第2章  姫と第三王子の襲来

第8話   弟が来ちゃった!

 あぁこれはきっと夢なんだなぁ、てすぐにわかっちゃうことない? そういう時って、他の人はどうしてるんだろう。


 僕の場合は、気づいた瞬間には慌てちゃって、すぐに目覚めようとしてしまうけれど、だんだん、まぁいいかなぁって思っちゃうんだ。


 で、今がそんな状況。


「はじめまして、クリストファー様……」


 外部から目立たないように、うちの国のメイドに変装した兵士に囲まれて、とびきり小さな女の子が、すごく悲しそうな顔でお辞儀した。


 金色にも銀色にも見えるショートボブに、色素の薄い大きな瞳が、とても印象的な女の子だった。


 えーと、この時は父上がどうしても外せない用事があるとかで、いなかったんだよね。だから、僕と母上が迎えに行ったんだ。もちろん僕らにもたくさんの護衛が付いていて、事情を知らない一般人が見たら、自意識過剰すぎる成金のように見えたかもしれないね。


 まあ、別にいいけど。


 この小さな女の子が、初めて会ったベルジェイだよ。白いブラウスに、ピンク色のスカートを履いてて、大きな白いリュックを背負ってたんだ。このあと一緒にスコーンを食べてたら、苺のジャムでべたべたに汚しちゃうんだけどね。


「あ、あの……よろしくお願いします……」


 震える体と、今にも泣き出しそうな顔で、彼女が必死に絞り出したご挨拶。たぶん周りの大人から、そうしなさいって言われてたんだろうな。


 この時の僕は、彼女が年下だと思いこんでたんだよね。まだ弟のオリバーが生まれてなかったから、まるで年下の身内ができたみたいで、嬉しかったなぁ。


 いろいろと複雑な事情を抱えるおうちの子らしいから、僕がお兄ちゃんになって守ってあげなきゃって張り切ったよ。それまでは、僕ってこの世に要らない子なんだな~って、変に達観して諦めてたから、初めて僕にも大事な役割ができたんだって思えて、とっても嬉しかったんだよ。


 実際は彼女のほうが二歳も年上で、あっという間に身長も抜かれて、今ではうっかり屋の僕が彼女のお世話になってるんだけどね。


「あーにーうーえー!」


 うわわ! 今の声も、夢!?


 僕は悪夢から目覚めたごとく、息を弾ませながら飛び起きていた。呆然と自室を眺める。お腹の上に、ずっしりとスリープが乗っかっていて、僕をじっと凝視していた。


「スリープ、いつの間に僕の部屋へ移動してきたの? あ、昨日の僕が扉をきちっと閉めてなかったんだね」


「……ニャ」


「あにうえー! スリープをみせてくださーい!」


 は、夢じゃなかった、弟のオリバーが来てるよ。扉で太鼓演奏してる。


 僕はスリープを布団の中に隠した。


「ごめんねスリープ、今日はこの部屋から出ないでね。あとで世話係のメイドから、ご飯とトイレ砂を運んでもらうからね」


「ニャ……」


 満月のような黄色い瞳を潤ませて、不安そうに鳴きながら、布団の奥へともぐっていくスリープ。


 さて、僕は着替えないとな。顔も洗って歯を磨いて、髪はもう時間ないから自分で整えて、えーっと、それから~、


「あにうえー? いらっしゃらないのですかー?」


 僕は慌てて寝台から降りた。


「おはようオリバー、今起きたところだよ。今日来るなんて連絡、来てないんだけど、どうしたの?」


「スリープをみせてください!」


「何言ってるの、スリープは二年前に逃げちゃったんだよ?」


「うそです! だって、みにろーずひめが、ここでクロネコをみたっていってました。スリープだった? ってきいたら、そうかもしれませんねっていってました!」


 ……え?


 そりゃあスリープと同じ身体的特徴の黒猫は、この国に山ほどいるけども。


 うーわ、油断したなぁ。


「あにうえは、どうしてボクにうそをついたのですか? ボクはスリープのことだいすきなのに、あにうえだけひとりじめしてズルいです!」


「そんなことしてるわけないじゃないか。スリープは獣医さんに診せた帰りに、父上がうっかりカゴのふたを開けちゃって、逃げちゃったって言ってただろ? あれから戻ってきてないんだよ。スリープは野生の仲間たちと、楽しく生きる道を選んでしまったんだ。この話、もう何度もしてるよね?」


「でもボクだってネコなでなでしたーい! どうしておしろでは、どーぶつをかってはならないのですか?」


「お城が抜け毛だらけだと、お客さんが来たとき、格好悪いだろ?」


「ねえ、みにろーずひめ、ボクのおしろはかっこわるいんですか?」


「いいえ。オリバー王子のお住まいは、とってもかっこいいですわ」


「あ、ミニ・ローズ姫もそこにいるの!? おはよう!!!(怒)」


 もうデートの時間なんだね。弟も同伴とか、全くの予想外だよ!!


「オリバー王子、せっかくお兄様のお屋敷まで遊びに来たのですから、スリープちゃんに再会できるまで、一緒に探検しちゃいましょう」


「え? たんけ〜ん? ここは、ずっとまえにボクがすんでたおうちですから、たんけん、つまんないです」


 ミニ・ローズ姫、何を言い出す気なんだい。それ以前に、何を当然のごとく屋敷の中に入り込んでるんだい。誰が通したんだよ、もう。


「我々秘密の探検隊が発見するお宝は、スリープちゃんですわ。隊長、一緒に見つけましょう!」


「うん!」


 こらこらー! ちゃっかり他人の屋敷の構造を把握しようとするんじゃない! 大変だ、辞めさせないと。よその貴族に、住居の構造や部屋数を知られるのは良くないんだよ。もしも僕の国がミニ・ローズ姫の身内と不仲になって、戦争か何かが起きたときに、うちの隠し部屋とかが知られてしまうと、そこに刺客が入りこんで暗殺されたりするんだよ。


 オリバーはまだ四歳だから、何が危険な事なのか、わからないんだよなぁ。


 そう言えば、今は何時なんだろう。僕はまた誰にも起こされなかったのかな。柱時計を見ると、なんと六時半! 早いよ! ちっちゃい子を何時に起こしてるんだよ! ああ、僕も寝間着だし、顔も洗ってない。早く支度して、ひとまずオリバーたちを応接間に移さないと。探検なんかされたら、たまったもんじゃないよ。


 も~誰だよ~、屋敷にオリバーたちを入れたのは! 門番は何をしてたんだよ。


 ん? なんだか足首がくすぐったい……ああ、スリープが寝台から出てきちゃって、僕の足にスリスリと体を擦りつけていた。


「ニャ……」


「ん? あにうえー! いまネコのこえがした! そこにスリープがいるんですかー?」


「ち、違うよ、今のは僕の声だよ」


「へ……? なんでそんなことするんですか……」


「なんでって……オリバーがびっくりするかなぁと思って、あはは……」


「……」


「……」


 あれ? オリバーの声がしなくなっちゃった。もう探検とやらに行っちゃったのかな?


「あにうえのバカァ! もうしらない!」


 脱兎の勢いで遠ざかってゆくドタドタとした足音。僕も大慌てで扉を開けて廊下に出た。


「誰かオリバーを応接間に閉じ込めておいて!」


 屋敷にいる猫の毛がついたら大変だから! そしてそのままお城に戻られたらもっと大変だ。さらにさらに、重症の動物アレルギー持ちの父上の寝台に飛び込まれたら、国の最高権力者が崩御する!!


「まあ、オリバー様を閉じ込めてしまいますの? 激しいお兄様ですわ~」


 ころころと笑っている彼女の細い手首を、がしりと掴んでやった。


「君もだよ、ミニ・ローズ姫。何を考えてるのか知らないけど、応接間で待っててね!」


「はーい」


 そう言って微笑む彼女のドレスは、全体的に苺モチーフで、ちっちゃい子が喜びそうな恰好だった。



 お屋敷の周辺は猫が多いから、オリバーには絶対に近づかせないようにって、屋敷の全員に指示を出してたはずなのに、なーんで通しちゃったんだろう。門番から話を聞きに行かないと。


 僕は朝の支度も中途半端なままに、玄関へと滑り降りてきた。ところが門番は誰も通していないって言うから、まさかと思い、厨房奥の裏口まで走っていったよ。地味に離れてるから、朝からちょっとゼエハアした。


 ああ、いたいた。


 裏口を守っている門番のお兄さんが、他の兵士たちに責められて、困った顔をしていた。


「おはよう。ねえ、オリバーが屋敷を走り回ってるんだけど、誰か事情を知らない?」


 僕が露骨に名指ししなくても、門番の方から名乗り出たよ。


「申し訳ございません、オリバー王子に泣かれてしまいまして、つい……」


「こらこら、泣けば通してもらえると覚えられたら、オリバーのためにならないよ」


「そ、それだけではなくて、ギルバート様からの書状を預かっていらっしゃいました」


「え? 兄上からの手紙?」


「書面には、オリバー王子を預けた、とだけ記されてありまして、それで、その、あの、ミニ・ローズ姫ともども、お通ししてしまいました」


 兄上はいっつも予定があって、今日は丸一日お城にいないってベルジェイから聞いてるんだけど、書状だけは昨日のうちに書いてたのか。


 んもう、兄上は報連相をしなさすぎるんだよ。そんなことばっかりしてるから、部下からも不満が上がるんだ。部下だって仕事を失敗したくないから、指示を求めてるのに。いくら周囲が優秀だからって、城のことを僕や使用人に丸投げするのは、いい加減にしてほしいかな!


 ……って、毎月のように喧嘩してるんだ。僕ら、兄弟仲が悪いんだよね。兄上の自由奔放な性格は、一向に治らないしさ。


「僕にも手紙を見せて。本物かどうか、確認するよ」


 門番もさんざん調べたんだろうけど、やっぱりここは僕自身の目で確認したいんだよね。


 門番はおずおずと一通の封筒を、僕に手渡した。刃物で端っこから切り開けられてて、封蝋が破損せずにそのまま残っていた。兄上お手製の複雑すぎる模様の彫られた封蝋が、扉から差し込む爽やかな朝日の下で、キラキラと輝いていた。


 ……これは多分、本物だと思うよ。兄上はしょっちゅう封蝋の形を変えるんだよね。僕がなんとなく兄上の彫り方の癖を覚えているから、これが本物だって判断できるけど、ハンコって大切だから、頻繁にデザインを変えないでほしいなぁ。兄上とはこういう細かいところが、僕の性格と全然合致しなくて、兄上と同じ空間にいるとイライラするんだよ。


 これからは、僕の身内が来ても、書状があっても、すぐには中に入れないで、必ず僕を呼んで、僕が来るまでは絶対に誰も入れないでねって指示しておいたよ。また一つ、屋敷に決まり事が増えちゃったよ。僕は側室の子供だから、正妻の子である兄上とオリバーに強く出られると、使用人が困惑することがあるんだ。どっちの言うことを聞いたらいいのか、わかんなくなることがあるらしいよ。でも、このお屋敷はこの国にとって、本当に大事な場所だから、たとえどんな人が遊びに来ても、僕の許可がないと絶対に入れないって決まりは、もっと早く定めておくべきだった。


「本当に申し訳ありません……次からはクリストファー様を、フライパンを鳴らしてでも起こします」


「いや、普通に声かけてくれれば起きるよ」


 庭にも門番を置いておくかー。また無許可ピクニックなんて不気味なイベントを、ミニ・ローズ姫が計画してたらベルジェイの血管がブチ切れちゃうし。


 涙目になっている門番のお兄さんを、みんなもそれ以上責めないでねって言っておいた。


 通しちゃったものは、もうしょうがない。全員が団結して、なんとかしないとね。


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