第5話   僕の飼い猫スリープだよ

 お菓子の詰まったお弁当箱が空っぽになって、お茶が一滴もなくなった頃に、彼女たちは帰っていった。屋敷に閉じこもってる僕へ、彼女たちなりに気を遣ってくれたんだろう、窓に向かって「楽しかったですわ~!」「また、遊びに来ますわね~」「お兄様には内緒にしてくださいませね~」なーんて言いながら、颯爽と帰っていくんだから、もう言葉もないよね。


「気をつけて帰ってね~」


 僕も二階の窓を開けて、彼女たちに手を振って見送った。やれやれ、ようやく、一段落ついたよ。


 彼女たちが楽しんでた間、こっちは今までもらったラブレターをもう一度開封して、中身を確認してたって言うのに……それも、僕一人で恐怖の砂糖漬け怪文書と向き合ってたんだよ。


 今日ここに来るなんて内容の手紙は、一通もなかった。


 なんでミニ・ローズ姫は、あんな嘘ついたんだろう。どうしてまたたびの香水を忍ばせてまで、猫たちを懐かせたんだろう。


 ううむ、謎だ……。


 あ~、ずっと休憩せずに動いてきたせいか、お腹すいたなぁ……お昼ご飯の後で、こっそりクッキーを部屋に運んでたんだけど、もっと持ってくればよかったなぁ。


 城に住んでる兄上と弟は、おやつの時間をきっちり決めてて、どんなに忙しくてもリフレッシュする時間を作ってるんだけど、僕の所のパティシエ(見習い)は「できたんですけど、召し上がりますか?」ってな具合。いつも新作に挑戦してて、なかなか決まった時間に完成しないんだよね。


 部屋の柱時計を見れば、三時過ぎだ。僕もおやつにしようかな。そのおやつが完成してるか、わかんないんだけどね。それとも今食べちゃったら、夕飯が入らないかなぁ。


 あ、そうだよ! なんで忘れてたんだ僕。おやつよりも大事な存在が、となりの部屋でケガの治りを待ってるじゃないか。様子見に行かないと。


 いやだねえ、忙しすぎると、ぼーっと窓を眺めちゃったり、身近な存在をド忘れしたり周りに目がいかなくなっちゃう。そんな大人にはなりたくないって強く思ってたのにさ、いつの間にか仲間入りを果たすところだったよ。


 僕がいるこの部屋から一枚の扉で、直通にしてもらってる隣室があって、病気やケガをした猫たちを隔離してるんだ。今は、一匹しかいないけどね。他の子たちはケガが完治したから、今はどこかで自由に暮らしてるんだ。


 隣りの部屋にはメイドがいて、何か細かい作業をしてる最中かもしれないから、びっくりさせないように、いつも先にノックと声かけ。たまに面倒になっていきなり扉を開けちゃったら、メイドが水の入った器をひっくり返しちゃって、床がべしゃべしゃになったよ……。


「僕だよ。スリープは、ご飯食べた?」


 扉を開けないまま、僕は声だけで尋ねてみた。


「はい、クリストファー様。スリープの食欲が、昨日からお戻りになっておりません。餌は、いつもの半分ほどしか。痛み止めを練り餌に混ぜているのですが、食べてもらわないと、どうにも」


「ありゃりゃ、まーだ食べられないのか」


 僕は扉を開けて、室内に入ってみた。元気になって去っていった猫たちの面影が色濃く残る、たくさんのグミビーンズ型のクッションが床に並んでいる。


「スリープ、大丈夫? お腹すかないの?」


 部屋の隅っこに鎮座する、このとてつもなく大きくて、猫用どころか大型犬用のベッドを占拠している黒猫は、今年で十歳になるオス猫のスリープ。十年前に、僕が庭で拾った病気の赤ちゃん子猫なんだ。生まれた時から内臓が丈夫じゃないそうで、父上から、いつ心臓が止まるかわからないと言われたときに、僕は怖くて、ベッドまでスリープを運んで、ずっと一緒に寝てたんだ。呼吸が弱くて、まるで息絶えているように眠るから、朝になれば絶対に起きてくれる! という強い願いを込めて、スリープって名付けたんだよ。


 そのせいかな、スリープはこんなに大きくなっちゃった。それはそれで足の関節に負担がかかるから、移動時は僕が抱っこしたり、メイドが抱っこしてお世話してるんだ。


 そのスリープなんだけど、やっぱりオス猫だからさぁ、高いところから自分の縄張りを見てみたかったのかな……二日前に窓から脱走しちゃって、木から落ちちゃったんだ。いつも寝ていて、とてつもなくおとなしい猫だと思ってたから、まさかあんなに高い木に登るだなんて……もっと気をつけていればよかったよ。今では、スリープ係に任命した数名のメイドを交代制で、この部屋に呼んでるんだ。


 僕も付きっきりで面倒を見てあげたいんだけど、もう十年前みたいに、まとまった時間が取れなくてさ……。僕って無責任な飼い主だよ。寂しい思いばっかりさせてる。


 穴埋めになるかわからないけど、短くても必ず時間を作って会いに行くんだ。そして抱っこしてお話するの。仕事の話はできないけれど、今日はバラの咲く庭で不思議なことがあったから、それ関連に軽く触れる程度ならば話題に困らないね。


「スリープ、抱っこするよ〜、よっこいしょっ……んんー! 相変わらず重たいなぁ、お前は」


 スリープは僕の胸の中で小さく鳴き声をあげて、尻尾も揺らさず、ぐったりともたれてきた。心配だなぁ……。


「明日もこんな感じなら、もう一回、動物病院に行く? スリープ」


 動物病院と口にした途端、あんなにぐったりしていたスリープが、ブリキのネジを巻かれたみたいに大暴れ! でかい猫だから、僕じゃとても抑えてられない!


「うわわわ! 暴れないで! 落としちゃうよ! もう」


 勝手に僕の腕から飛び降りて、クッションの上に戻ってしまった。フンッと鼻を鳴らされる。


 僕はしばらく呆気に取られてたんだけど、なんだか面白くなって、ちょっと笑っちゃった。


「な~んだ、わりと元気じゃんか。それじゃあ病院はまた今度にするから、明日はご飯をしっかり食べてね。ケガも治んないよ」


 僕はクッションの横に並んで座って、包帯でぐるぐる巻きの胴体部を優しく撫でた。うわ、血がにじんでる……やっぱり獣医さんに診てもらおうかな。でも、出血量は少ないし、これぐらい野生動物の世界では普通なのかな……。


 撫でても平気そうな顔してるし、そこまで痛くもなさそうだからいいかな。


「ねえスリープ、聞いて。今日はね~、不思議な女の子が来たんだよ。なにしに来たのか、よくわからないんだけど、庭でお菓子食べてったんだ。天気もいいし、お花も綺麗だし、僕も今度、屋敷のみんなとお花見の時間を作ってみようかな。あ、スリープも運んでいくからね」


「ニャァ……」


「早くケガを治して、いっしょにお花を見ようね~」


「……フニィ」


「……なんだか、眠そうだね。わかった、お話はここまでにしておくね」


 スリープはあんまり長く起きていられないんだ。この部屋に入ってもスリープが寝てたら、何も言わずに部屋を出るんだ。僕が、ついスリープとの時間を忘れてしまうのは、どうせ今も寝てるんだろうな〜、っていう油断があるせいなんだと思う……。寂しがっているのは、僕の方なのかもしれないなぁ。



 となりの部屋の扉が、つまり僕の自室の扉がどしどしと叩かれた。この豪快なノックの音……何度言っても直してくれないから、もうあきらめてるよ。例のパティシエ(見習い)のお兄さんだ。


「あの~、クリストファー様、にんじんでオレンジ色っぽいプリンができたんですけど、召し上がりますか~?」


 えええ~……? なにそれ、食べたくないよぉ。


「まあまあ美味しいですよ~」


「まあまあ? ……じゃあ、食べようかな。ここまで持ってきてくれる?」


「上手く固まらなかったので、ボールに入れてお持ちしますね」


「え……うん、わかった……」


 その後、なんか吐瀉物みたいな見た目の液体が運ばれてきたんだけど、まあまあ美味しかったよ……。次からは、せめてプリンの形に固めてねってお願いしちゃったけどね。


 あのお兄さんも、庭に落ちてたのを拾ったんだよ~って言うのは冗談で、父上の知り合いの、パティシエの息子さんなんだ。お菓子作りの腕前は、アレなんだけど、どうしてもパティシエになって、自分のお店を持ちたいんだってさ。まあまあ応援してるよ。


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