第3話 束の間の休息



 「ノア、起きて」


 「……んー、もう……ちょっとだけ」


 「起きてください! もうお昼ですよ!!」


 惰眠を貪り四度寝を決め込もうとしていたところ、フィオナにベットから引きずり出されることで強制的に意識を覚醒させられた。


 「まったく、世話が焼けますね」


 フィオナが窓掛けを引き、そのまま窓を開ける。

 既に高く上った日によって室内が明るくなり、心地の良い風がノアのくせっ毛と肌身離さず身につけている首飾りを揺らした。


 「うぅ、まぶしい……」


 「そんなこと言ってないで早く顔を洗ってきてください」


 「へーい。……あれダンデは?」


 寝ぼけ眼を擦りながら立ち上がったノアはその寝ぼけた思考で異変を感じ取る。


 ダンデがいない。

 昨日ギルドに紹介してもらった宿屋でノア達は二部屋借りた。

 ノアとダンデの男組みに一室、フィオナに一室。


 フィオナはいつも節約のために同室で構わないと言っているのだが、男二人がそれを拒否するといういつもの流れがあったのはまた別の話。


 ともかく同室の頼れる仲間がいないことにノアは違和感を覚えた。


 「もうお昼っていったでしょう。ダンデはギルドの書庫に向かいました。はい、これ」


 顔を洗い終えるとフィオナからタオルを受け取り、顔を拭いながらダンデの目的について思案する。

 おそらく彼はブラックボアの情報を集めに行ったのだろう。冒険者ギルドには魔獣について記された書物が多く置かれていて、冒険者はそれを閲覧することが出来る。


 もちろん実力によって閲覧できる書物の数は制限される。

 実力見合わない魔獣に興味をもち無謀な挑戦を防ぐためだ。


 顔を洗ったというのに未だにぼんやりとした意識でそこまで考えるとフィオナに手を引かれ、部屋に備え付けられた小さな丸テーブルまで連行される。


 テーブルの上には朝食──時間的には昼食──が準備されていた。

 包み紙の中には二枚のパンが入っていた。パンには何かしらの肉と野菜が挟まれている。


 ぐう。

 腹の音が鳴ったと同時にノアはそれに噛みついていた。


 肉汁が口内に広がると同時に甘辛いソースが舌を刺激した。それが肉の味を引き立てていた。

 次にノアが感じたのはみずみずしいトマトの酸味と水分だ。水分はパンの咀嚼を助け、酸味が甘辛いソースの後味を打ち消してくれ、それは次の一口を催促しているようだった。


 「これ上手いな……むぐっ……!」


 「ああ、もう。そんなに急いで食べるから」


 がっつくように食べた結果ノアは喉にパンをつまらせる。

 フィオナは呆れたように言いながらもパタパタと走って水を持ってきてくれた。


 「んぐんぐ、ぷはぁ。助かった」


 コップにつがれた水を一息に飲み干したノアはやはりがっつくように残りのパンを口に詰め込んだ。

 その様子をため息をつきながら、そして微笑ましくフィオナは見守っていた。




 朝食を終え、ノアは肩を回し自分の体の調子を確かめていた。

 すこしだるいが痛みなどはない。これなら明日も問題ないだろう。


 「まったく、そんなに疲れるなら移動中の警戒は少しくらい私やダンテに代われば良いのに」


 実を言うとノアの寝起きが悪いのはいつものことではない。

 普段はむしろ良い方だ。


 ノアの寝起きが悪くなるのは新しい街に到着した次の日のみ。

 パーティ内で移動中はノアが基本的に周囲の警戒をする役目を担っているのだ。


 いつどこで魔獣と出くわすか分からないので非常に精神を削る、従って体力の消耗も激しい。

 夜の間は交代で睡眠をとっているとはいえ、日中全てを担当しているノアの負担はやはり大きかった。


 「俺はそういうの得意だし、何より二人が疲れるよりましさ」


 「それは……そうですが……」


 フィオナの美しい銀髪が揺れる。

 

 この問題はノアの特技ともいえるものに関係しているが、一番大きな要因は三人での戦闘方法だった。

 パーティでの火力担当はダンテ。正面はフィオナ。そしてノアはそれの補助に近い。

 要の二人に疲労が溜まるのは避けたい。


 一応納得はしているが、心優しい彼女にとって一人に負担が行くのはやはり不満らしい。

 これについては今まで何度も議論をして現在の形に落ち着いている。

 フィオナには申し訳ないがパーティリーダーとしてこの決定は覆せない。


 「さ、買い出しに行こうぜ!」


 「……はい!」


 この話はもう終わりだ、と意志を込めて話題を変えるノア。

 フィオナは数瞬戸惑って、そして彼の意図をくみ取り、気遣いに気がつくと笑顔でそれに応じた。


 ──まぶしいな。


 その心の声は陽の光とフィオナ、どちらに向けられたものだったのかはノアしか知らない。




 ポーションなどの消耗品をフィオナと買い漁ったノアはギルドの書庫へと向かった。


 ギルドの受付嬢に案内され、扉を開くと書庫独特の匂い──紙とインクの匂いが鼻腔をくすぐった。

 この香りを嗅ぐ度にノアは過去を想起する。


 大好きだった勇者と魔女の物語。

 それを語り聞かせてくれた父と母。

 そして──その童話が大嫌いだった幼馴染。


 「さっさと入ったらどうだ」


 ぶっきらぼうに放たれた言葉の衝撃で意識を現実に引き戻された。


 言葉の主を探すと金髪の男が椅子に腰掛けているのが目に入る。

 他に人は見当たらず利用者は彼だけのようだ。


 そもそも冒険者には文字を読めない者も多い。従って書庫の利用者もそこまで多くない。

 欲しい情報があるものは情報屋から買うか、ギルドの職員に依頼して口頭で伝えてもらうかだ。


 「ごめんダンデ、邪魔した?」


 「いや、丁度きりのいいところだ」


 黒縁眼鏡の奥からチラリちこちらを一瞥したダンデは何かを手元の紙に書き込むと片手に開いていた本を閉じた。


 「フィオナは?」


 「装備の受け取りにいってくれたよ」


 「そうか」


 やはり感情の見えない声色での問いに答えつつ彼に近寄ると紙切れを渡される。先程までダンデが何か書き込んでいたものだ。


 紙切れはメモだった。

 字間、行間は揃えられており丁寧な字はそれだけで代筆業をやって行けるのではないかと思わせるものだった。


 内容はブラックボアについての情報だ。


 黒い体毛に身を包んだイノシシの魔獣。

 巨大な体躯に牙。

 荒い気性で人間を捕食する事例も多々みられる。


 書かれていたものはノア達が元々持っていた知識とほとんど変わらなかった。


 「体調は?」


 「問題ないよ」


 「そうか、ならいい」


 短く会話をしながらメモを読み進める。

 次の内容は今回目撃された個体についてだった。


 通常より一回り程大きく体長五メートル前後。

 食欲旺盛なようで周辺の魔獣も食い散らかしている。そのため多くの魔力をため込んでいる可能性あり。

 今までブラックボアの覚醒事例は報告されていないが、留意する必要あり。

 また二度の偵察依頼にてC級パーティの三名が怪我。いずれも遠距離からの観察だったので軽傷。


 「なるほど」


 そう呟いて、一人納得する。

 何故誰も依頼を受けなかったのか。その原因が明らかになった。


 通常よりでかくて離れたところからの偵察で怪我を負うならばまぁ敬遠したくもなる。


 「試されていたな」


 「え?」


 メモを読み切る頃にずり落ちた眼鏡を戻しながらダンデがそう言った。

 思いがけない言葉につい間抜けな声を上げてしまった。


 「あの情報屋、ラルクだったか。わざと情報を伏せていたんだろう」


 「自力でこれぐらい調べきれないと話にならないってこと?」


 「おそらく。……気に食わんな」


 「まぁまぁ、向こうにも何か事情があるのかも」


 仏頂面のダンテをなだめながらノアは考える。

 確かに情報屋を名乗る男がこの個体について調べていないわけがない。

 試されていたというのは間違いではないだろう。


 おそらく事前に調べるという行動をとることが合格条件。

 それこそラルクに情報を売ってくれと言っても金さえ払えば教えてくれるはずだ。

 彼にとってはブラックボアを討伐してくれることが大事なのだから。


 わざわざこんなことをするのはやはりこちらが魔女の情報を求めたからだろう。

 危ない橋を渡るのだ。こちらが信頼に足る人物か確認するのは当然のこと。


 「これを見てくれ」


 未だ不満げな態度だがとりあえずは話を進めてくれるらしい。

 差し出されたのはラコープ周辺の地形が記された地図だ。ギルドから写しをもらってきたようだ。


 ダンデの指差した場所にはバツ印がついていた。

 地図からするとそこは森の中だ。馬車道に近く、かつ平原にほど近い場所だ。


 「目撃地点はここだ。最初の目撃と二度の偵察からしてこの辺を縄張りとしているのは間違いない。この辺りに大きな湖がある。おそらくここを水飲み場かつ狩り場にしているはずだ」


 ダンデの予測にノアは概ね同意した。


 過去から現在に至るまで人が繁栄する場所は水源が豊富であるように、生物にとって水というものは切っては放せないものだ。そしてそれは魔獣も例外ではない。


 水場には当然他の魔獣も集まる。

 そいつらを捕食し、ついでにその湖で水分補給。一石二鳥というわけだ。


 「問題は森の中ってことだね。俺はともかく二人は慣れてないだろうし」


 ノアは今は亡き故郷を思い浮かべながら口にする。

 森の中、その上湖が周辺にあるとなれば足下はかなり悪い。

 強敵と戦うのだ。一応訓練しているとはいえ、幼少の頃森の中で遊び回った経験があるノアと違い二人には辛いだろう。


 「それにダンデの──」


 「そうだな。視界が悪ければ俺の射線も通しづらいのは道理だ」


 パーティのメイン火力はダンデの弓による射撃だ。

 魔獣の素材をふんだんに使った大弓から放たれる一撃は凶悪であることはノアがよく知っている。

 ダンデの斜線が通らないことはパーティの火力が半減することを意味する。


 「よし、じゃあこうしよう!」


 その後ノアが提案した内容にダンデは呆れたようにため息をついたものの、了承した。

 どうせいっても聞かないことを理解していたからだ。


 どうやってフィオナを説得しようか。

 そればかりがダンデの脳内で繰り返されていた。


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