第9話   執事、手玉に取られる

 ……どういうおつもりなのでしょう。昨日の花見といい、次はこんなに朝早くからの来訪、非常識も甚だしいです。


  一階の厨房では、眠い目をこすりながら、パティシエ見習いのジョージさんが、卵焼きのような見た目のパンケーキを作ろうとしていましたから、お茶と昨日焼いたクッキーだけで良いと制止しておきました。


 唐突に来訪されたお客様の、茶葉の好みなど知りません。ここは万人受けするアールグレイの茶葉を使いましょう。クリストファー様のお気に入りでもありますが、やむをえません。


 オリバー様は、オレンジジュースでしたね。甘味の強いブラットオレンジがお好きなのです。これはジョージさんに絞ってもらいましょう。私は戸惑いが来客に悟られないように、手の震えが食器に伝わらないように、音を鳴らさず、毅然とした態度で、応接間に向かわねばなりません。


 ミニ・ローズ姫だって、強行的な訪問の仕方を選択したのですから、我々の顔色と態度が気になるはずです。私は応接間に入るなり、姫からこと細かく様子を観察される対象となります。自分が風変わりであるのは自覚しております。今更それを嘆くこともありません。私はクリスを守る盾となり、姫の不躾や、挑発的な態度を全て受け流しましょう。


 しかし、お尋ねせねばならない事は、しっかりと詰問いたします。


 厨房と応接間は微妙に離れておりますから、ティートロリーを使いたいのですが、このお屋敷にはそれがありません。たとえ大人数の訪問であっても、長い距離をお盆に乗せた状態で茶器を運んでいかなければなりません。


 ……手の震えが、食器に伝わって、カタカタと鳴ってしまいます。とても嫌な予感がするのは、私が長年悩んできた短所であり、長所でもあります。人一倍、いえ、人の数倍は感覚が研ぎ澄まされている私には、自分でも自覚できぬほど細かな機微に影響されて、この先に起きる良からぬ予感に、平常心を失いかけることも少なくなく、己の未熟さを反省する日々です。


 応接間の扉をノックすると、中から姫様の返事が。機嫌が良さそうです。オリバー王子のお召し物の衣擦れがしませんから、いらっしゃらないのですね。クリスが連れて行ったのでしょう。耳をすますと、少し離れた位置からオリバー王子が駄々をこねる声が聞こえてきました。


「失礼いたします」


 扉を開けると、ほんのわずかに香水の匂いがしました。白色のプルメリアでしょうか。本日はまたたびの匂いをつけていらっしゃらないのですね。


 え……? なんでしょうか、この獣の臭いは。嗅ぎ慣れない類ですから、猫でないのは確実です。雑食動物特有の糞尿による刺激臭……ですが、どのような動物から発せられるのか、判断ができません。


 もしやミニ・ローズ姫には、個人的に飼育されている動物がいるのでしょうか? ギルバート様は陛下が動物アレルギーによる体調不良で寝込んでいらっしゃるのをご存知でしょうに、ご自身の女性陣の、情報管理もできないのでしょうか。


「どうなさいましたの? ぼんやりされて。何か気になる事がございまして?」


 にっこりと微笑まれて、不覚にも私は慌ててしまいました。


「いえ、申し訳ありません。すぐにお茶をご用意いたします」


「うふふ、焦らなくて良いのですよ。時間は焦れば焦るほど、消えてなくなりますもの。ゆっくり過ごしましょう」


 どの口がおっしゃっているのでしょうか。こんなに朝早くに押しかけてきて、これで慌てないほうがおかしいでしょう。


 ミニ・ローズ姫は、花で飾られた応接間の真ん中あたりに設置された深緑色のソファに、まるで高尚なコレクターが念願叶って手に入れた自慢のお人形のように、姿勢よく腰掛けておりました。野いちごのような色合いのドレスの下から、分厚めの生地のレースが揺れており、その生地の質感も相まって、本当にお人形のようでした。


 そして、この、異様な獣臭さ……気になりますが、今この場でお尋ねする内容ではありません。彼女の目の前の長テーブルに、お茶の支度を整え、全て終わると一礼して、彼女と距離を置いて斜めに対峙しました。無礼は承知の上です。


「ミニ・ローズ姫、ギルバード様からの書状をクリストファー様が確認いたしました」


「そうですの」


「ですが、内容がかなり簡略化されておりまして、ギルバード様の意向が読み取れず、我々も困惑しております。お手数ですが、姫様の口から詳細の説明をお願いいたします」


「このお茶、渋みが一切なくてとても美味しいわ。お茶を淹れるのが上手な方がいらっしゃるのね」


 小さなお顔が、愛想良く私を見上げました。


「あなたが淹れてくれたのでしょう?」


「……」


「上着の裾に、茶葉が付着しておりましてよ?」


 え? そんなはずは。付着していたら、匂いで気がつきます。詰まんでポケットにしまおうと、腕を曲げて捜しましたが、茶葉などどこにもありません。


「ふふふ、冗談ですわ。からかってしまって、ごめんなさいね」


 申し訳なさの欠片もない声でした。


「えっとー、わたくしから説明をしてほしいんでしたわね? 事の発端は、夕食後のわたくしの失言からですの。本当に申し訳ありませんわ、オリバー王子が、スリープという名の黒猫と生き別れになってしまった事実など梅雨知らず、わたくしはお屋敷のお庭でたくさんの猫に会ったのだと、オリバー王子に話してしまったのです」


「昨日の昼時も、急な来訪でしたね。クリストファー様は、あなたからお知らせを受け取っておらず、大変困惑なさっておりました」


「あら、あなたもクリス様の可愛らしい照れ隠しに、すっかり騙されてしまって。わたくしは確かに、クリス様に何通も、必ずやお屋敷に遊びに行く旨を書き記しておりましてよ?」


 どうして微笑んでいらっしゃるのでしょうか、この姫は。クリスは、あれから大量の手紙を、開封し、読み直し、疲労のあまり居眠りまでしてしまったのに、それでも来訪の日時が書かれた手紙を見つけられなかったのです。


 それなのに、絶対に書いたと言うこの自信は、どこから……。


「わたくしが出会った猫たちの中には、スリープちゃんとよく似た特徴を持つ猫が多数見受けられまして、そのことをオリバー王子にも、お話ししてしまったのです」


「漆黒色の体毛に、満月のような色味の丸い瞳を持つ黒猫。確かに、珍しい外見の猫ではありません。辺りを探せば、似たような黒猫を見つける事は容易いでしょう。しかし、それがどうして本日の来訪へと繋がったのですか?」


「悲しそうな顔をなさるオリバー王子に、ほんの少しでも希望を持っていただきたくて、優しい言葉を選んでしまっただけなのです。『・あれはスリープちゃんだったかもしれない・』と」


 お茶の香りを鼻に近づけて楽しんでいたミニ・ローズ姫の、伏せられていた青い瞳が、きょろりと私を見上げました。


「そうしたらオリバー王子が、昨夜から一睡もされないほど大興奮されまして。わたくしは責任を感じ、ギルバート様に相談いたしました。そしたら、あのお手紙をわたくしに預け、オリバー王子を連れて、このお屋敷に遊びに行っても良いと、許可を出してくださったのです」


 深いため息一つ落とし、テーブルのソーサーにカップを戻されました。


「ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんわ。お詫びを兼ねまして、昨夜のわたくしの戯言は全てお忘れくださいませ。クリス様とのデートは、わたくしの人生最大の楽しみでありましたけれど、どうか浅はかな小娘の思いつきであると、春の小川に流してくださいませね」


 悲しそうな表情を作り、片頬に手を当てて、落ち込む演技をするミニ・ローズ姫。これは……騙されてしまう殿方が多数でしょう。許してしまう人も、多いかもしれません。


「では姫様は、オリバー王子に嘘をついてしまったことをお認めになるのですね」


「あら、嘘などついておりませんわ? わたくしはただ、お庭に黒猫がたくさんいましたから、もしかしたらそのスリープちゃんが戻ってきているかもしれません、とオリバー王子をお慰めしただけですの。このお屋敷内に、逃げてしまった黒猫さんが戻ってきた、とは一言も断言しておりません」


「しかしオリバー王子は、絶対の確信を持って、この屋敷に飛び込んできました。それも、ギルバード様からの書状付きで。これはオリバー王子を勘違いさせた、あなたの責任です」


「はい。わたくし、責任を持ってオリバー王子のお世話をいたしますわ。オリバー王子は、このお屋敷の中を隅々まで、気が済むまでお探ししたいそうです。ですので、本日はどうかお付き合いの程よろしくお願いいたしますね」


 眉毛がつり上がらないように耐えました。


「そのオリバー王子は、現在どちらにいらっしゃるのですか?」


「わたくしをお気遣いくださったクリス様が、連れ出してしまいましたわ。わたくしはここで待機しているようにと、お願いされました。それで、あなたに相談がありますの。わたくしはこの椅子に腰掛けながら、どうやってオリバー王子への責任を果たせば良いのかしら? わたくしもギルバート様から弟君を託された手前、ここでお茶を飲んでお菓子を食べながら時間を過ごすわけには参りませんの」


 ミニ・ローズ姫が、スカートのレースを揺らして立ち上がりました。


「そういうわけで、クリス様の元へ案内してくださいませ。でないとわたくし、ギルバート様に合わせる顔がありませんわ」


「オリバー王子の事は、我々にお任せください。来客であるあなたは、ここでゆっくりお過ごしになってください」


「あら、あなた方の指図を受けるわけにはいきませんの。あなた方とクリス様は、所詮は側室関連の御仁。それも第二王子ですわ。第一王子からの書状を無視し、使者であるわたくしをないがしろにする権利は、一切ありませんことよ」


 小首を傾げる彼女の、二つにくくられた金色の髪がゆらゆらと揺れました。笑顔はときとして、相手の感情を無視する威嚇とも捉えられます。


「さあ、案内なさい? あなただって、クリス様の立場がこれ以上悪くなったら困るでしょ? ただでさえ日陰に押しやられていらっしゃるのに」


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