アダムは死んだ
人類再興のため、暴走ナノボットの制御手段を探る研究がはじまった。自動工場を用いて専用の研究施設が建造され、エリスと他のアンドロイドたちもその研究チームに加わった。
人類を滅亡させた大惨事を解決することは容易ではなかった。アダムには膨大なアーカイブの知識があり、アンドロイドたちによって育まれた聡明な知性があった。優秀なアンドロイドのサポートもある。危険を冒しナノボットのサンプルを手に入れ研究を進めるも、決定的な解決法に至ることはなかった。
現実を知らぬまま夢を見れていたらいかによかったか。そんなふうに思う夜もあった。
そして何年、何十年と月日だけが流れていく。
いつしか彼の黒髪は白く、顔の刻まれた皺は長い年月の経験と感情を示す証となった。そして彼は、体力と知性の衰えを自覚せざるを得なくなった。
アダムは老いた。しかしエリスは変わらぬ美しさを保っていた。研究は少しずつ進みながらも、彼一人の人生では到底足りるものではなかったのだ。彼の心にその諦めは日に日に忍び込み、そのたびに強い決意をもって拒絶した。
「やれるはずだ、まだ」
80歳の誕生日を迎えても、彼は研究をあきらめなかった。
一方でエリスは老年医療の専門家に転向し、彼の研究をサポートし続けた。
彼は強い意志と医療の支えによって頭を鋭く保ち、体力を活発に保ち続けた。老いながらも彼は思考の硬直を拒絶し何度目かの抜本的な見直しを決意。さらに研究を掘り下げ続け、ついに究極的な解決策の兆しを見出すに至った。すべてのナノボットを連鎖的に機能停止させ、人類の生存圏を回復させる計画に光明が見えた。この手掛かりを手繰り寄せていけば、いずれは長年の望みが叶う。あとは、時間の問題だ。
一息ついた彼は、ふと思い出に浸るように荒れ果てたアトリエを訪れていた。幼少時にエリスが与えてくれたアトリエだ。もう何十年と放置されていたのか、わからない。
(ただ絵を描き続けていれば、あるいは)
もっと、幸せだったのかもしれない。少なくともエリスはそれを望んでいたはずだ。
その気持ちを裏切ってまで、研究に身を投じた。望んでいたからではない。そうせざるをえないという衝動と使命感に駆られたためだ。
(僕の人生は、正しかったのか?)
遅々として進むことのない、手応えの得られない研究に、あまりに長い年月を費やしてしまった。夜も眠れずにナノボットのことだけを考え続けてきた。人類を再興する方法を追い求め続けてきた。出口のないトンネルを彷徨うように。
そもそも、本当にそんなことが可能ならとっくの昔にアンドロイドたちが成功させているのではないか。そこにただの人間が今さら立ち上がったところでなにができるのか。ただ一人の人間が足掻いた程度でどうにかなるなら、最高の叡智が結集していた何十億の人類が滅ぶことなどなかったはずではないか。そんなふうに諦めかけたことは何度もあった。
結果、ようやく兆しは見えた。しかし、もう間に合わない。長年の研究経験によって彼は長期研究計画のロードマップを高い精度で作成できた。皮肉にも、それは彼の寿命限界を大きく超えることを示していた。
遅まきながら、人生の転機なのかもしれない。そう思った。だが、それも遅い。遅すぎた。震える手では、筆を満足に握ることもできない。
否。この期に及んでなお、「そんな場合ではない」と身体が突き動かされるのだ。使命と衝動は取り返しのつかぬほど彼を蝕んでいた。
アダムは100歳の誕生日を迎えた。体力は衰え、一人で立ち上がることさえままならなくなっていた。エリスは常に用心深くバイタルサインを監視し、それに応じてケアプランを調整していた。投薬によって痛みを和らげ、感情的なサポートを提供し続けた。
100歳の誕生日記念パーティは彼の体力を考慮してしめやかに、しかし彼のこれまでを労うため暖かに、心を込めて行われた。アンドロイドたちはアダムが人生の多くを過ごした居心地のよいリビングエリアに集まり、空間は柔らかな照明と懐かしさを呼び起こすシンプルな装飾で彩られていた。
彼らは車椅子で連れられてきたアダムを迎え、一本の炎がゆらめくロウソクの刺さった小さなケーキをプレゼントし、「ハッピーバースデー」をそっと歌った。彼らの声は優しくアダムの心に染み渡り、彼は瞳を閉じて一筋の涙を流した。
そしてアダムは深呼吸をし、エリスに手伝われながら、ろうそくをそっと吹き消す。
「ありがとう。本当に。ダメだな、僕は……。最期まで、みんなにはもらってばかりだ」
「いいえ。私たちはあなたから大切なものをもらいました」
他のアンドロイドたちも同意してうなづき、アダムと過ごした日々を語り合った。彼の業績、彼の発見、彼が人間であることの意味。アダムはその話を、誇りと謙虚さの入り混じった気持ちで耳を傾けていた。
その後数日間、アダムの容体は悪化の一途をたどった。エリスは最期まで彼の傍に付き添い、優しく手を握った。アーカイブに残された膨大な医学知識に基づく最善の治療を施してなお、時間の流れを止めることはできなかったのである。
「アダム」とエリスは静かに言った。「あなたのなしてきたことは、決して無駄ではありません。答えを見つけるためのあなたの忍耐力と献身は、私たちの記憶に刻まれ続けます。あなたの人生は、立派でした」
人工呼吸器に繋がれ自発呼吸すらままならなくなっていた彼は、最期に一度だけ目を覚まし、弱々しくも話す力を奮い起こし、言葉を残した。
「後は頼みます、母さん」
そう言って、感謝と愛情をこめてエリスの目を見つめた。エリスもまた優しく微笑み、彼の瞳を見つめ直した。
「約束します、アダム。私たちはあなたの人生と遺産を尊重します」
アダムは息を引き取り、穏やかな表情で目を閉じる。アダムは100歳と17日の生涯を終えた。
そして、アダムの遺体は分解炉に葬られた。閉鎖環境においてすべての資源は循環し、無駄にされることはない。すべては分子レベルで分解され、素材として還元される。彼の遺体もまた、「次」の礎となるのだ。
「これにて、244回目のアダム実験を終了します」
アダムの復元と育成は、すべて「人類考古学」のための実験計画である。
人類というものの性質を見極め、その再現性を確認するための実験だ。彼はそのための244番目のテストケースだった。
人類考古学調査チームの研究目的は、同一の遺伝情報を持つ人間が同一の条件下で育てられた場合、ほぼ確実に同じ性格と行動を示すことを証明することである。
気温、湿度、天候、日照量、季節周期。施設の構造、物品の配置、空気調和。アンドロイドの言動は一挙一動、一字一句に至るまで。制御しうる範囲ですべての環境が同一に再現され、偶然性を可能なかぎり除去する。再実験に際してはアンドロイドを含めたすべての施設は解体され、オーバーホールされたうえで再構築されることになる。
すべてのアダムは「この世界にはなぜ僕しか人間がいないのか?」「人類はなぜ滅んでしまったのか?」と疑問を抱き、アンドロイドに囲まれた環境で孤立感を深める。そしてアーカイブに奇妙な空白を発見し、禁止エリアに足を踏み入れセキュリティを突破し隠された情報にアクセスする。そして「自己複製ナノボットの暴走をきっかけに滅亡した人類」というあらかじめ用意していた「仮初の真実」に納得し、人類の復活のためその生涯を捧げることになる。
8歳で絵画に興味を示し、エリスの肖像画を手がける。
16歳で禁止エリアのサーバールームにアクセスし、「真実」に直面する。
25歳で研究の進展のなさから深い絶望を覚え、挫折しかける。
32歳でナノボットが世界中に拡散していったモデルを示す蓋然性の高い仮想マッピングを完成させる。
41歳で入手したナノボットのサンプルを用いて一時的に自己複製を抑制する方法を発見する。
56歳でこれまでのシミュレーションモデルを見直し、基礎となる数式に根本的な誤解があったことを発見する。
68歳で彼は健康上の問題を経験し、生きているうちに研究が完成するのかという強い不安を覚える。
72歳で彼はナノボットの自己複製抑制を恒久的に延長することに成功する。
80歳で究極的解決の兆しを発見するが、残された月日では完成まで間に合わないことを悟る。
84歳で彼は生涯の研究記録を包括的なアーカイブに整理し、次へ託す準備を始める。
91歳で体力と知能の衰えから事実上研究からは引退する。
100歳で寿命を迎え、彼はその生涯に幕を下ろす。
さまざまな物理的偶然のため微小の揺らぎはあるものの、244回に渡る実験は「人生の節目」にあたる4000のチェック項目において91%以上の一致を示している。彼らの仮説は高い確度をもって証明され続けている。
「それでは、245回目のアダム実験を開始します」
同様の実験は、他の99万2700の
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