第4話 トレイン



 「んじゃ、いってくるわ!」


 ラコープの東に存在する平原と森の境に立つノアはおちゃらけるように言った。


 「いいですか、何かあったらすぐに逃げてください! 装備に不備はない? 合図用の笛は? それからそれから──あぁもう! なんだってこんな危険なことを! 今回だけですからね!」


 やはり、というべきだろう。

 ダンデの予想は正しく、フィオナはノアの提案に激しく反対した。

 しかしその提案は第一段階をクリアさえすれば比較的安全性が確保されたものはフィオナも理解できた。

 数時間に及ぶ説得の末、ソフィアは渋々首を縦に振った。


 叫ぶように、若干の怒りを含ませながら詰め寄るフィオナにノアは困ったように笑みを返す。

 心配されている事は理解できるので言い返すことも無碍にすることも出来ないのだ。


 「条件を出した俺が言うことじゃないと思うが、本当にやる気か?」


 「大丈夫ちゃんと勝算はあるよ」


 「……『命知らず』の異名は伊達じゃないってか」


 「別にそんなつもりじゃないんだけどなぁ」


 ラルクはブラックボア討伐に同行していた。

 実力を自分の目で確かめたいらしい。とはいえ危険が伴うので戦闘が開始されたら遠くから観察するにとどめるようだ。


 ノアはフィオナとラルクとの会話に応じながら後ろで準備をしているダンデに目配せする。

 視線に気がつくと彼はゆるゆると手を振ってすぐに物資の確認を再開した。


 こういうときに彼の冷静さと合理的な思考には助けられる。

 心の中で感謝しながらノアは森の中へと一人で入っていった。




 湿った地面。土と木の匂い。顔に纏わり付く小さな羽虫。

 生えている植物の種類や若干の気候の違いはあれど、その全てにノアは懐かしさを覚えていた。


 生い茂った枝葉によって日差しは遮られているため昼間だと言うのに周囲は薄暗く、水源が近いせいかひんやりとした空気が辺りに漂っていた。

 木漏れ日を頼りに目的地に進みながら、自分の判断は間違っていなかったとノアは確信していた。


 この視界状況ではダンデの射撃は──いくら彼が天性の才を持っているといっても──相当に厳しかっただろう。


 そこでノアの提案というわけだ。

 提案自体はとてもシンプルだった。


 ダンデが射線を通せる場所で戦えば良い。

 ただこれに尽きる。

 おあつらえ向きにすぐ隣は平原だ。そこまでブラックボアを連れ出せばいい。


 森の中は視界が悪いだけでなく足下も悪い。そうなればソフィアも動きづらい。

 だが平原に出てしまえばその問題は一気に解決する。



 トレインという技術がある。

 ここ数年で普及した機関車に見立ててそう呼ばれるこの技術は魔獣を特定の場所までおびき寄せるものだ。

 大層に技術といっているものの仕組みは単純で、一人が魔獣の気を引いて特定の場所まで走るだけ。

 一人で行うのは魔獣の気を他にそらさないため、かつリスクを減らすためだ。

 もし失敗したとしても犠牲は一人で済む。


 ノアはナイフで近くの木を斬りつけ目印をつけながら進んでいく。

 所々地面のぬかるみが酷くなってきた。水源が、目的地の湖が近い証拠だ。

 足を取られぬように気を引き締めたとき。


 ────いた。


 気配を消しそれを観察する。

 黒い巨体は湖の傍にいた。

 湖周辺の開けた場所。日の光を一身に浴び黒い体毛を輝かせたそれはいっそ神秘的なまでの美しさを帯びていた。


 ──化け物相手に何を思っているんだか。


 一瞬浮かび上がった感想を目の前に集中することで振り払う。

 ブラックボアから目を離さず腰につけたポーチに手を伸ばし、そこから身の丈ほどあるロープを取り出す。

 スリングだ。


 足下に転がっている石をスリングにつけ、後方の退路を確認。問題ない。

 端にある輪っかに指を通してゆっくりとスリングを回し始める。


 ノアの腕の動きに従ってスリングは緩慢な動きから少しずつ速度を増していく。


 大きく息を吐き出し、深く吸い込んだ。

 ミスをすれば待っているのは死だ。

 荒ぶる鼓動に気がつきながらそれを無視する。

 空いた片手で首飾りを握りしめた。


 不気味なほど静かな森にヒュンヒュンと風を切る音が生まれた。

 スリングが十分な速度に達した瞬間、手を離し石を投擲する。


 放たれた石は吸い込まれるようにブラックボアの頭部に命中した。

 威力は十分なはずだった。それこそ小型の魔獣ならば十分なダメージを与えられるし、人間ならば致命傷だろう。


 図体に対して小さな瞳がこちらを向いた。

 その瞳にこちらが映った瞬間────


 「ブモオ゛オ゛ォォォォォォォォォォ」


 耳をつんざく怒声が森中に響いた。




 「おいおい、うそだろ! 冗談きついって!!」


 スリングを放り投げ、走り出したノアは悲鳴ともとれる情けない声を上げていた。


 後方で魔力の立ち上がりを感じた。


 ──くるっ!


 ノアはその瞬間、進行方向と垂直になるように全身を投げ出す形で飛んだ。


 轟音が鳴り、地面が揺れる。衝撃波に思わず目をつむった。遅れて両手で頭を守る。


 振動が収まると同時にゆっくりと頭を上げた。

 振り向けば、木々がなぎ倒されている。

 ブラックボアの突進は絶大な威力を誇っていた。


 ノアの地面に飛び込むようなその回避行動は命を救っていた。

 背中に何か冷たいものが走る。


 しかし、恐怖に屈している時間はない。


 「おい、こっちだ! その目は飾りかって、うおっ!?」


 再びブラックボアから魔力を感じるとノアは横に飛んだ。

 再び轟音と振動がノアを襲う。

 着地とも言えぬ無様な姿。急いで立ち上がり口に入った土を吐き出しながら走る。


 ノアがトレインの実行役に立候補したのは自分が提案者であり、森の中での歩き方に慣れているというのもある。が、しかし大きな要因は別にあった。

 ノアは魔力を感知できる。

 正確に言えば魔法使用時の魔力の揺らぎを感じることが出来る。


 そのため他の人間に比べれば比較的安全にトレインを行えるのだ。



 ブラックボアは再びノアを視界に入れると突進を行うために身体強化の魔法を使用する。


 「あたらねぇよバーカッ!」


 叫びながら体を投げ出し回避する。


 このままでは必殺の突進が当たらないことを理解したであうブラックボアはノアとの距離を詰める。

 ブラックボアがただ走る、それだけで距離が詰まっていく。


 ノアは木々を避けるように移動するのに対してブラックボアは木々をなぎ倒して進む。


 「でたらめな力してやがる!」


 決死の逃亡劇、否、トレインが始まった。



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