第3章  秘めた薔薇

第13話   ミニの意味

「う~そ~だ~ろ〜!!」


 彼女を閉じ込めていたはずの空き部屋の鍵が、開いてるんだけど。扉を押し開けたら、すんなり開いたんだけど!!


「鍵、壊れてたの~? そりゃ確かに、ここは古い屋敷だよ? ガタガタ揺すったら、テコの原理で取れちゃう部品もあるかもしれないけど……うわ~ショックだ~。今度から備品だけじゃなくて、扉の蝶番とか、細かい金属の部品も交換しないと」


「……この部屋の鍵は、昨日、掃除に入った際に確認済みです。正常に機能しておりました」


 もぬけの殻になっている空き部屋を、僕とベルジェイは呆然と眺めていた。床に一個、硝子の球体が置いてあって、ハムスターが丸くなって寝ていた。


 ミニ・ローズ姫はおとなしくしてるかなぁって、なんとなく様子を見に来ただけなんだけど、まさかこんなに早く脱出されているとは。まだお昼ご飯前だよ?


 一番ショックを受けているのは、ベルジェイだった。部屋に膝をついちゃってるんだけど、背中をさすったほうがいいのかな、迷う。


「私、全く気づきませんでした……」


「君の耳で気が付けないなら、誰も気がつけないよ」


「ピッキングされたんでしょうか。しかし、器具を使って鍵を無理矢理こじ開けたのなら、不自然にカチャカチャと金属音が鳴るはずなんですが」


「鳴らなかったの? まあ、そういう日もあるよ。君に責任を取ってもらおうなんて思ってないからさ、そんな絶望した顔しなくていいよ」


 誰だって不調な時はあるよね。僕だって今日、たまたま頭が冴えてたからミニ・ローズ姫の企みに気がついたんだし。


 でもベルジェイは真面目だから、たまたまじゃ片付けたくないみたいだ。こめかみを抑えて、必死で何かを考えている。


「あの、大丈夫……?」


「どうして私は気がつかなかったんでしょうか。このお屋敷はとても静かですから、耳をすませば誰かがつまみ食いする咀嚼音まで聞こえるのに」


 わあ、ヤなこと聞いたぁ……。僕がつまみ食いしてるのバレてるじゃん。


「あ、そうですクリス! ミニ・ローズ姫は、ギルバート様と手を組んでいらっしゃるのですよね、それが本当ならば、この屋敷の合鍵を渡されていたとしても不自然ではないかと」


「ええ? この屋敷のどの部屋の鍵も、彼女が持ってるってこと? 鍵束がジャラジャラ鳴らない? 君じゃなくても、みんなが気づくぐらい大きな音が鳴ると思うよ」


 床に膝をついていたベルジェイが立ち上がった。


「今日の彼女は、スカートのレースといい、服装が異様に分厚かったです。暖かな春の装いのはずが、どこか重みのあるデザインでした。最初見たときは、高級なお人形の洋服のようだと思いました」


「ああ、今思えば、真っ赤な苺カラーが、ちょっと暑苦しかったね。春ってもうちょっと優しい色合いのドレスが流行るのに」


「分厚い生地に、分厚いレース……彼女のスカートが広がらないのは、そういった要因のせいだと思っていたんです。しかし、スカートの内側に内ポケットを作り、布で一本一本丁寧にくるんだ鍵束をしまえば、音はかなり抑えられます。スカートの生地を重ねて分厚くすれば、内ポケットを縫い付けても、表側からは見えません」


「つまり、彼女は捕まるのを見越して、この屋敷に来たってこと?」


 僕は改めて部屋を見渡した。何の用途にも使うつもりのない空き部屋で、寝台もクローゼットも、何もない。窓はあるけど、とっても小さくて、いくら小柄な彼女でも抜け出ることはできない。


「ミニ・ローズ姫は、扉から堂々と廊下に出て、誰にもすれ違わずに外に出たのかな? 彼女、かなり目立つ容姿をしているから、万が一誰かに見つかったら、また捕まっちゃうーとか考えなかったのかな」


 うちが人手不足なのは自覚してるし、運が良ければ誰にも見つからずに他の部屋まで移動して、窓から外へ脱出! 見回りの兵士がちょうどうたた寝していて、誰にも見つかりませんでした~! っていう可能性も、全く無いわけじゃないけど……捕まることを前提に行動していた彼女が、最後は運任せにするだろうか? 最後の最後まで計算済みで、ついでに他のプランも考えてそうだけどなぁ。


「ん? どうしたのベルジェイ、部屋の隅でしゃがんじゃって」


「床の敷物に、不自然なシワが寄っています。掃除のときは、きちっとシワを伸ばしていますのに」


 うちは人手不足だから、ベルジェイもメイドのお仕事をよく掛け持ってくれてます。いつも本当に助けていただいております。


 うわ、絨毯をめくって床板を持ち上げてる~。何してるの、ほんと。


「出てきました。カツラと、赤いドレスです」


 ベルジェイが床下から、毛先のくるりんとした金髪のカツラと、今日いちばん目立っていた苺カラーのドレスを、引っ張りだして床に並べた。


「うわあ、ミニ・ローズ姫のあの姿は、変装だったのか」


 どおりで会ったことない姿してるわけだよ。本当の彼女は、案外どこかで話したことがある女の子だったかもしれないな。


 ベルジェイはさっそくドレスのスカートの内側をまさぐる。そして、内ポケットの多さと、さらにお化粧品やメイク道具までたくさん出てきて、びっくりしていた。どれも布でぎっちりくるまれて、音が鳴らないようにされてたよ。


「お化粧直しも、ばっちりだね。カツラもドレスもないのに、どこ行っちゃったんだろ」


「門番も衛兵も、彼女の脱走に気づいていない様子でした。ミニ・ローズ姫は、屋敷の従業員の衣装を、ドレスの下に着込んでいたのでしょう。たとえば、メイド服など」


「このドレスの下、相当モコモコだったんだね。そのわりには汗一つかいてなかったから、全然そんなふうに見えなかったけど」


「……香水やネズミの臭いで、ごまかされておりました」


 ベルジェイはスカートの内ポケットから、白い布にくるまれた道具を、どんどん引っ張り出していった。スカートを揺らして歩いてても、なんの音も鳴らないように、本当にしっかり対策してる……一周まわって感心してしまった。


「私の特性を、よく理解していますね。さらに彼女はネズミの糞尿と、プルメリアの香りをまとっていました。これも私の嗅覚を、麻痺させるための作戦だったのでしょう。様々な臭いが吹きつけられたこのドレス……もしも木の枝にひっかけられていたら、私はこのドレスを彼女と勘違いして、引き寄せられていたかもしれません」


 ぷるめりあって、なぁに? 僕の鼻じゃ、なんにも感じなかったな。


「ベルジェイも昨日は、女の人たちの香水の匂いで大変だったよね」


「……大きな声では、言えませんけれどね。私は、ギルバート様の後宮には絶対に入りたくありません」


 ベルジェイは赤いドレスの襟元から、一本の髪の毛を、つまんで観察した。金色……? もっと色素が薄いようにも見えるな。


 ベルジェイは、カツラの内側からも、何本もの抜け毛を見つけて取っていった。ミニ・ローズ姫の、本来の髪の色らしい。それは色素が薄くて、ベルジェイの髪色とよく似ていた。


「……私の特性に詳しく、私と同じ髪の色を持つ少女……。彼女は重ね着してもわからないほど、ガリガリに痩せていました。後宮の中は、化粧と香水の臭いがきつく、耐え続けていたストレスは相当なものでしょう。彼女がガリガリなのは、過敏な五感と合わない環境による、下痢や嘔吐が続いているせいだと思います」


「な、なんでそんなこと、わかるの?」


 まさかそれも臭いでわかるとか、絶対言わないでほしいよ。どうしてミニ・ローズ姫が過酷な環境にいるんだって、ベルジェイは予想できるんだろう……。


「クリスと初めて会ったときに、私は痩せててとても小さかったですよね。あなたは私を年下だと思って、お兄ちゃんだよーって呼ばせてましたよね」


「唐突に黒歴史を出さないでくれるかな。僕もストレスでお腹下しちゃうよ」


 ……ふと、僕は気づいた。あのときの、辛そうな顔した小さな女の子の様子を。


「……ベルジェイも、そうだったんだね」


「彼女はストレス過多で、体も冷えているのかもしれません。春先に分厚い重ね着をしていても、汗をかくどころか、ちょうどよかったのかも」


 ふぅ、とベルジェイはドレスとカツラを床に並べ直して、疲れたため息だった。


「クリス……おそらくミニ・ローズ姫は……私の妹です」




「私の名前はベルジェイですが、それは私の王位継承権が、放棄されていないからなのです」


「ほえ? どういうこと?」


「私の国の文化では、女性が国王の座に就くときは、名前を男性名に変えるのです。初めから男性名を与えられている女性もいます。私は当時、国王の一人娘でしたから、当然のごとく男性名が付けられていました」


「君の国では、それは男の人の名前だったんだね」


 ちなみに僕の国では、ベルジェイはもっぱら猫の名前です。城下町に行くと、たまにベルジェイご飯だよーって聞こえる。


「ミニ・ローズ姫の名前ですが、彼女の名前にあるミニは、多い継承権が無い王女に付けられるのです」


「え? 君、昨日はそんなこと言ってなかったじゃん」


「はい。いろいろな国の決まり事がありますから、私はミニ・ローズ姫のことを、そのまま本名だと思っておりました。しかし彼女が名乗った姓は、ティントラール……私の姓と同じなのです」


「ベルジェイ・ティントラールって名前だったんだ。初めて知ったな」


 複雑な家庭の出身だから、僕はあんまり彼について尋ねなかったんだよなぁ。どうして男装してるのかなぁとか。


「私も王位継承権を完全に失えば、女性名を与えられ、名前の先にミニが付きます。私の女性名はブルーベル。もしもこの家にお嫁入りしたら、ミニ・ブルーベル・ファンデルとなります。ティントラール国の王位継承権は完全に剥奪され、私が命を狙われる確率も大きく下がります」


「そうなんだ。じゃあ、うちにお嫁に来る?」


「……」


 え……冗談で言ったのに、そんな真顔で凍りつかなくても……傷つくよ。


「き、君が男装していたり、男性の名前を名乗っているのは、まだ王位継承権が君自身に残っているからなんだね。こんなに遠くの国でも、それが主張できるんだから、君はとっても誇り高いんだね」


「い、いえ、あの、私は家のしきたりを守っているだけでして……クリスさえ良ければ、その……」


「大変だ! 逃げ出したミニ・ローズは、たぶんまだ兄上を信じているから、お城に戻ってるかも! 兄上にひどい事をされないうちに、連れ戻さないと!」


「え? あっ、ハイ! そうですね!」


 何を慌ててるの? 君から言い出したんだよね、妹だって。


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