第2話 ブラックボアって知ってるか?


 「──ブラックボアって知ってるか?」


 その問いにノアは眉をひそめた。

 ブラックボアのことを知らなかったからではない。むしろ知っているからこそだ。


 ブラックボアは言ってしまえば巨大なイノシシの魔獣だ。

 成体になると全長4メートルほどで黒い体毛に巨大な牙が特徴。

 また魔力によって強化された脚力で繰り出される突進が非常に凶悪として有名だった。


 気性も荒く人里を襲う事例も確認されており、肉食であるためもちろん人間も奴らの捕食対象である。


 「東にある平原をそのまま真っ直ぐ行くと森があるんだが、そこに隣町まで繋がる馬車道がある」


 「その森にブラックボアが出たと」


 「そうだ」


 肯定が返ってきた事に今度はソフィアが顔をしかめた。


 「嬢ちゃんの想像通りさ。今は東方面との物流が途絶えてる。まぁ他の街とは問題なく交流出来てるが、困っていることには変わりない。それにいつ街に突っ込んでくるか分からないし、なにより人が減ると俺の商売に影響が出る」


 「なるほど。道理だな」


 両手を挙げ肩をすくめるラルクに同意を示したダンテはそのまま続けた。


 「それで、どうして誰も討伐に向かっていない? ここには暇そうな人間が集まっているようだが」


 周囲を見渡しながら紡がれた責めるような言葉にラルクは苦笑いを返すしかなかった。

 ラルクの視界には昼間だというのに酔いが回りテーブルに突っ伏した冒険者が映っていたのだ。


 「残念ながらこのラコープには腕利きがそんなにいない。大半がD級C級パーティで、いてもB級下位が一、二パーティほど。しかもそいつらは他の依頼に出払ってる。……ブラックボアに挑むには最低でもC級上位の実力が欲しい。そんで安全に、怪我人を出さずに狩るならB級上位の実力が望ましい」


 一度言葉を切り、反応を窺う。

 特に意見がないことを確認したラルクは続けた。


 「ギルドも既に他の街の冒険者に声をかけてるが……まぁ色の良い返事はない。そこでお前さんたちってわけだ。ブラックボアを討伐出来ればお前さんたちは実力を証明できるし情報を手に入れられる。俺は商売が再開できる。もちろんギルドからの報酬は全部持って行って良い。な、悪くないだろ」


 「それはいいで──」


 にやりと笑みを浮かべるラルク。

 二つ返事で答えようとしたフィオナに待ったをかけたのはやはりダンデだった。


 「俺は反対だ」


 「どうしてですか」


 フィオナは口を尖らせ不満を漏らす。

 そのかわいらしい仕草に気をとられたもののノアはダンデに続きを促した。


 「既にこの街で魔女に関する手がかりを得ることができるということは分かった。わざわざ危険を犯してまでその情報屋から買う必要はない」


 ダンデの言い分はもっともだった。

 この街、ラコープを拠点に活動しているラルクが魔女についての情報を持っているという事実。

 時間は掛かるかもしれないが調べれば手がかりは自分たちでも手に入れられるだろう。


 そもそもラコープに三人が訪れたのは魔女に関する噂があったからだ。

 噂になるくらいなら案外簡単に手に入れられる情報の可能性が高い。


 「街の人を見捨てるんですか!?」


 「この街の問題だ。既にギルドも動いているならじきに解決するだろう」


 フィオナは異を唱えようと口を開くが、言葉は続かなかった。

 ダンデが正しいことはフィオナも分かっているからだ。


 ラルクの言葉が正しいならこの街にはC級の冒険者パーティもいるのだ。怪我人は出るかもしれないがブラックボアを討伐出来ないことはない。


 つまり己が身のかわいさに依頼を受けていないのだ。


 しかしそれを非難することはノアにはできなかった。

 仮に依頼を受け大怪我をしてしまえば冒険者業をやめねばならないし、最悪の場合は死ぬ。

 ギルドは既に他の街に声をかけている。無理に危険を冒す必要はない。


 あとは時間が解決してくれる。

 この街の冒険者の判断は正しい。


 とはいえこの街が危険であることもまた事実であった。

 いつブラックボアがこの街に突っ込んでくるか分からない。

 冒険者はともかく武力を持たず、なんの訓練も受けていなければ魔獣の知識も持たない一般人からすれば人食いの化け物が近くにいるという現実は耐えがたいだろう。


 「いいよ、その条件乗った」


 「ノア!」


 俯いていたフィオナはぱぁっと花が開くような笑顔を浮かべる。

 顔に感情が出やすい所は本当にあの子に似ている。

 そんなことを思いながらダンデに向き直る。


 「ちょうど旅の資金も心許なくなってきてたんだ。ここらで大きな狩りもしておきたい。いいだろ、ダンデ?」


 「お前が決めたなら構わない。このパーティのリーダーはノアだ。俺はそれに従うだけだ」


 「そうか。わるいないつも、助かってるよ」


 「……礼を言われるようなことは何もしていない」


 無表情かつ素っ気ない口調で言われてしまえばもう何も言うことはできない。


 ダンデはなにも悪意をもって発言しているわけではない。

 フィオナは正義感が強い。そしてノアは超がつくお人好しだ。困っている人間がいれば迷わず手を差し伸べる。


 しかし冒険者にはときに非常な判断を求められる。

 依頼の最中にトラブルがあれば一人が囮になり他のパーティメンバーを逃がす、なんてこともそこそこ聞く話だ。


 ダンデは憎まれ役を買って出てくれているのだ。パーティの安全を担保するために。

 もちろんフィオナもそれはわかっている。が、しかし感情の面では納得がいかずダンデと口論になることも多いのだが。


 「そうと決まれば早速──」


 「まった。出発は明後日の早朝だ。俺たちは今日ここについたばかり。旅の疲労もあるし、消耗品の買い足しもしたい。なにより相手はブラックボアだ。それなりに準備をしたい」


 「おーけー、了解した」


 ラルクの了承を得てこの日は解散となった。



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