第14話 すがる手を間違えている
驚きましたわ。何の抵抗もなく身内のギルバート様をお疑いになり、あげく言い当ててしまうだなんて。普段からどれほど兄弟仲が悪いのでしょう。
ですが、わたくしが本当の意味でハムスケを飼っている理由までは、当てられませんでしたわね。おかげで、あの執事の目を欺いて、脱走することができましたわ。
じつはわたくし、あの分厚いレースに引っ張られてシュッとしているシルエットのスカートの内側に、大量の内ポケットを作っておりましたの。お裁縫は大得意ですのよ。大小様々な大きさのポケットの中には、メイク道具と、お着替えが一式。あとは重たくてジャラジャラ鳴る鍵の束。これが一番困りましたわ。細かな道具類も、歩くとカチャカチャ鳴ってしまいますから、余った生地のレースを突っ込んで、緩衝材にしました。これであの厄介な執事に感づかれることもありません。
着替えも鍵束も、ギルバート様が用意して下さいました。あのお屋敷のメイド服だそうです。カツラも用意してもらいましたわ。今のわたくしの髪は茶色い子犬カラーです。
お屋敷を脱出する際に問題だったのは、わたくしの小柄な体躯でしたね。年齢的な問題があるとは言え、わたくしはお屋敷でもお城の中でも、オリバー王子を除けば一番の低身長でした。ブーツの中に、ポケットから布を取り出して詰め込みまして、わたくし自身はつま先立ちで。かなり歩きにくいですけれど、祖国もこうやって変装して脱け出しましたもの、既に練習済み、慣れっこですわ。
ハムスケ持参と、香水をまとったのは、あの厄介な執事の鼻をごまかすため。高級な化粧品類には、どうしても匂いがありますからね。安物の化粧品では発色が悪くて、変装がばれてしまいますし。
ネズミの糞尿は、たった一匹でも、その臭いに気づく人のほうが多いです。ましてや、人一倍感覚が過敏なあの者なら、長時間ペットショップにいるのも耐えられないのではないでしょうか。
結果として、お屋敷にハムスケを置いていってしまったのは悲しかったですけれど、クリス様なら大事にお世話してくださるでしょう。
「やあ、おかえり。その色のカツラ、よく似合ってるね」
お城に戻る道中で、木陰に座って足を投げ出して、くつろいでいるギルバート様に声をかけられました。ゆったりしたブラウスが風に揺れて、涼しそうです。お弁当を広げながら、スケッチブックで何やら描いていたけれど、わたくしを見つけたので作業を中断し、声をかけた、というところでしょうか。
お付きの者は、わたくしが国を出る際に連れてきた従者たちです。
「ごきげんよう、ギルバート様。今日は外せない予定があったのではなくて?」
「退屈だったから、抜け出してきちゃった。それよりも、弟への嫌がらせは済んだのかい?」
「ラブレターの本当の作者が、あなたであるとバレてしまいました」
「あ、そうなの? 筆跡がバレないように、代筆まで頼んだのになぁ」
意外そうに眉毛を跳ね上げられましたけれども、彼の反応はそこまででしたわ。
そもそも、わたくしには三年にも渡って恋文作戦を計画するつもりは、ありませんでした。三年前、サロンでわたくしに声をかけてきたのは、ギルバート様でした。個人的に、ないな、と思っていた殿方です。常に人だかりができるほどの人気者の彼が、お手洗いに行くと装って、わたくしと、わたくしの従者たちを別室へと連れて行きました。
『弟が屋敷で隠してる、ベルジェイという子について教えてくれないかな』
その名には聞き覚えがありました。わたくしが生まれる前に他国へ逃亡した、一番上の姉です。生まれた時から非常に五感が優れており、しかし自分自身では制御できずにストレス過多で倒れたり、具合を悪くして一日中寝込んでいたりと、とても体の弱い女の子だったそうですわ。けれど、記憶力、気配り、それから、貪欲に知識と体術を吸収して、その才能も飛び抜けており、城内では姉が王位を継ぐのを期待する声と、とんでもない、リハビリを兼ねた然るべき施設に入れるべきだという声の、二派ができてしまい、お腹の真っ黒な大人の存在も相まって、城内は内部分裂を起こしておりました。
姉の両親は、日夜激しい口論の止まない城内に、姉を置いておくことを気の毒に思われ、姉の事は儚く亡くなったことにして、遠い遠い異国へ、移されたのです。
姉の噂は、わたくしも耳にしておりましたが、その人間離れした能力からして、他人が大げさに作った物語だと思っておりました。きっと実際の姉は、王族の長女とは思えぬほど平凡でわがままで贅沢ばかりして、早いうちから両親に捨てられたのではないかと、わたくしはそう思っておりましたから、ギルバート様が姉に興味を持つとは、想像もしておりませんでした。
それ以前に、姉がどの国に移動しているのかも知りませんでした。
ここで姉が偽名を使っていたら、わたくしは姉について尋ねられているとは一生気づかなかったでしょうね。
わたくしは従者たちと顔を見合わせて、うなずきました。これはチャンスであると。
祖国を脱出するためのチャンスであると。
当時のわたくしの国は、他のお世継ぎ問題で揉めに揉めており、殺される子も出ていました。揉め事の矢面に立たされている子は、貴族を母に持つ者ばかりでしたので、城下町のレストランでウェイトレスをやっていた母と、その子であるわたくしは、蚊帳の外だから安全だと思っていたのですが……それは大きな間違いでした。
わたくしの容姿は、父である国王陛下に……いいえ、姉であるベルジェイに、そっくりだったのです。
お腹の黒い大人たちが、わたくしの容姿を利用して、姉に見立たせようといたしました。そのためには、わたくしのことが大好きで、いつも付きっきりで傍に居てくれた母のことが邪魔だったのでしょう。母は運動神経が良く、独身時代は輝いていて、昼間は元気なウェイトレスとして、夜は酒場で踊り子として、ちょっとした有名人だったそうです。母は後宮に入った後も、持ち前のガッツで明るく暮らし、わたくしに様々な知識を授けてくれました。
しかし、所詮は出生の怪しい一般庶民です。母には両親がいませんでした。後から知った話では、母はときたま周囲から野良犬のように雑に扱われ、それでも知恵を絞って、必死に居場所を作ってきたんだそうです。母を慕う従者数名から、そう聞いております。
その母も、たった三段しかない裏口の階段から『・足を滑らせて・』頭を強打し、亡くなりました。いいえ、実際は何者かの襲撃を受け、わたくしを庇って鈍器で頭を殴られ、出血と意識不明の重体の後に病院で息を引き取りました。
事件当時、わたくしは六歳。後ろ盾もなく、母を殺害した犯人を探すこともできず、次はわたくしの番かもしれないという恐怖と闘いながら、少ない従者を連れて城の離れで縮こまって暮らしておりました。
幼すぎて、手も足も出なくて、悔しい思いをし続けていたわたくしに、ギルバート様は手を差し伸べてくださったのです。
姉の秘密を教えてくれたら、彼の国へ渡らせてくれると。
今まで、誰も助けてくれませんでした。母は葬儀も行われませんでした。父上は優しいお人でしたが、気が多くて、妻子の数は愛も監視の目も行き届く範囲を超えておりました。
常に誰かしら殺されているので、身分の低い母の葬儀は後手後手に回され、結局、遺体の防腐処理が間に合わずに、集団墓地に投げ入れられるようにして埋葬されたのです。
明日は我が身でした。
「ギルバート様、わたくしはあなたの指示に従い、これまで全てを実行に移してきました。あとは、姉の秘密をあなたに話すだけで、正式に後宮の一員として認めてくださるのですよね」
「ああ、君の身の安全は保証しよう。父上が元気になったら、ちゃーんと口添えしてあげるよ」
ほっとした、と同時に、クリス様の言葉が脳裏をよぎりました。
『君は国家転覆罪で、絞首刑だよ!』
『目が覚めたかい? 兄上は、ああいう男なんだよ』
『君を泳がせて遊んでただけなんだ』
「それにしても、君はまだ小さいのに、生存本能が凄まじいことになってるね。よっぽど怖い目に遭いながら生きてきたんだ」
「……そうかも知れませんね」
「過酷な環境は、人の心を簡単にねじ曲げてしまう。正義も美徳も、抱え持ってたってお腹は膨れないからねー」
「あら意外ですわ。何もかも恵まれているあなたから、そんな言葉が出るなんて。どなたのエッセイに影響されたんですの?」
手招きされたので、お言葉に甘えて敷物の上に腰を下ろしました。
「僕はいろんな場所を旅しててね、いろんな人に会ってきたよ。僕の作品を高値で競り落とす人もいれば、チケットを偽装してまで美術館に忍び込む人もいた。後者は僕の作品じゃなくて、僕そのものに意見するために会いに来たよ。刃物を持っていたから、すぐに警備員に取り押さえられちゃったけどね」
「まあ、恐ろしい」
「ハハ、いろんな人がいたよ。いろんな話を聞いてきた」
ギルバート様はそう言って、思い出に浸っているとき特有の、ぼんやりとしたお顔になっておりました。彼の関心事は芸術のみへ向いており、おそらく他者への関心も薄く、全て芸術の糧としてしか見ていないのでしょう。ギルバート様にいくら懇願したところで、何も解決しないと思われます。
せいぜい素敵な作品に昇華されるだけですわ。
わたくしも……そうなってしまうのでしょうか。このまま、実の弟たちすら作品に仕立てようとする心無い人に、縋り続けて、いいのでしょうか。
「君は本当に、僕の後宮に入りたいの?」
ギルバート様が寝っ転がって、スケッチブックをめくって新しいページに、鉛筆一本で、あっという間にわたくしを描いてしまいました。
「外に出られなくなっちゃうよ? 君も僕たち一家の秘密の歯車に組み込まれて、二度と出られなくなっちゃうよ?」
「身の安全が保障されるのならば、どこへなりと閉じ込められましょう」
「え~、もったいないなぁ。君ほどの人材は、他に活躍できる場所がいくらでもあると思うけどな」
ガバリと起き上がったギルバート様からの風圧で、わたくしの髪とスカートと、それから敷物がふわりと揺れました。
「僕は嘘偽りや、心にもないモノを捻り出すのは嫌いなんだ」
「はい?」
「僕が本命じゃないくせに、よくもまあ、ここまで縋ってこれたものだよ。君も良い作品になってくれそうだね」
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