の一撃をブラックボアの眉間にたたき込んだ。

 ブラックボアは短く悲鳴をあげて数歩後ろに下がる。


 ──いける!


 そう確信し飛び出した瞬間、おぞましい雰囲気を漂わせた魔力が湧き上がってくるのを察知した。

 今までの突進とは違う。


 「ブオオオオオオオオオオオオン!!!!」


 敵意、そして怒り。それらに満ちた叫びが足下に生えた雑草を揺らした。


 ──やばいまずいまずいまずい!


 ノアはこの感覚に覚えがあった。

 そう、これはあの日、故郷の村がなくなった日。全ての始まりの日。

 あのときと同じ感覚。


 本能が警鐘を激しく鳴らしている。

 それを無視してノアは走り出した。


 「フィオナ、にげろおおおおおおおおお!」


 「え、ノア? ちょ、ちょっと──きゃっ!?」


 「ブムオオオオオオオオオオン!」


 フィオナの襟首を掴み後方へ投げ飛ばす。

 手荒い行動だった。普段のノアなら間違いなくこんなことはしない。

 それほど余裕がなかった。


 それと同時にブラックボアの魔力が爆発的に増加。

 ノアは急いで後方へ跳び、その場を離脱しようとするが──。


 刹那の出来事だった。

 膨大な魔力は地面から鋭く硬い棘となって現れた。


 「────っ!?」


 地面に大量に生えた棘の一部がノアの肩を掠めた。

 凶悪なまでに魔力が練り込まれた棘の威力は絶大で掠めただけでノアの肩肉をえぐり取った。


 「ノア!」


 「大丈夫だ! それよりも──」


 「ああ、間違いない。覚醒した」


 心配して駆け寄ろうとするフィオナを声で静止させる。

 同時にダンデから聞きたくない事実が告げられる。


 覚醒。

 魔力を持った生物が一定の確率で起こす現象。

 保有する魔力が爆発的に増え、強力な魔法を手にするのだ。


 当然、討伐の危険度は増す。


 「一度撤退することを提案する。魔女の情報はブラックボアの討伐と引き換えだ。期限は決められていない。つまり今ここで無理をする必要はない」


 近くの岩陰に隠れたあとの第一声。

 ダンデの提案は冷静なものだった。

 優れた冒険者は引き際を見誤らない。ダンデは間違いなく優秀であった。


 「でも……いえ、そうですね」


 少しの思考、そしてすぐに決断するフィオナ。

 彼女の決断を後押ししたのはノアの怪我のせいだろう。ちらりと視線が向いたのをノアは見逃さなかった。

 心優しい彼女のことだ。自分のせいでと負い目を感じているのかもしれない。


 ポーチから本日二本目のポーションを取り出し飲む。


 「──っ!」


 「我慢して」


 フィオナがえぐれた肩にポーションをかけ、そのまま止血してくれる。

 興奮状態から少し冷静になったせいか肩の激しい痛みに気がつく。

 痛みを誤魔化すように小瓶を傾けながら思考を続ける。


 小瓶が空になる。

 それと同時に決断した。


 「撤退はなしだ。ここで決めよう」


 「……正気か?」


 「正気だよ、見てよあれ」


 顎でブラックボアを指す。

 巨体はその場をぐるぐると回りながら周囲を警戒しているように見えなくもないが……。


 「混乱してる……?」


 「たぶんそう。覚醒して急激な変化について行けてないんだ」


 フィオナの言葉に肯定を返す。

 そのままノアは言葉を続けた。


 「よく見れば足だってふらついてる。俺たちの攻撃は確実に効いてるんだ。でもここで撤退して戦力を整えて返ってくる頃にはあいつも回復してる。なにより冷静になって覚醒した力を使いこなされる可能性がある。それだけは避けたい」


 ダンデと視線が交差する。

 力強い金の瞳。それに負けじと見つめ返す。


 「もっともらしい理由をつける前に本心を言え」


 「あ、ばれた?」


 「はっ、あたりまえだろう。まぁ大方の予想はつく。どうせそこのクソ真面目も同じ事を考えているだろうしな」


 「なっ、誰がクソ真面目よ!」


 やはりダンデにはバレてしまった。

 もちろんさっき話したのも理由の一つではある。

 だが一番の理由は──


 「撤退して再出撃するまでの間にあの化け物が街を襲う可能性がゼロでない以上ここで決着をつけたいんだ」


 フィオナの目が見開かれ、銀髪が揺れる。

 ダンデの撤退提案に彼女が同意するまでの間。きっと同じようなことを考えていたのだろう。


 対してダンデは呆れたように深くため息をつくだけだった。


 「了解した。じゃあ手早く片付けよう」


 「……いいんですか?」


 「言い出したら聞かないし、お前もそうしたいのだろう。ならさっさと行動しろ」


 「──はいっ!」


 ぱっと花咲くように笑みを浮かべフィオナは返事をするとすぐに岩陰から跳び出した。


 「悪いな」


 「気にするな」


 短く言葉を交わす。

 それだけで良かった。




 「くるぞ、よけろ!」


 ノアのかけ声に応じて二人は回避行動を行う。

 直後、一瞬前までいたそれぞれの場所に棘が生える。


 ノアの想定通りブラックボアは有り余る力を上手く行使出来ていなかった。

 突進するときと同じで一度力を溜める。そのおかげでノアが回避指示を出せた。

 一度棘を出せばしばらくは使ってこない。広範囲を攻撃出来るが、連続使用は出来ないようだ。


 だからノアは巨体に肉薄する。

 横を通り抜け後ろ足を切りつける。今度は刃が深く入った。

 ブラックボアの体勢が崩れる。


 フィオナはそれを見逃さなかった。

 正面に立つ彼女は顔面に数度の斬撃をたたき込み最後には盾で殴りつける。その一撃で巨大な牙の一本が根元から折れた。


 矢の雨が降りそそぐ。

 立ち上がろうとしたブラックボアは再びよろめく。


 「ブオオオオオオオオオオン」


 「悪いな。ここで死んでくれ」


 いつの間にかブラックボアの首元まで走っていたノアはナイフを突き立て、ねじ切るように動かす。


 ごきり。

 骨を絶つ音と感触。それがナイフを通じて手に伝わった。


 「ブモッ!? ……ブグッ……ブゥゥ──」


 断末魔の小さなうめき声。

 それを最後にブラックボアは動かなくなった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る