第34話   ハグには、なんだって?②

 ええ!? 今から!? そんな格好してる君に近づいただけでセクハラもんだよ! 何がそこまで君を追い詰めたんだ。すっかりストレスでおかしくなってるじゃないか、早く寝かさないと!


 そんなこと思ってる間に、ベルジェイの方から大接近してきて、僕は窓側を背にしていたせいもあって、後ろに退くことができずに捕まってしまった。


 お風呂上がりの石鹸の良い香りに包まれながら、彼女の両胸の谷間に、僕の鼻がすっぽり収まってしまった。


 まずいまずいまずい! 反応するな僕! ベルジェイは僕のことを赤ちゃんか何かだと思っているんだから、耐えないと! 僕に下心があるって気づかれたら、突き飛ばされてゴミを見るような目で見下ろされる! それは耐えられない。ただでさえ今日はいろいろあってメンタルがギリギリな状態なのに、ベルジェイからも縁切られたら、僕もう生きていけないよ……。


「ハグには、オキシトシンと言う幸せホルモンの一種の分泌を促す効果があるのです。とても優しい気持ちになれて、たとえば赤ちゃんに母乳を与えるときのお母さんからも、このホルモンが分泌されているそうですよ」


 ぼっ や、やめて、なんか変な想像しちゃうから、そういうこと言うのやめてください! って、さっき赤ちゃんて言わなかった!? 今まさに赤ちゃんのような状態なんですけど。男だと意識されてなさすぎだろ! いくら僕が小柄だからって、ひどいよ! もう一四歳なんだけど。


「こ、ここ、これから二人でたくさんのことを、乗り越えて行かねばなりません、きっと私のせいで、道のりはとても過酷なものとなります。ですから、せめて、クリスのためになるのなら、いつでもこの身を以てお応えいたします!」


 どうして君は、そうやって極端に思い詰めるんだよ〜!


 うう、そろそろ息を止めているのが限界になってきた……あと五秒くらいだ。五秒後に鼻息荒いヤツって思われるだろうな〜やだな〜。ベルジェイは僕に下心なんて一切ないのに。せめて顔の角度を横向きにするか……う、息が! うっかり開いた口から盛大に吹き出しちゃった!


 ベルジェイが金切り声を上げて僕を突き飛ばした。おかげで僕は、窓枠に後頭部をガスンとぶつけた。


 ベルジェイがぐちゃぐちゃになったネグリジェの胸元を掻き寄せていた。顔どころか全身を真っ赤に染め上げて。


「も、申し訳ありません! 息が、熱くて……驚いてしまって……」


 え、息するなってこと? 君からの提案で強引にやったことなのに、ひどくない……?


 下心がバレたとたんに、息するなはひどいだろ……だって、しょうがないじゃんかよぉ〜、頭ぶつけたところも痛いし、もう泣きそうだよ。


「リラックスできましたか!?」


 そんなに鼻息荒くして。これは、どう答えたらいいんだ? ちっとも、なんて答えようもんなら彼女はもっともっとパニックになるかもしれない。


「えーっと、ベルジェイはどう? 君がリラックスできたんなら、効果はあるね」


 こう言って、はぐらかしておいた。


 そしたら、「ええ!?」ってめちゃめちゃ驚かれたよ。さっきから驚かされてるのは僕の方なんだけど。


「いっ、今の行為が! 私を悦ばせるためにおこなったことだと、おっしゃるのですか!? あの本には男女の営みにもストレス緩和の効果があると掲載されていましたが、今すぐ実践なさりたいのですか!?」


「えーっと……なぜか僕から一方的に危害を加えられたような言い方してるけど、君からやってきたんだからね?」


「ええ!? 私はただ、ハグがクリスの体質に合っているかを実験するために……ですが、その先まで求められていただなんて、私まだ心の準備が!」


「もう寝ようか、ベルジェイ」


「寝っ、寝っ!? 私と祖国のために、クリスがそこまで前向きに結婚を考えてくれていたなんて!」


 誰か彼女を回収して……。


 うーわ、まぶたがみるみるピンク色に。ぼろぼろと涙までこぼして、それを指で拭うのもぜんぜん間に合ってない。どうしよう、僕は社会的に殺害されてしまうんだろうか。


「どうしてでしょう、世間一般の女性ならば怒るべきところのはず、それなのに、今の私はとても嬉しい気持ちです。こんなに幸せな気持ちになったのは、生まれて初めてかもしれません。ずっと、小さな妹分のようにしか見られていないのだと、思っていたせいでしょうか」


 嬉しそうに泣いてる~。疲れて様子がおかしくなってたベルジェイが、さらにぶっ壊れちゃったよ。


「ベルジェイ、今日は早めに休んだほうがいいよ。今すぐ部屋に戻って、安静にしててね」


「はい……。こんな私を、一人の女性としてお誘いいただいたのに、今の私ではクリスの全てを満たすことができません」


「え? いや、いいよ、こんな時まで献身的にならなくても」


 さすがに、こんな状態の彼女を一人で部屋に返すのは、心配になってきたな。部屋まで一緒に、ついて行ってあげようかな。困ったなぁ、オリバー達との生活が、こんなに彼女に負担をかけるだなんて思わなかったや。これじゃ祖国に帰るだなんて、到底できないよ。兄上にも相談しないと。


 とりあえず彼女のそばにやって来た僕は、なんと声をかけてあげたらいいか、かなり迷った。僕が発する言葉の一つ一つに、彼女が錯乱しているような気がしたから。


 背中さすろうか? って聞いたら、ご心配なく、って返ってきた。無理だよ、心配しちゃうよ……。ずっと胸を押さえてるけど、息苦しいのかな……。


「この程度の刺激すら、今の私には五秒と耐えられませんでした。これでは赤ちゃんに母乳をあげるどころか、性交渉や妊娠による下腹部の違和感、さらには出産時の激痛でショック死してしまいます」


「……まあ、あの……そういう事をしたい日が来たら、お医者さんと、要相談……かもね」


 ハグだけでそこまでパニックになるなら、あながち大袈裟な表現じゃないよ。母子ともに健やかでなきゃ。


「今までは、私さえ耐えていればと思っていましたが、今後の生活のためにも、腕の良い主治医や産婦人科、そして私の症状を相談できる施設を捜すことにいたします」


「ああ、それはいいね。専門家が付いていれば、君の症状の対処法も教えてくれるかも」


「はい! その際はぜひ、クリスお兄様にもご同行願います!」


「え? あ、うん、わかったよ」


 なぜにお兄様呼びになるまで幼児退行してるんだ。一人で受診するの、不安なのかな? しっかりしてるように見えて、意外と病院嫌いなのかも。


 わあ、いきなり両手を握りしめられた。骨がギリギリ鳴ってる、痛い。


「私! もしも妊婦になったら、全身麻酔の帝王切開で出産いたします! 今から帝王切開の手術可能な産婦人科を、調べてまいります!」


「え? 今から? 明日にしようよ、もう夜だしさ」


 ぐえ! また突き飛ばされたよ。もう、体格差があるんだから、小柄な人の扱いには気を付けてねって注意しないと……そう思いながら起き上がった僕は、耳まで真っ赤になったベルジェイが部屋の扉も開けっぱなしで走り去ってゆくのを、見送るしかできなかった。足、速いなぁ。


 今日の彼女は、どうしちゃったんだろうね……。アレ、絶対に誰かに何か言われたんだよ、それで、過度に心配したり気にし過ぎちゃって、あんなことに。


 誰かのハグが必要なのは、君のほうだったんじゃないかな。あ、でも、君の怪力と突き飛ばしによる被害者が量産されてしまうかも。まずはぬいぐるみから慣れていってもらうほうが、自他ともに安全かもね。明日になったら、本人に提案してみよう。


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