第22話 ベルジェイが年下だった頃
あ〜、ようやくお屋敷に着いたよ。すぐ近所なのに、すごく疲れた……。
玄関扉を、うちのメイドたちが開けてくれてさ、なんか焼きたてのスコーンみたいな匂いがしてさ……。パティシエのお兄さんが、初めて焼き菓子を成功させたんだってメイドが嬉しそうに教えてくれてさ、それがなんだか、すっごく嬉しかったな。がんばったご褒美に、ステキなモノをもらえた気がしてさ。
がんばったのは、パティシエのお兄さんもなんだけど、僕自身へのご褒美にも感じたよ。
手を洗って、うがいして、そして足元にちょっとだけ元気になったスリープがやってきて、嬉しくて僕はスリープを抱っこして頬ずりした。
「わあ~スリープ~! なんとかなったよ、良かったよ~」
ちょっとだけ焦げ目の目立つスコーンは、部屋まで持ってきてもらった。
「スリープ、もう背中は痛くない? また獣医さん行く?」
「……フン」
「鼻で返事した。じゃあ、これ食べ終わったら包帯を取ってみようか。カサブタができてたらいいけど、もしまだ生傷状態だったら、お医者さんね」
「……」
無反応のスリープを膝に抱っこしたまま、スコーンを紅茶に浸して柔らかくして食べていた。ベルジェイは味覚が鋭いから、お茶を淹れるときは渋みを徹底して取り除く。だからすごく飲みやすいんだよね。
「私もご同席して、よろしかったのでしょうか」
「うん。焼きたてで美味しいから、独り占めするより誰かと食べたくってさ。あ、さっきお弁当を食べたばっかりだよね、お腹いっぱいだった?」
「いえ、甘い物は別腹ですから。デザート感覚でいただいております」
部屋の真ん中の丸テーブルで、ケーキスタンドに並んだ小さなスコーンを、二人で食べていた。今日はずっとベルジェイに追従してもらってて、さらに今も僕のそばにいたら気が休まらないだろうなぁってことはわかってるんだけど、明日までにいろいろ決めなきゃいけないことが山積みだからさ、それの話し合いも兼ねて、来てもらったんだよね。ほんとごめん。
あ、胸のさらしは苦しかったのか、取っちゃってるや……まあ、あの、僕のことを男として見てないのは知ってたけど、だからって、あんまり胸ははだけないほうが……こういうのを指摘するのも、セクハラに入るのかな。
おっと、あんまり胸ばっかり見ちゃダメだな。君から気持ち悪いヤツだって思われたら、悲しいし……。
僕らはミニ・ローズ姫の部屋をどこにするかとか、彼女との今後の付き合い方とか、姉であるベルジェイはどういう気持ちで彼女と接するつもりなのかとか、いろいろなことを話し合ったよ。
「クリストファー様、そろそろ休憩にいたしましょう」
「うん? あ、疲れちゃったよね!? ごめん、熱中してたや」
「いえ、私は平気なのですが。クリストファー様こそ、屋敷に戻られてから、立て続けに働いていらっしゃいますから、お疲れではないかと」
「うん、甘い物を取りながら作業してるせいかな、ちっとも苦じゃなかったよ。でも、そろそろ休憩するね」
つい仕事モードに切り替わってたや。今日はたくさんの刺激や日差しを浴びたベルジェイのことを、もう解放してあげないと。彼女は雇われて僕のそばにいるわけじゃなくて、あくまで異国から預かってる要人なんだ。本当は執事扱いも国際問題に発展するかもしれないんだよな。でもベルジェイは頑固だから聞かないし。
「残りは明日になったら考えようか。今日はもう、夕飯食べたら寝ちゃお」
「私の事はどうかお気になさらず。クリストファー様が何の杞憂なく、完璧に明日を迎えられるためならば、本望です」
顔には出さないけれど、絶対疲れてるよね。味覚が優れてるから、普段はコショウや塩の効いた料理は、あんまり食べないんだけど、今日はみんなに合わせて、たくさん食べてた。今だって、砂糖たっぷりのスコーンにジャムまで付けて食べちゃってる。疲れてるから、甘い物だけは別腹で欲しいんだよね。
君が無理をするのが、僕にとってはとても辛いよ。
って、伝えても、ベルジェイは頑固だから、僕の言うこと聞かないんだよなぁ。
「ハァ」
思わず漏れちゃったため息に、やっぱりベルジェイは反応した。色素の薄い眉毛を不安そうに寄せて、僕を見つめるもんだから、何かごまかすようなこと言おうと思ったけど、疲れて頭が働かなくてさ、何も言えなかった。
「私は常々、クリストファー様と一緒に、ストレスが溜まった時の解消法を探したいと思っておりました」
「え? 方法なら、スリープを撫でたり、お菓子を食べたり、僕はそれで充分かな」
いつも兄上に振り回されてて、すごく腹が立つことも多いけれど、だからって兄上がいなくなっちゃったら、悔しいけど、寂しいしさ。
「確かに僕の立場はストレスが多いけれど、その分、ちゃんと行動に移して、なんとかしてるから、そこまで心配しなくて大丈夫だよ」
僕は笑ってみせたけど、それはどうやらベルジェイの求めていた回答ではなかったようで、困らせてしまった。
「えっと、それじゃあさー、いつもみたいに、僕の話し相手になってよ。それだけで充分だよ」
「本当ですか? 私でよければ、いつでもお呼び下さい」
声に力がこもってた。ほんとに真面目だなぁ。僕に何か問題が起きたら、自分の責任だって思っちゃうタイプなのかな。僕のストレスの管理まで、しなくてもいいと思うんだけど……言っても聞かないんだろうなぁ、頑固だから。
ベルジェイが茶器とケーキスタンドを運んで、部屋を後にした。
一人になった僕は、スリープを膝に乗せたまま、窓辺に座って、城下町の明かりを眺めていた。ふとテーブルを見れば、今日持ってきたあの木箱が、きちんと置かれている。荷物を持っててくれた兵士が、ここに戻してくれたんだよね。
兄上に指摘されるまで、紙面の「クリス様」の呼び方のミスに気づかなかった。このまま誰も気づかなきゃいいなぁ。
もう、この箱を視界に入れてるだけで疲れちゃうから、棚の上に片付けて、シャワー浴びる支度しよっと。あったかい日差しの中で、ご馳走を食べたせいか、汗かいちゃったや。
この部屋の棚は、ちょっと背が高いから、踏み台がいるんだよね。もうしばらくは箱を目にすることもないだろうし、思い切って一番上にしまっちゃうか。
ん? 棚の上に、もう一つ箱があるぞ? お菓子の紙箱みたいだ。
ああ、あれは。うっかり仕事の書類と混じらないように、昔の僕が大事に分類してたお手紙だ。
懐かしいなぁ。今日は疲れてるから、棚から下ろして中身を見ることはしないけど、あの中には家族からもらった手紙がいっぱい入ってるんだよ。
僕ね、じつは恋文をもらうのは初めてじゃないんだ。ベルジェイがずっと小さい時に、僕の誕生日にくれたんだ。『クリスお兄様へ』、って色鉛筆で書いてあったよ。当時のベルジェイも、僕のことを年上だと思ってたんだ。
誕生日ケーキに、チョコペンで書かれた僕の年齢を見て、ベルジェイが悲鳴をあげてたなー。僕もその日、初めてベルジェイが二歳年上だって知ったんだよ。もうびっくりしたなぁ。
それから一緒にシャワーに入るのやめちゃったんだよね。なんとなくね……。てっきり歳の離れた妹のようだと思っていた僕は、背中とか、洗ってあげちゃってたんだ。ベルジェイも急に恥ずかしがっちゃって、自分でできるって言い出すし。
そもそも、なんでベルジェイが一人でシャワーを浴びてなかったのかって言うと、うちのシャワーの部品が、ちょっと硬い時期があってさ、古いお屋敷だからね。それで僕が頭洗ってるときに、ベルジェイが入ってきちゃったんだよ。それから一緒に入るようになってたんだ。子供同士で、ぬるいお湯がちょうどよかったし、ベルジェイは肌が弱いから、手の平に石鹸をつけて撫で洗いしなきゃいけなかった。僕はスポンジでよかったんだけどね。ベルジェイがお返しとばかりに背中を撫でてくれて、僕はシャワーのたびにくすぐったくて笑ってたな。
寝る時も一緒のベッドだったんだよ。ベルジェイがお母さんと離れ離れになって、寂しがって泣くからさ……こっそり部屋に呼んで、大きな枕に小さい頭を二つ並べて、何の話をするでもなく、ベッドに収まってたなぁ。しばらく隣でしくしく泣いてる声がするんだけど、そのままにしてると、僕にくっついてきて、すぅすぅ寝るんだよね。
……僕の年齢が発覚するまで、一年くらい、お風呂もベッドも一緒だったんだ。まだオリバーが生まれてなくて、僕には下に兄弟がいなかったから、小さい子のお世話をするのは楽しかったんだけど、ベルジェイにとっては黒歴史だろうから、なるべく話題にしないようにしてる。
あの箱には他にも、オリバーからのお手紙とか、兄上からの変な詩集とか、父上や母上からの、ちょっとした伝言とか、家族からもらった思い出は全部入れてあるんだ。
今日は、その箱の隣に、この忌まわしい木箱も並べて置くことになってしまったよ。奥のほうに押しやっとこうっと。
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