第6話 明日デートの約束しちゃってる!
今日は僕も、いろいろこなしたい仕事とか、予定があったのに、三年分のラブレターを一枚一枚開封して、内容を確認するっていう地獄みたいな残業のせいで、他の予定は一切できなかったよ。文字の追いすぎで、目がシバシバする……。
あー、疲れた。もうこのまま寝ちゃいたいけど、明日も何が起こるかわからないし、しっかりお風呂に入って、体を癒さないとな。
そうだ、スリープの匂いを嗅いできちゃお~っと。
隣の部屋をノックしてから、そっと開けてみると、スリープはお腹を上にして爆睡してた。あ、包帯に血のにじみがないや、新しい物に交換してもらったんだね。そうだった、今のスリープはケガしてるんだった。困ったときや、大変なときに、スリープの大きな背中に顔を埋めると元気が出るんだけど、今はケガしてるしなぁ。
あーあ、何だか僕まで眠たくなってきた。眠気覚ましにミント系のお菓子でも持ってこようかな……そんなことを考えながら、ふと気がついたら、机にほっぺたをつけて寝てた。柱時計が夜八時を差している。
「ええ~!? 夕飯食べ損ねちゃった……なんで誰も起こしてくれないの〜」
うなだれて、ぐずりだす僕。
うわわ、扉がノックされた。
「クリストファー様、起きていらっしゃいますか?」
「ベルジェイ……」
自分でも情けなくなるくらいの涙声が出たよ。
「お腹すいたよー……」
なんかもう悔しくて、言葉にならなくて、椅子の上でジタバタ両足を泳がせた。
扉を開けて入ってきた彼は、お仕事モードが少しだけオフになりかけてて、薄いブラウスから谷間が見えていた。彼――いや、今は彼女って呼ぶべきかな、胸にぐるぐるに巻くさらしが苦しいみたいで、定期的にラフな格好になるんだよね。
「お夜食をお持ちしました。召し上がりますか?」
「え!? ありがどう〜! 食べるー!」
さすがはベルジェイ、彼女は僕が何も言わなくても、大きなお盆に夜食を載せて持ってきてくれてた! ……って、皮肉が効いてるなぁ、サーモンバゲットだったよ。大好物だから歓迎するけどね。部屋の丸いテーブルに、夕飯一式が置かれてゆく。すごく嬉しかった……。
座ってた椅子からおりて、丸テーブルの椅子に座り直した。
「うわあ、美味しそう!」
「本日も大変お疲れ様でした、クリストファー様」
「へへ、てっきりお小言でも飛んでくるのかと思って、身構えちゃったよ」
「何度お声がけしても、お返事の代わりに寝息が聞こえるんですもの。さすがに折れました」
あ、起こしてくれようとしてたんだね。でも僕が起きなかったのか。
テーブルの上には、カップが二つあったよ。彼女の手帳にある予定表では、ここで僕といろいろ話す時間帯なんだね。僕も食べながら、明日について相談しよう。
「本日の来訪者の予定は、ございません。さすがにご婦人方も、星空の下で二度目のピクニックは行わないでしょう」
「そうだね。もしかしたら今日のことで、君宛にラブレターが届くかも」
「やめてください。兄君様の女性陣からそんなことをされては、今度こそ私は殺されてしまいます」
ベルジェイが冗談じゃないとばかりに、嫌そうな声で肩をすくめた。そうなんだよね、ベルジェイは綺麗だから女の人にモテちゃって、兄上に嫉妬されてるんだよね。
命を狙われるくらい。
だから僕の傍に置いて、保護してるの。この屋敷に居るのは、そんな人ばかりなんだ。
あのにんじんプリンの見習いパティシエのお兄さんだって、おうちが先祖代々お菓子職人の総本家だそうで、跡目争いや遺産相続などなど、いろいろと一筋縄ではいかない理由から、何度も暗殺されかけてたんだって。
……本人には絶対言わないけれど、あのお菓子の腕前じゃあ、後継ぎ候補から外してもらえるんじゃないかなぁ。親戚の前でお菓子を作ってみせたら、命だけは助けてもらえるかもよ……なーんて、本人には言えないけどね~、本気でお店を出そうと頑張ってる人だしさ。
「明日のご予定ですが、兄君様にはどうしても出かける用事があるそうでして、代理人としてミニ・ローズ姫をこちらに寄越されるそうですよ」
「そうなんだぁ、兄上も売れっ子で忙しいもんね……ん? なんだって!? 代理人が誰だって!?」
とたんにベルジェイがジト目になる。
「兄君様の、ミニ・ローズ姫へ抱く信頼度は、かなり高いとお見受けします」
「ウソだろ、いつの間に兄上に取り入ってたんだろう。お城で何か異変があったら、僕に教えてくれるように、後宮の女性たちを何人か買収してたのにな」
「その彼女たちをも、ミニ・ローズ姫は手中に収めてしまったのでは」
「人心掌握が上手いんだね~」
ん? なぁんか忘れてるような気が……明日、誰かに何かの予定を入れられたような気がするんだけど……僕は今日、窓から彼女を見下ろしながら、どんなやりとりをしていたっけ。
思い出せ、思い出せ~……あー! 思い出した!
「あああああ~!!! うっそ、どうしよう! 僕、明日ミニ・ローズ姫からデートしてって大勢の前でお願いされてたや」
「その件でしたら、問題はないかと。クリストファー様は、了承の意を示しておりませんから」
「それでもだよ。どんな些細な約束にも、うやむやにせずにしっかり返答しなくちゃ、いざと言うときに揚げ足を取られちゃうんだ。ああ、なんてことだ、僕としたことが。急なお願いだったから、受け答えできてなかったよ」
「相手方の冗談かもしれませんよ」
「君は希望的観測の才能があるね~。あの小さなお姫様は、お庭で僕になんて言ったか、思い出してみて」
するとベルジェイは、しばらく色素の薄い双眸をピタリと止めて、ミニ・ローズ姫そっくりの声で、記憶の中の映像を再現し始めた。
『今回ばかりは、お姉さんなわたくしが引き下がって差し上げましょう。あなた宛ての恋文なんて、一通も送らなかった。これでよろしくて?』
「そう」
『大衆の面前で淑女に恥を掻かせたのですもの、償っていただきますわ。明日はこの三倍のお返し、期待していますわね!』
ものまねし終わってから、ベルジェイの顔色が青ざめた。
「……冗談で済ましてくださるように、思えませんね。あの時のミニ・ローズ姫は笑顔でしたが、内心とても怒っていらっしゃったでしょう」
「だろ? それに、あんな得体の知れない子が、味方を大勢引き連れて、わざわざ僕の縄張りにまで来たんだよ? 恋仲であると、みんなの前で堂々とウソまでついてさ。明日も絶対に、何か仕掛けてくるよ」
自分で言ってて、ゲンナリしてきた。
「ああ、どうしよう。今から予定をずらしてまでデートの時間なんて作れないよ~。もう、どうして、前もって言ってくれないんだよ、突然うちの国に来訪してるし、庭でのピクニックといい、あらゆることが急なんだよな~」
「クリストファー様のおおらかさと優しさは、私を含めて多くの者を救済されますが、同時に足元をすくわれる欠点でもありますね」
「それはもう何度も聞いてきたお説教だね」
「デートの時間指定はございませんでした。よって、明日の公務は詰め込めるだけ隙間時間に詰め込んで、なんとか姫との時間を作りましょう。明日は、居眠りされているお暇はございませんよ」
「うっっっへぇ~。僕は前世で何をしでかしたんだろうね」
父上は公務ができない状態だし、兄上は自由奔放だし、弟は四歳になったばかりで幼いしで、僕ばっかりに仕事がのしかかってきて苦しい状況だ。僕もお城に移動するべきかな、離れてるこのお屋敷で色々とこなすのが、不便に感じてきたよ。
でも僕がお城に移動すると、兄上と喧嘩しちゃうし、ベルジェイも兄上と揉めるだろうしな。うまく歯車が噛み合わないな~。
「室内でのデートは、絶対に避けましょう。ここはあなたの許可なく入ってはならない、聖域なのですから」
「そうだね。彼女をどこに連れてってあげようかな。そこも考えないとね」
「プランと付き添いは、お任せください」
「ありがと~、ベルジェイ! なにげに人生初めてのデートだから、僕もがんばって考えるよ」
僕は丸テーブルにつっぷしてしまった。どうしてこんなに優秀な人が、ずっと僕の傍にいるのかな。もっと得になる人に仕えようとか、彼女ならばいくらでも思いつくはずだよ。
「謝り癖と、すぐにどなたにもお礼を言うのは、あなたの美徳であり欠点でもあります」
「そうなの? 僕は貸し借りを大事に覚えていられるほど暇じゃないからさ、お礼も謝罪も、言えるときに言っておきたいんだ」
いつでも会いたい時に会える立場じゃないから、なるべく気持ちは伝えるようにしてるんだ。頻繁に口にするせいか、気持ちがこもってないふうに聞こえるかもしれないけれど。
もぐもぐしながら、デートの計画も含めて明日の作戦をいろいろ話し合っていたらさ、お茶を飲みほしたベルジェイが、なんだか、落ち着かないふうに、視線を泳がせ始めたんだ。
「どうかした?」
「その……クリストファー様は、特定のどなたかを、作られないのですか?」
「え?」
「た、大変不躾なことを口にしているのは、重々承知しております」
「不躾、ではないと思うけどな。たぶん父上も、そろそろ僕の許嫁にできそうな人を探してるだろうし」
難しい話題ばっかりだったから、息抜きしたいのかな。お互いの今後について駄弁るのも、いい気分転換になるよね。
でも、ベルジェイは緊張してるみたいだ……これって息抜きになってるのかな。
「や、やはり、ミニ・ローズ姫のような、可憐で愛くるしい女性などが、世間的には好まれたりするのでしょうか」
「う~ん ……まあ、彼女は誰がどう見ても、とっても可愛い女の子だったね。もしかしてベルジェイはああいう子が好みなの?」
「いいいいいえ! とんでもない! どうしてそうなるのですか!?」
そんなに頭をぶんぶん振らなくても。
「う~んとねー、僕はなんでかたくさんの恋文は貰っているけれど、どれもこれも、彼女が書いたとは思えないんだよなぁ。文章の要所要所に、男性的な表現がうかがえるんだ。彼女は男性の詩人を雇っているんだと思う。ちゃんと自分の字で書いてくれない人に、僕が心惹かれる事はないよ」
「そうですか……」
露骨にほっとしてみせる、ベルジェイ。
まさか、僕がミニ・ローズ姫に気があるとでも思ってたのかい。それこそ、どうしてそうなるのさ。
「ん? ベルジェイ、もしかして熱があるの?」
「え?」
「よく見たら、顔が赤いじゃん。やっぱり今日、日差しに当たったせいかな」
「いいいいえ、大丈夫です。お心遣い、痛み入ります」
ガタンと音荒く席を立つなんて、彼女らしくなかった。びっくりしている僕をよそに、
「そうですよね、クリストファー様には、まだお早い話でした」
珍しく変な笑いを浮かべながら、手早く食器類を片付けて、「お下げしてきますね」と言いながら足早に部屋を出て「それでは、失礼いたします」と上ずった声で、去っていってしまったよ。
やっぱ、熱あるよね。次に戻ってきたときは、早く寝るように言って切り上げよう。
彼女はもう何年も前から、一日も休まずに僕の傍に仕えてくれてるんだけど……どうしたら休んでくれるかな。休暇を出そうとしたら、すごい剣幕で拒絶するんだよな。僕も彼女の熱心さに
どうしたら僕は、もっとしっかりできるんだろう。いつか一人でなんでもやらなきゃいけない日が、来るってわかってるのにさ。
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