第二編

序章  おめでた?

第0話   姫様、ご懐妊!?

「貴様ら、まだそのような戯言を……」


 国内議会の円卓を囲む元老院のうち、元右大臣にしてそのさらに前職は現国王の執事であった老人が、傍らの水の入ったガラスのコップを震える片手で掴むと、自らに沸いた怒りの炎を鎮火させたいがごとく一気に飲み干した。


 そしてコップの底が割れるのではと懸念されるほどの勢いで、テーブルに戻した。


「何度言えばわかる! ブルーベル姫に王位を継ぐのは無理だ! お前らとて幼き日の姫様を見てないわけではあるまいに!」


「お爺ちゃん、貴様とかお前とか、そんなこと言っちゃダメだよ。そんなんだから優秀なのに職を転々とする羽目になるんだよ」


「お爺ちゃんと呼ぶな! お前も何度言えばわかるのだ! いい歳して公私混同をするんじゃない!」


 隣りに椅子を並べる無表情な青年は、祖父の必死ぶりにも同調することなく、小さく「ハア」とため息をつく。


 孫の冷めてる態度に、老人も少し頭を冷やしてゴホンッと咳払いのち、深呼吸する。


「あー……姫様のお誕生日のたびに、贈り物を献上してきた貴殿らなら理解しておろう、姫様は誰に対しても警戒し、怯え、いつも耳を塞いで目をギュッと閉じておいでであった。我々にはわからぬ多くの何かを、過敏に感じ取ってしまう体質ゆえにだ! お体だって、まるで赤子のように小さくていらっしゃった。あれから十年ほど経つが、未だに特異なご体質は変わっておらんとの報告がきているではないか。だから儂はあの時、異国などに養生させずに、然るべき医療施設の手を借りて、姫様がご自身の体質と上手に付き合える方法を身に付けていただいたほうが――」


「すみません、毎度祖父の話が長くて」


「やかましい! ぺこぺこするでないわ! よいか、儂が前々から口酸っぱく訴え続けているのはな、ブルーベル姫様ではなく、他の王子王女にさっさと王位を継がせよと言うておるのだ!」


「でもブルーベル姫の見た目は、そのまんま伝説のキング・ベルジェイだよ? 他の王子様たちじゃ、庶民たちは納得しないよ。僕だってブルーベル姫に王様になってもらいたいもん。キング・ベルジェイ復活だなんて、超かっこいいし」


「お・の・れ、はー!」


 二人のやりとりに、円卓の椅子がくすくすと背もたれを揺らす。


 そのうちの一席、深く腰掛け、不敵に長い足を組み替える男がいた。片目を黒の眼帯で覆い、その下の頬には大地の裂け目のような傷跡が一筋、妖艶な美貌に暗い影を落としていた。


 まとう雰囲気の、その闇深い貫禄たるや、静かに片手を挙げるだけで皆が押し黙るほどだった。


 故あって辺境に追いやられていた、名をゲイルというその男の髪色は、雪のような白銀。一つ結びされ背中に揺れる髪は、漆黒色の正装によく映える、まるで剣のような美しい直線だった。眼帯越しに両目が弧を描く。


「王家の長子が、跡が継げぬほどお体がお弱くあらせられるのは、我々も百も承知でございます」


 年齢不詳の声で、この場全員の代弁者のごとき笑みで老人を諭す。


「さらに御歳十六を迎えても尚、この国の激務への就労が難しいようならば、むしろこれは我々にとって好機とも捉えられます」


「好機だと? 姫様のお体が弱いことの、何を喜ぶことがあるか!」


「姫様には、我々に都合良く動いてもらう傀儡になってもらえば良いのです。それならば、姫様のご負担にはなりますまい」


 激しく立ち上がった拍子に、椅子が真後ろに吹っ飛んだ。


「貴様ぁ! 自分が何を言っているのか理解しているのか!」


 節くれだった指を向けられても、ゲイル卿に動じる様子はない。不敵な陰の左右にずらりと座る円卓の要人たちは、じっとうつむいていて何も意見しない。


 王位継承権第一王子である姫君への失言に、誰一人として反論しないのである。静かすぎる議会に、老人は青ざめた。


「まさか貴様ら、あのような甘言にそそのかされて、賛同しておるのではあるまいな!?」


 正気を疑うあまりに眼球が出んばかりに目を見開く老人に、飛んでった椅子を持って孫がやってきた。


「そういうわけだよ、お爺ちゃん。もう時代は変わったんだ。ゲイル卿が率いる多数決に、従っとこうよ」


「こんなもの、多数決ではないわ! 小賢しい口裏合わせをしよって! ただの反逆罪ではないか!」


 老人が皆まで言い終わる前に、勢い良く開いた扉が、全ての音を掻き消した。


「申し上げます!! ブルーベル姫が! 帰国されるそうです!」


 伝達係の男の言葉に、皆が驚く中、ただ一人だけほくそ笑む男がいた。


(ファンデル国が、こちらの無理難題の嫌がらせにようやく耐えかねたか。一生涯の永きを匿うはずだった姫を、泣く泣く返上する気になったようだな)


 ブルーベル姫の身の安全は、ティントラール国とファンデル国に結ばれた盟約であった。


(あとは姫を生涯未婚のまま塔に閉じ込め、誰とも会わせず後継ぎも作らせずにいれば、厄介事はかなり減らせる。姫には文字通りの操り人形のままで、いさせればいい)


 ゲイル卿は次に続く言葉を楽しみにしたが、従者はあえぐばかりで、次が出てこない。


「どうした」


「そ、そ、それがっ、それが……」


 まるで、息を吸うも吐くも同時におこなっているよう。今にも酸欠で卒倒しそうになりながら、震える口で必死に言葉を吐き出した。


「ご懐妊されていらっしゃるそうです!」


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