第23話 ええ!? オリバーも暮らすの!?
ミニ・ローズ姫がうちの屋敷に入るのは、今日の昼頃だったね。忙しい予定がびっしり詰まってるから、朝から仕事に取り掛かって、少しでも政務の数を減らしていた。僕の仕事っていうのは、あらゆる国から届く手紙の、翻訳作業。うちの国で雇ってる翻訳家がいたにはいたんだけど、なんだか表現の微妙な差異が気になるというか、父上も僕が翻訳した書類のほうが読みやすいって言うから、いつの間にやら僕だけの特別な役割になった。これがけっこう大変でね~、書類がいっぱい届いたときなんかは、引き受けたことを後悔する日もあるよ……。
ミニ・ローズ姫が到着するのは、お昼頃だ。お出迎えするために、庭師に庭の花たちを整えてもらい、メイドたちには玄関を開けてもらっていた。うん、猫もたーくさん入ってきたよ。
僕もベルジェイも、玄関ホールで待ってた。外で待ちぼうけになっちゃうと、ベルジェイが貧血で倒れちゃうし、僕も暑いしさ。
ああ、ミニ・ローズ姫が数人の侍女とともに、歩いてくるのが見えてきたよ。時間もちょうど良くて、お庭のバラのアーチを静かにくぐって入ってきた。緑色のケープを羽織ってて、それが薄ピンクのドレスと合わさって、まるで逆さにした小さなバラの蕾のようだった。
例のカツラも、しっかりキメてる。短めの二つくくりで作ったキャンディみたいな髪型の先端は、くるりんとカールしてて、彼女の歩みに合わせて揺れていた。彼女は僕と視線が合うなり、嬉しそうに微笑んだ。だけど、あの笑顔も演技なんだよな~。初対面の人は絶対にだまされるね。
「はーい、クリス様。わたくしが来ましたよ~」
「歓迎するよ、一応ね」
「まあ、そっけないこと。ですが、皆様の前で勇気ある行動を選んでくださったのですもの、これから先のあらゆる態度は全てわたくしへの好意の裏返しと捉えますわね」
う……。僕が照れ屋で子供っぽいという設定が、こんなときにまで不利に働くなんて。
……僕の斜め後ろに控えてるベルジェイは、今頃どんな顔して立ってるんだろう。すらっとしてて背が高いから、ミニ・ローズ姫みたいな超小柄な人物を見下ろすだけで、きっとかなりの威圧感を放っているんだろうな。ちょっと心配になって、僕は首だけで後ろを振り向いた。
ベルジェイがいつものビシッとした無表情で、一礼するところだった。
「お待ちしておりました、ミニ・ローズ姫。お部屋までご案内いたします」
「あら、お出迎えありがとう、執事さん。この国の第一王子の後宮から無理やり奪い取られたとはいえ、わたくしは元第一王子の妻だった女ですわ。今までも、そしてこれからも、あなたを姉とも家族とも思いません。一使用人として、これからも励みなさいな」
「ファンデル国・本年度改訂版・法律全集第千四百五十六条、未成年者は誰の妻にも夫にもなってはならない。たとえ王族であっても、例外ではありません」
陽だまりのような笑顔と声色のミニ・ローズ姫と、氷のように冷えきってて鋭いベルジェイの声。
「あなたはギルバート様の妻ではないどころか、クリストファー様の妻でもありません。
「なーんだ、ばれてますの。つまんない方々」
緑のケープに包まれた小さな肩が、やれやれと言わんばかりにすくめられた。でも、その横顔は不適に笑ってる。
「ご心配なさらずとも、自分の立場はしっかりとわきまえておりますわ。そう、自分の特技も長所も何もかもが発揮できて、ゆくゆくはのし上がってゆける算段すら叶うような、超絶的に安定した立場をね」
「うーわ、いったい何をするつもりなんだよ。やめてくれよ、初日からギスギスするのは」
姉妹で一触即発な空気。これから毎日、こんな状況になっちゃうのかな。僕はこの歳で胃薬必須になるんだろうか。苦肉の策で選んだ結果とはいえ、これは未来の僕から相当恨まれてるぞ~。
ここで立ち話(という名の煽り合い)を続けてても、ギスギスが悪化するだけだから、とりあえずミニ・ローズ姫の案内は別のメイドに任せて、ベルジェイと彼女を物理的に遠ざけておくことにした。
「それじゃあ、部屋に荷物を置いたら、客間に来てね。この屋敷はいろいろ古いから、気を付けなきゃいけないことがたくさんあるんだ」
「あら? 少々お待ちになってクリス様。新しいご家族は、わたくしの他にもいましてよ」
「え?」
この場の空気から解放されようと思っていた矢先に、この言葉。新しい家族って? ネズミの他にも、まだペットを飼ってたのかな。
とりあえず、どんどん猫が屋敷に入ってきちゃって大変だから、ミニ・ローズ姫御一行には中に入ってもらって、メイドに頼んで玄関扉を閉めてもらおうとした……大勢の頭部が、バラ園から見え隠れするまでは。
見間違いかな? 今日はこれ以上の来客の予定は入ってないはずだから、扉は閉めちゃっても失礼には当たらないはずだ。
というわけで、しっかり戸締まりした矢先、扉がドコドコと叩かれた。元気な声で「あにうえー!」って聞こえる……。
嫌な予感に顔がくもりそうになるのをこらえて、玄関扉をメイドに開けてもらったとたん、オリバーの歯の抜けた笑顔が飛び込んできた。
「あにうえー! ぼくもきょうから、いっしょにくらせるの、うれしいです!」
ど、どうして背中にぱんぱんのリュックサックを背負ったオリバーが、玄関に立ってるの? 心底嬉しそうなオリバーの、歯の抜けた前歯で作った笑顔に、僕は思わず顔が引きつった。
「オ、オリバーも屋敷で暮らすなんて、初めて聞いたんだけど……」
「はい、ぼくもきょうのあさに、はじめてききました。それで、いそいでしたくしたんです!」
「だれから聞いたの?」
「ギルにいさまからです! はいコレ、ギルにいさまからの、おてがみです!」
そう言って、手の中でしわくちゃに握られた白い封筒を、僕に突き出してきた。うぐぐ、中を見なくたって何が書いてあるのかわかっちゃうのが悔しい。
それでも、人の予想の斜め上をぶっとんでいくのが兄上だから、念のためにね、封筒を開けて確認した。……うん、『オリバーが駄々こねて大変だから、二ヵ月くらい預かってね』って書いてあった。予想通り過ぎて、逆に予想外だったよ。正妻さんには、兄上のほうから何か言っておいてくれたかな。これ以上、正妻さんと揉めたくないんだけど。
ん? 手紙は一枚だけかと思ったけど、もう一枚あるぞ。
『追伸 今日は僕も遊びに行くね。猫の毛対策とかなんにも考えてないから、とりあえず着替えとシャワーの準備お願いね』
はあ!? オリバーのことも急なのに、兄上までおもてなししろってぇ!? あのさー! 書状一つでいろいろな厄介事を運んでこないでくれるかな!? しかも、ほとんどが事後報告だし。
傍らのミニ・ローズ姫が、ころころと可憐な笑い声を立てた。
「安心なさって、クリス様。オリバー様のお世話は、わたくしが請け負うことになりましたから」
「ええ!?」
「わたくしの理想通りの、特別立派でしっかりした男の子に育て上げますわ。わたくしに後ろ盾がいないのであれば、頼りがいのある王子様をわたくしが作ってしまえばいいのです」
「オリバーはまだちっちゃいんだよ! 無理なことはさせないでよ!」
「そうでしょうか? 皆様、オリバー様を甘く見過ぎですわ。好きなことや興味の湧く事柄であれば、大興奮されて一睡もされずに履修なさってしまいますの。オリバー様に必要なのは、時間割の管理能力に優れた家庭教師ですわ」
まさか、きみの言っていた「超絶的に安定した立場」って、これぇ?
わあ、オリバーもすっかりミニ・ローズ姫に懐いてるよ。「おへや、ちかいといいね」とか言ってるよ。一階と二階くらいに引き離しておかなくちゃ、大事な弟が変な洗脳を受けちゃうよ~。
「クリストファー様……」
僕の後ろで、ベルジェイがすごく心配そうな声だった。
「ハァ、しょうがないや。空き部屋を増やすから、二人とも客間で待っててね。君達の従者にも、お仕事を割り当てないと。ここは人手不足だから、従業員が増えてくれて嬉しいよ」
「ねこちゃーん! あにうえ、いーっぱいいろんなねこちゃんいるー!」
廊下のかなたまで猫を追いかけて走ってゆくオリバーを、ミニ・ローズ姫がにこにこしながら眺めていた。
「あらあら。明日からは、とびきり優しく教えて差し上げませんとね」
「どうか、ほどほどにね……」
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