第5話 vsブラックボア1
走る、跳ぶ、立ち上がる。
走る、走る、走って、走り続けた。
ぜいぜいと肩で息をしながらなおノアは走り続けた。
後ろでは未だブラックボアがノアの命を刈り取らんと息巻いていた。
立ち止まればそこに待っているのは死だ。
──そろそろだ。
行きにつけた目印がノアの目に止まった。
走りながら腰のポーチに手を突っ込み、目的のものを探す。
感触と形状で当たりをつけて引き抜く。
取り出したのは笛だ。
魔獣の骨から削り出して作られた無骨で小さな笛だった。
ノアは息が切れているのにも構わずそれを咥えると思いっきり吹いた。
ピィーーッ! と甲高い音。
吹き終わると同時に深い森を抜けると、そこは草原だった。
──よしっ!
「ブモオ゛オ゛ォォォォォォォォォ!!」
「まずっ!?」
草原に出ると同時、一瞬のノアの気の緩みをブラックボアは見逃さなかった。
魔力が立ち上がり強靱な脚力がさらに強化される。
必殺の突進がくる。
残酷なまでに冷静な思考は己の死を伝えてくる。
なんとか回避行動をとろうとした瞬間。
銀色がブラックボアの横面をぶん殴った。
出鼻をくじかれ巨体が揺れる。そこに矢が一本、二本と凄まじい速度で襲いかかる。
そこまで確認するとノアは矢を放った主の元まで駆け寄った。
トレインは成功した。
ダンデはノアが近づいてきたのを認めると液体の入った小さく四角いガラス瓶をノアに投げ渡した。
近くにラルクはいない。
もっと離れた場所で邪魔にならないように見ているのだろう。
「それを飲んだらさっさと行ってやれ」
「大仕事を終えたリーダーにねぎらいの言葉はないのかね」
「はっ、自分でやるといったんだ。そんなものはない」
軽口をたたき合いながら小瓶の栓を口で抜き、一息にそれを流し込む。
黄色く、透明なそれはスタミナポーション呼ばれるものだった。
栄養価の高い植物と果物を混ぜ合わせてつくられたこのポーション。即効性で非常に吸収率が高く、高負荷な運動を行いエネルギー不足となりがちな冒険者には有り難い代物だった。
「うえっ……」
ただ一つ味さえ除けば、だが。
もう慣れてはいるもののまずいものはまずい。
湧き上がった吐き気を無理矢理堪えると、今度は大きく息を吸い呼吸を整える。
三度の深呼吸。
それで準備は整った。
ノアは腰に吊したナイフを逆手で構えると同時、飛び跳ねるように駆け出す。
目標はブラックボア。黒い巨躯に向け一直線に駆けていく。
体は活気に溢れていた。
スタミナポーションの恩恵を感じる。
「フィオナ!」
今しがたブラックボアの横面を殴った正体に声をかける。
彼女はブラックボアの正面に立っていた。
このデカブツがダンデの元に向かわぬよう食い止めていたのだ。
ノアの声を聞き、剣を振るって牽制。
ブラックボアが煩わしそうに顔を振るう。それを見て彼女は合わせるように盾を振るった。
「ブモッ!?」
盾はブラックボアの立派な牙と衝突し火花を散らす。
金属を打つ重い音と化物の間抜けな声が重なった。
フィオナがスッと一歩引いてスペースを作る。
そこにノアは入れ替わるように飛び込むとブラックボアの顔面に肉薄した。
唐突な衝撃に吃驚していたブラックボアはノアの接近に気がつくと牙で突き刺そうとするも────ヒュンという風切り音がノアの耳の横を通り過ぎた。
「キュモッ!?」
黒い巨躯に対して薄いピンク色をした鼻に弓矢が命中する。
矢は刺さる事はなかったが確かにダメージを与え、傷ついた鼻に血が薄く滲んだ。
「こいつも食らっとけ!」
「ブギャッ!??」
逆手に持ったナイフを振るう。
ついた傷が広がり、血が飛び散った。
ノアはそのままナイフを順手に持ち替え二度斬りつける。
鋭い攻撃にひるんでいるブラックボア。それに構わずノアは走る。
巨体の横を駆け抜けながら数度ナイフを振った。
「チッ、かてーな」
黒い体毛が宙を舞う。
ナイフは分厚い毛皮に阻まれた。
しかし、それでよかった。
もちろんダメージを与えられるに越したことはないが、ノアの目的は違った。
傷つけられ怒り狂ったブラックボアがノアを追うために首を振り、巨躯を捻る。
だがその動作が終わる前に止まる。それはノアが仕事を果たしたこと示していた。
ソフィアが斬りつけたのだ。
彼女の持つ片手用直剣は弧を描きすばやくブラックボアに傷をつける。
それを確認しながら即座に離脱する。
同時にダンデによって放たれた矢の雨が到達する。
「ブモオオオオオ!!!」
まるでダメージを負っていないと言わんばかりに咆吼が草原に轟く。
空気がビリビリと振動しそれだけで気圧されそうになる。
おもわず両手で顔の前に出した。
──でも効いているはずだ。
まだ戦闘は開始したばかり。
毛皮の分厚いところはともかく肉の柔い部分なら刃も矢も通る事は確認できた。
ブラックボアは討伐出来る。
確信と共にノアは再び駆けだした。
巨体に肉薄し、注意を引くために。
ブラックボアの咆吼にびくりと体を震わせる影があった。
平原にいくつかある大きな岩の内の一つに隠れたその影──ラルクは戦々恐々としながらも岩陰から顔を出し手に持っていた双眼鏡を覗いた。
「恐ろしいぜ、まったく」
思わず独りごちる。
それはもちろんあの黒い化け物に対してもだったが、真意は別にあった。
では何についてか。ダンデという金髪の男だ。
彼の射撃の精度には驚かされた。
ブラックボアの周囲には彼の仲間たちが張り付いている。だというのに彼は弓を引く手をやめない。
仲間には当てないという絶対の自信が彼にはあるのだろう。
二人も信頼しているのかダンデを気にするそぶりすらみせない。
そして幾度となく放たれた弓矢は全てブラックボアに命中している。
「ただ者ではないと思っていたが……お嬢ちゃんも一体何者なんだ」
ラルクが舌を巻いたのはダンデだけではない。
ブラックボアの正面に立ち続けるフィオナだ。
遠くから見ているだけで足が震えるほど強大な存在であるブラックボア。
それにひるむ様子もなく盾と剣で戦う姿はまるで騎士だ。
剣と盾。
その二つを主な装備にする冒険者は多い。安全を確保しながら魔獣にダメージを出せるというのは魅力的なのだ。
しかし、冒険者は結局冒険者。まともな訓練も受けず我流で戦うものも多い。
だがフィオナは違った。
彼女の動きは洗練されていた。
噛みつきや牙による攻撃は盾で防ぎ、突進などの大技は離れて回避する。振るう剣は流れるように次の動作に繋がる。
明らかになにかの流派を納めたその動きがラルクに騎士という印象を与えていた。
「それに加えあの命知らずか……」
正直に言うと才能溢れる──間違いなく天性のものをもっている二人と比べるとノアは見劣りするようにラルクは感じた。
もちろん動きを見れば腕の立つ冒険者というのは理解できる。しかしそれは才能によるものというより血の滲む努力によって成り立っているものだとラルクはあたりをつけていた。
盾も持たずに敵に肉薄しナイフで斬りつけ注意を引いて離れる。
盾を持たないのは機動力を落とさないようにするためか。
その戦闘方法から命知らずの異名をつけられたのだろうとラルクは納得した。
ノアはブラックボアの攻撃によって数度吹き飛ばされていた。
牙に引っかけられたり、屈強な足に蹴り飛ばされたり。
纏っている装備は既に泥だらけだがそれでも立ち上がり、巨躯に肉薄する。
ラルクは不思議だった。
何故か致命的な一撃はくらわない。
ブラックボアの代名詞とも言える突進だけは必ず避けるのだ。
それどころか突進がくることを仲間に知らせているようだ。
──一体どうやって?
あの突進は予備動作もほぼない。
そもそもそんな悠長に観察している間に突き飛ばされてしまう。
なにかからくりがあるのか。
「ブモオオオオオ!!!」
ブラックボアの叫び声が再び空気を振動させた。
それに怯えながら岩陰に引っ込んだラルクは考える。
──彼らならなんとかしてくれるかもしれない。
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