第15話   芸術で世界を動かす男

「クリストファー様、もっと急いで!」


「誰も追いつけないよ、ベルジェーイ」


 護衛をぶっちぎるんじゃないよ。君の身の安全のために連れてきてるのに。


 今日は厄日だよ~。君は兄上に命を狙われているんだから、僕が管理する屋敷にいてほしいのに。大きな麦わら帽子をかぶって、先頭を走ってるんだ。


 父上は、身内から死人とか怪我人が出るのをたいそう嫌っているから、兄上がこれ以上に父上の機嫌を損ねたら、王位継承権の第一候補が僕かオリバーに移動しちゃうかもね~……って、そんな脅し、自由奔放な兄上には効果がないんだ。


 急がないと、ミニ・ローズ姫が危ないかもしれない。兄上はミニ・ローズ姫がベルジェイの妹だってこと、知ってたんだろうか。



 葉桜の並木を抜けまして~、ここがファンデル家の新築にして国王陛下のお城で~す。当然ながら見張りが山ほど立っていて、本当はこんな簡単に玄関まで通されないんだけど、僕の家だからね、入れてもらわなきゃ困るよ。


 うちの屋敷と違って、ぴっかぴかの玄関ホール。壁には兄上が描いた特大の風景画がいーっぱい飾られてて、収集家コレクター垂涎すいぜんのあまりミイラになりそうな異空間だ。うーわ、僕とベルジェイの絵もある……。


 もやもやした黒煙のような暗い背景に、鬼気迫る怖い顔した僕と、僕の後ろに庇われて小さくなっているベルジェイを描いた人物画。兄上の目線でしか描けない絵面だ。実際の僕はこんな顔した覚えないし、本物のベルジェイは凛々しくて、きっと僕の背中でこんな弱々しい顔なんてしなかったはず。むしろ僕より怖い顔してたんじゃないかな。


「クリス、この大きな絵画は、いったい……」


 ベルジェイがホールの真正面に飾られたその絵に、びっくりして立ち止まってた。まるでホールのメインになるような位置に、わざわざ飾ってあるんだ。ここに来るの、初めてだもんな、五感の優れたベルジェイにとっては、天才芸術家の作った画廊を無反応で走り抜けるなんてこと、できないか。


「あー、言ってなかったっけ。兄上は、僕と君の絵を描いてたんだ。これは、君が兄上に殺されかかったときのだね」


 ほんと、あの時はびっくりしたよ。兄上の後宮の女性たちが、ベルジェイを話題にしたとかで、兄上がコップを片手に『・これは熱湯だよ・』って言いながら、ベルジェイに投げつけてきたんだ。人よりも感覚が鋭いベルジェイに、熱湯なんてかかったらショック死しちゃうよ! 僕が前に出て庇ったんだ。で、けっきょく冷水~。僕だけずぶ濡れで、風邪ひいたんだよ。もう宣戦布告も甚だしいよ! 絶対にベルジェイを兄上に近づけないようにしたかったよ、今日も。だって、どうしてもついて来るって聞かないからさ~……。


「あの夜の事は、片時も忘れたことはありません。お湯が冷めていたからよかったものの……クリスが火傷をしなくてよかった」


「お湯が冷めていたのか、それとも最初からお水を持ってたのかは、わからないけど、僕は前者だと思ってるんだ。兄上は、僕が君を庇えるなんて予想してなかっただろうから、ぬるま湯なんて手加減はしなかったよ。兄上は気まぐれだけど、いつだって本気な人だから」


 僕は兄上と違って芸術関係に疎いから、茨をくっきりと陰深く彫刻したごっつい額縁に守られた、この巨大な絵について、「ふざけるな」の一言しか浮かばない。


「兄上は次の日に、君を庇う僕の絵を描いたんだ。最ッ悪。しかも世界的に有名なオークションに勝手に出して高額が付いたんだけど、気が変わったとか言い出して、けっきょく誰にも売らなかったんだよ。どういうつもりなんだろ、どこまで他人からの信用を落とせば気が済むの。ベルジェイの国の人がオークションに参加してたら、この絵を観て『ああ、カップルだ。お嫁に行くんだな』って勘違いしちゃうじゃないか、もう」


「あ、ああわわ……世界的オークションに、この絵が……私はとうに、ミニ・ブルーベルとして世間に認識されていたんですね……」


 ああ! ベルジェイがショックで痙攣してる! どうしよう、説明しないほうが良かったのか、ごめーん!


「すみません、私は後者の、初めから兄君様がお水を持っていたほうだと思います」


「へ? 君は命を狙われたんだよ? どうして兄上を庇うようなこと言うの?」


「ええ、あの、兄君様のお味方をするわけでは無いのですが、彼の狙いは、この絵を完成させて、人目にさらすことだったのではないでしょうか。そのためには、あなたの危機迫る顔が必須だったのかと」


「自分が描きたい絵のために、わざとあんな事件を起こしたって? こんなの他人が観たら、まるで僕と君が恋人同然に庇い合う関係に思うじゃないか。この絵のせいで、君の王位継承が遠ざかったかもしれないよ」


 もう、ここは兄上だけの美術館じゃないのにさー。たまに不気味な絵も飾りだすから、ご高齢のお客さんが腰抜かして、足をひねっちゃったこともあるんだ。芸術で間接的に暴力を振るわないでほしいよ。


「こ、この絵! 私は好きです!」


「ええ!? な、何言ってるの!?」


「だって、この絵……あの、その……」


 呂律が回ってないじゃないか。


 もう、兄上のファンになる人って、みんな頭おかしくなっちゃうから嫌なんだよな。ベルジェイはまだ戻ってこられるかな。


 ……恍惚とした顔で見上げてるねー、ちょっと危ないかも。こんな初っ端から兄上のトラップに引っかかってる場合じゃないよ。僕は歩き出した。


「行くよ。今は君の妹が優先だ」


「あ、はい! 申し訳ありません!」



「クリストファー様ですか? どうかなさいましたか?」


 さっそく兄上の執事さんに呼び止められちゃった。僕は今日ここに来る予定なんて入れてないからね、呼び止められるのも覚悟してた。兄上には執事もメイドもたくさんいて、兄上のやる事に全く反対しない。なんだか従者って言うよりも信者って感じなんだよね。この人もまだ若いのに、国際美術館で兄上の絵に惚れこんじゃって以来、お城まで押しかけてきたんだよ。僕が城下町で猫の餌を選んでたら、迷子になってたこの人に道を聞かれたから、よく知ってるんだ。


「今日は兄上に文句を言いに来たんだ。兄上はどこ?」


「はぁ、また兄弟喧嘩ですか、ほどほどに願います。ギルバート様はミニ・ローズ姫と応接間にいらっしゃいますよ」


「わかった。行こう、みんな」


 自分の城なのに味方と突撃するだなんて、ちょっとした謀反だよね。


「クリス!」


「ん? どうしたのさ、また立ち止まっちゃって。急げって言ったの君だろ?」


 ベルジェイが廊下に飾られた壁一面の巨大な絵画を、指さしながら立ち止まってた。気になって離れられないみたいだ。


「それは兄上が描いた、僕ら家族の集合絵だよ。横に長いよねー。どこからこんなキャンバスを取り寄せるんだろ」


「皆様、幸せそうです」


「晴れた日にピクニックしてる絵なんだよ。僕、あのお屋敷をもらうまでは、父上の正妻さんからめちゃくちゃ嫌われててさ、実際はピクニックなんて、母上としか行ったことがないんだ」


 当時は正妻さんの命令で、僕と母上はお屋敷に入れなかった。兄上とは、いつもこっそりと庭のバラ園で遊んでもらってたよ。あの頃から兄上は危ない遊びばっかりしてて、おまけに油絵の具臭くて、ちょっと閉口したな。ああ、兄上はこの頃から文芸活動も始めてて、詩の大会で入賞したり、絵本の出版の話がきたりと、その多才ぶりは正妻さんの鼻を高く高く伸ばしていった。


「兄上が十歳の頃にね、みんなの反対を押し切って、全員が集合してご飯を食べてる絵を描いてくれたんだ。しかもお屋敷の応接間っていうめちゃくちゃ目立つ場所に飾ってくれたの。僕と母上のことも、家族だって言ってくれたんだよ。それから、僕と母上もお屋敷で暮らせるようになったんだ」


「仲がよろしかった頃も、あったのですね」


 まあ、この数年後に君をめぐる事件が起きちゃったんだけどね。


「ほら、行くよ! 他の絵は後で解説してあげるから!」


「あ、はい! 申し訳ございません!」


 その後は問題なく応接間の大扉の前へと到着できた。ベルジェイは僕の絵だけに反応するのか。このへんが猫の絵ばっかりで助かったよ。若干、兄上に誘導されてる感は否めないけど、考え過ぎかな。


「兄上、僕です! 失礼いたします!」


「ああ、遅かったじゃないかー。待ちくたびれたよ~」


 明るい声が、中から。他にも大勢いるのか、女の人たちの声もする。


 僕らは二人がかりで応接間の大扉を開いた。


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