第32話   なぞ多き妹②

「ファンデル国では、クリス様が私の面倒をよく見てくださいました。面倒事の多い私の扱い方を、母からよく学んでくれて、大変気を遣ってくださいました。あんなにも優しい男の子に出会ったのは、生まれて初めてでした。しかし彼は、踏み込んだことをしない紳士でもありましたので、お風呂や寝床だけは、不慣れながらも私と従者たちでこなさなければならない課題となりました」


「それはクリストファー様の判断が正しいですわ。お姉様の症状は、お風呂や寝床を心配されるほど重くはありませんもの」


 そうですね。身体的な補助に関しては、クリス様だけに頼らなくても、充分周りが助けてくれました。


「……ですが当時の私には、優しいクリス様と距離を置かれることが、何よりも辛く、過酷な試練となって立ちはだかりました」


「へえ???」


「両親と離れ離れになった経験がなく、ひどいホームシックに陥った私は、クリス様に無理を言って、一緒に眠っておりました。シャワーの金具が硬くて、いつも熱い思いをしていたら、ちょうどクリス様がシャワー室に入っていくのが見えましたので、ついて行って一緒に浴びるようになりました。最初はびっくりされていたクリス様でしたが、拒絶することなく受け入れてくれて、私一人ではどうにもならなかった事でも、クリス様といたら、あっけなく解決いたしました」


 ミニ・ローズ姫の、冷めた視線も気になりません。周りからすれば、おかしな話なんでしょう、けれども当時の私の心が、どんなに救われたことか、そればかりは私の中でしかわからないことです。


「それ以来、お風呂も寝る時も、着替えるのも二人で一緒でした。クリストファー様は、私を小さい妹のように思い、お世話を楽しんでいたようでしたけれど、私は母の教えを頑なに守っている子でしたから、クリストファー様こそが、私の夫となる人なのだと思い込んでしまったのです」


「当時から極端な性格なさってたんですのね」


「さすがに今の私は、分別がついています。クリストファー様のお立場を、最優先にしていますよ」


「そうですの? なんだか、今も昔もあまり変わっていない気がしますけども」


 肩をすくめられました。そこまで違和感のある話だったでしょうか。私には、普通の人の感覚というものが永遠にわかりません。


「まあ、お姉様の好みを把握したところで、何ともなりませんわね。わたくしには、殿方相手に運命を感じている暇はありませんもの。これからもお姉様のあらゆる話題に、ついていける自信がありませんわ」


「ミニ・ローズ姫、一つお聞きしたいのですが」


「あら、一つでよろしいの?」


「はい。この一つが、私にとって大変重要ですから」


 仕事に私情を挟まない主義の私でしたが、どうしてもこれだけは、気がかりで気がかりで、きっと後々の仕事に影響が出るほど気に病んでしまう可能性のある、重要な質問でした。


 ミニ・ローズ姫がまともに答えてくれる保証はありませんけれど、聞いておきたいのです。今、せっかく彼女と二人きりなのですから。


「お姉様、今の話でわたくしなりに見当がついておりましてよ」


「え?」


「ずばり、わたくしがクリストファー様に気があるかどうか、ですわよね」


 私は無表情を保っているつもりでしたが、人間観察が趣味である彼女には、お見通しのようでした。私の感情を正確に把握できるのは、クリス様以外では彼女だけです。


「うふふ、いつの世もこじれた恋愛騒動は楽しいものですわね」


「あなたもクリス様の優しさに救われた一人でしょう。なんとも思わないはずが、ないと思うのですが」


「ええ、あんなにお優しい性格ですと、ずる賢い他人に利用されて疲れてしまう可能性が高いですわね。クリストファー様にはもう少し、危機管理能力というものを養っていただかないと」


 彼女の評価では、クリス様は危なっかしい人のようですね。それには全面的に同感いたします。ですが、ただ黙って利用されるだけに終わる人ではないと、私は思うのです。今回の件だって、なんだかんだで厄介なあなたを、監視下に置くことに成功しています。黙って監視されるあなたではないでしょうけれど、自由に羽ばたくには重たい足かせが増えたことに違いありません。


「お姉様、今はまだお屋敷の中でしか世界を知らないのでしょうけど、広い世界にデビューした暁には数多の噂が飛び交い、勝手にビッチ扱いを受けますわ。ただ殿方と数秒おしゃべりしただけで、もう体の関係にまで至っていると決めつけられて、お城は毎日バカみたいなお祭り騒ぎになりますわ」


「ビ、なんですって?」


「それがどうしてもお嫌ならば、そして愛しのクリス様にもあらぬ噂を立てられぬためには、一つだけ、手がございましてよ」


 彼女が幼少期の私にそっくりだとおっしゃる人がいるそうですが、どこが似ているのでしょうか。きっと両眼が節穴なんですね……。


「あらゆる感覚が研ぎ澄まされた繊細なお姉様には、毎日のゴシップ騒動は耐えられないかと思いますの。ならば、こっちから永遠に使える本命ゴシップを垂れ流してしまえばいいのですわ!」


「本命、ごしっぷ? 矛盾している単語の組み合わせに感じますが」


「ええ、たった今わたくしが作りましたもの」


 オリジナル用語?


「お姉様が祖国にお戻りになる際に、すでに妊娠しているという設定にすればよいのですわ!」


「 」


「それならば、身重の女性に言い寄る殿方のほうへ、避難の目が向きますもの。どうでしょう? 我ながら素晴らしい作戦だと思いますわ~」


 なんてことを! 冗談でも実行してよい事ではありません! 思わず顔も熱くなります!


「あ、あなたっ、からかって楽しんでるでしょ!」


「いいえ、わりと本気ですわよ? どのみち偽装結婚してまで祖国にお戻りになる手筈なのでしょう? それでしたら、今度は後継ぎ問題に直面いたしますわ」


 それは、そうですけど……。


 言い淀む私から生じた隙を、見逃す彼女ではありませんでした。


「大きな問題なのは、お姉様が迷いなく男装する、その性格ですわね。女性らしいと思われたいとか、綺麗とか可愛いと言われたいだとか、その制服では到底アプローチできておりません。しかも、すっぴんでしょ? 無色透明な日焼け止めは、お化粧のうちに入りませんわ」


「う……。だ、だって、変なクリームを塗ると、肌が痒くなってしまって……」


「まあ! お化粧品を変なクリーム扱い? 敏感なお姉様の肌に合うものを探すのは、骨が折れそうですわね。オーダーメイドという手もありますわ。でも、かなりお金がかかりますから、その分絶対に愛しい殿方を手に入れなければ、モトが取れませんわよ」


「私の性分には、合わないかと……」


 よくわからない世界の話をされると、混乱してしまいますね。私もまだまだです。これから大勢の前に顔を晒すという事は、身分ある女性ならば、すっぴんは許されないのかもしれませんね……困りました。


「ハァ〜……」


「……。クリストファー様は、ごてごてにお顔を整えた女性がお好きなのかどうか、まだわかりませんわ。今までお傍に置いてもらえたのなら、今後ともそのままでよろしいんじゃないかしら」


 笑顔で匙を投げられました。


「いっそ男性に間違われたままでも、普段から男装されてるお姉様には、特にダメージはないのではなくって?」


「そ、それは、さすがに。私だって、これでもミニ・ブルーベルとして、世間では認知されているようですし……」


「あらぁ、何かおっしゃって? クイーン・ベルジェイ。ただでさえ呼び名がたくさんあって、クリストファー様を混乱させていらっしゃるのに、さらに増やしますの?」


「い、いいえ! 急に呼び名を変えるだなんて、場を混乱させる要因にもなってしまいますから!」


「では、ミニ・ブルーベル姫は永遠に封印いたしましょう。今更お姫様扱いされようだなんて、甘えが過ぎますわ、お姉様」


 結論が出ました。私には、一時でも違う道に避難する選択肢は与えられないのです。祖国に戻れば、いついかなる時でも気を張ってクイーンを演じ続けることに、残りの人生を費やさなくてはなりません。


 どんなに執事として振る舞っていても、か弱い女の子としてクリス様に気遣っていただいた今までが、きっと身に余る贅沢だったのでしょう。


「お姉様は独りではありませんわ。どうぞ、わたくしを頼りになさってくださいませね」


 それは、少々抵抗が……。


「では、わたくしはオリバー様との隠れんぼの途中ですので、失礼いたしますわ」


「あ、ミニ・ローズ姫、あなたの返答をまだもらっていません」


「あら、それは主人であるクリストファー様の弟君を無視してでも優先されるべき最重要事項なんですの?」


 ノンブレスで質問返しされ、私はすっかり怯んでしまい、「い、いいえ」と歯切れの悪い返事をするので精一杯でした。


「では、失礼〜」


 笑顔で去ってゆく彼女の小さな後ろ姿を、見送ることしかできません。結局、彼女がクリス様に好意があるのかどうかは、判断できませんでした。


 これは私の経験不足が起こした失態です。今まで私相手に、ここまで徹底して笑顔を貫いた人はいませんでした。私自身が己の能力を過信していたせいもあります。それ故に、遅れをとってしまいました。


 彼女の嘘や誤魔化しを、瞬時に見極めることが可能となったとき、きっと私はあらゆる人物の真意を把握できるまでに成長していることでしょう。


 精進せねばなりません。これから先も、ずっと。


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