第19話   ヒントはオレンジジュース②

 ……よし、誰でもわかるくらいに充分に染まったぞ。僕は一枚目の手紙を、最寄りの女性に手渡して、みんなで回し読みしてほしいとお願いした。


「まあ、これはなぁに?」


「私にも見せてくださいな」


「どんなことが書いてありまして? ドキドキしますわ~」


 娯楽に飢えている女性たちが、まるでウェディングブーケを取り合うようにして手紙を奪っていくものだから、破れないかヒヤヒヤした。


「あの、くれぐれも丁寧に扱ってください。大事な手紙なので」


 念のため、釘を刺しておいた。さて、僕は二枚目の手紙を日光にかざさなくちゃ。


 こうして僕は、二枚目、三枚目と、順番にお日様に染めてもらい、その手紙を女性陣に配り、確認させた。ベルジェイの隣りに並んでいるミニ・ローズ姫は、どの手紙にも手を伸ばすことはなく、黙って座っていた。


 手紙はめぐりめぐって、兄上の手元に三枚とも全て揃った。わくわくしている兄上の顔から、ふっと笑みが消える。


「これって……茶色の染み? こぼしたほうじ茶を白いハンカチで拭き取ったような色をしているね」


 形の良い眉毛が、ぐにゃって歪んでいる。手紙の匂いを嗅いだり、日に透かしてみたり。


「なんだい、これ。適当な文字に、茶色く汚れたような跡があるけど、何かこぼしたの?」


「いいえ。じつはこれ、柑橘系の透明な果汁で、文字に丸を付けただけなんです」


 手紙にびっしり書かれた気持ちの悪い文章、当然ながら使われている文字数も膨大だ。そこから都合の良い文字だけを拾って、無色の柑橘系の汁を塗ったんだ。一枚目の手紙には「く・り・す・お・う・じ・だ・い・す・き」の文字に。二枚目の手紙には「こ・の・ひ・に・お・あ・い・で・き・る・の・を・た・の・し・み・に・し・て・い・ま・す」の文字だけ拾って丸をつけ、三枚目の手紙には日付っぽい言葉に丸をして、あとは良い天気の青空にかざすだけ。


「日光に当てると、その部分だけが変色するんですよ。時間が経過しても変色していくので、僕が恥ずかしがってなかなか開封しないのを見透かされていたのかもしれません」


 雨が降ってなくて、本当に良かった……。ほっとする気持ちに鞭打って、僕は大真面目な顔を保ち続けた。


「おかしいと思ったんですよ。一週間に一度だけの手紙が、三日連続で来たので、きっと彼女の身に何かあったに違いないと心配しました。よくよく見たら手紙の文面に、何かを薄く塗ったような痕跡が。僕はそれらを拾って読み上げ、どんなにか安堵したでしょう。そして、どんなにか楽しみに待ちわびたでしょう」


「ハハハ」


 なに笑ってるんだよ、この変人が~! 兄上の悪趣味で、これまで何人死んでると思ってるんだ。ミニ・ローズ姫まで手に掛けようとするだなんて。


 しかもベルジェイの妹らしいし、なおさら気分が悪い。


 さあ兄上、どう出る! さっきから笑ってるけど、あなたはいったい何がしたいんだ!


「そこまでされちゃあ、引かざるを得ないなぁ」


 片手でお腹を押さえながら、まだひきつり笑いを引きずっている。その顔だよ〜、僕その笑顔すんごく嫌いなんだよ。


「それでは兄上、ミニ・ローズ姫は屋敷に持って帰りますからね」


「ああ、おもしろかったし、べつにいいよ。ピクニックのときみたいに、この場にいる全員が証人だ。この僕から後宮の一員を引き抜いて持っていくんだから、大事にしてあげてね」


 もともと兄上が勝手に作った後宮だから、僕が勝手に持っていってもいいよね。ハァ、こんなことがなければ、誰かの奥さんを自分ちに連れて帰るなんてこと、一生しなかったよ!


 えーっと、ミニ・ローズ姫は……ああよかった、ベルジェイがしっかりと捕まえててくれた。どさくさに紛れて逃げられちゃ、ここまでやった意味が無くなるところだったよ。


 兄上の気が変わらないうちに、早くベルジェイたちのもとへ行かなきゃ。


「クリス様……」


 さんざん泣いた後なのか、薄くて白い花びらみたいなまぶたが、真っ赤になってて……え? そんなにいっぱい化粧してたの? 溶けたアイメイクが目の周りで滲んでて、灰色のパンダになってるよ。遠目から見た時は、あぁ化粧ちょっとぐしゃぐしゃだなぁくらいしか思わなかったや。


「わたくしは、ずっと嫌な事しかしてこなかったのに、ど、どうして、こんな事をしてまで――」


 悔しいのか顔を真っ赤にして、スカートを握りしめる両手が震えていた。


 それを見たとたん、僕はジト目になる。


「なに怒ってるんだよ。そもそも嘘の手紙を送ってきたのは君だろ? 仕返しに僕から嘘の手紙をでっち上げられただけじゃないか。おあいこだよ」


「し、しかし、あんな内容を偽るだなんて!」


「しょうがないだろ、この間のピクニックのせいで周囲から両想いだと思われちゃったんだから。今さら君に恥ずかしがる権利はないと思うけど」


 ……ちょっと言い方がきつかったかな、うつむいちゃったよ。


「じゃあ、あの、ほら行くよ。早くあのネズミ、なんとかしてよ」


「え……?」


「君が屋敷を去ってから、水もごはんもぜんぜん食べてくれなくてさ、今朝見たらすごく弱ってんの。おしっこもすんごく臭いし、ベルジェイが閉口してるんだよ。スリープもそわそわしちゃって、安静にしてくれないしさー」


「……」


 彼女が怪訝な顔で、ぽかんと口を開けている。でも、すぐににっこり笑顔になって、崩れたメイクも相まって、今そこにどんな感情が渦巻いているのか読み取れなくなっちゃった。


「……そうですの(怒)。では遠慮なくそちらへ伺いますわね(怒)」


 なんかすごく怒ってるみたいだけど、今日はもう痛み分け兼、僕の勝ちでもあることにしたよ。


 兄上も負け! ミニ・ローズ姫も負け! 僕の勝ち。はい、解散!


 帰ろ帰ろ。ハァ、もうこんな場所にいたくないよ。


 ん……? なんだろう、中庭にコック帽をかぶったおじさんたちが、お弁当箱のような物を持ってぞろぞろと入ってきたんだけど。


 なになに? どういうこと?


「兄上?」


「ふふ、これは僕の仕業じゃないよ。でも、たまにはいいじゃないか。今日はおめでたい日でもあるんだから、お祝いしよう」


「おめでたいって? なにが? え? 僕もう帰るんですけど」


 よく晴れた青空の下で、花たちが思い思いに揺れて、周りには敷物の上で華やぐ女性たちが。僕は、どこかで、こんな構図の大きな絵画を閲覧したような気がするよ……いや、気のせいじゃない、本当に悪夢のようだ。


 いったい誰の差し金なのか知りたくて、僕はコック帽のおじさんに尋ねてみた。すると、


「陛下が、お久しぶりに御兄弟のお姿を眺めたいと」


「え!? 父上の要望なの!?」


「はい。昨日の余り物で良いから、弁当に詰めて持って行くようにとのご命令です」


 昨日の残りなら、お弁当箱に詰めるだけだから、こんなに早く準備ができたのも納得できるか……いや、できないよ! この間もピクニックしたばっかりじゃんか。しかも父上の命令だから、僕も帰れないし。


 あ、オリバーまでやってきたよ。片手をメイドと手をつないで、眠そうな目をこすりながら大あくび、よたよたしながら歩いてくる……お昼寝してたのを、起こされたのかな?


「……ん~? あー! あにうえたち、ずる〜い! ボクもたべまーす!」


 めちゃめちゃ元気に走ってきたよ。さっきまでの眠気眼はどこへやら。


 あーあ、みんな集まっちゃったよ〜。そして、みんな笑顔だよ。中庭でピクニックが開催されてしまったよ。


 ふと、上の方からひらひらと動くものがあって、見上げてみたら父上が窓から頭を出して、大きく片手を振っていた。ニコニコしてる。


「ア、アハハ……どうも〜」


 いつもはバラバラになっている兄弟だから、三人揃って食事するのは、数年ぶりになるかもね。父上はきっと、僕らが仲良くしてる姿を見るのが嬉しいんだろうな。


 この状況は、父上の命令でしぶしぶ完成された、作り物なんだけどね。


 う~ん、どうしようかな。僕が座る席は、たぶん、兄上とオリバー寄りの位置ってことでいいかな? たった一人でミニ・ローズ姫を捕まえてくれてるベルジェイと、あんまり離れたくないんだけどなぁ。仕方ない、声だけかけておくか。


「ベルジェイ、騒がしいの苦手だろ? 無理だったら、姫を連れて君ら従者だけで帰っていいからね。僕は立場上、帰れそうにないけど」


 すると、敷物に座ってミニ・ローズ姫と並んでいたベルジェイが、辺りを見回した。やっぱり、居心地悪いのかな。


「周りの雰囲気に抗うことができず、同意してしまうこと、これを同調効果と言います」


「違うよぉ、これは国王陛下からの立派な命令なんだよぉ……」


「貴方が従うならば、従者の私も従うのが筋です。これしきのことで主君を置き去りにする人材では、この先、貴方を支え続けることはできません」


「いや、あの、ほんとに無理しないでいいよ? 食べ物や、香水の匂い、後は、大勢が君に話しかけるだろうし、いろいろ気になっちゃって、大変じゃない?」


「これしきのこと、クリストファー様をお一人にしてしまうことに比べたら、なんて事はありません」


 あの、ほんとに無理しないで? って何度も繰り返しそうになったけど、こうなったベルジェイは聞かないからなぁ。あきらめるか。


「わかったよ。ありがとう、ベルジェイ! それじゃあ僕は兄上たちと仲良しなふうに演技しなきゃならないから、君と同じ場所には座れないけど、ミニ・ローズ姫のことは任せたよ」


「はい、ご安心くださいませ」


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