第4話   ベルジェイと僕

 よし! 庭でうろうろしていた猫たちを、ぜんぶ捕まえたぞ。


 僕と執事は、肩を並べて庭を見渡した。うん、猫の姿は一匹もない。


「あーあ、もう疲れた~、爪で引っ搔いてきた子もいたし。あ、ベルジェイは休んでなくて平気?」


「はい、元気ですよ。ご心配をおかけして申し訳ありません」


「ああ、元気ならいいんだよ。大変だったね~、僕らも着替えようか。手も洗わないと」


 んー、一仕事終えた僕らの後ろから、しゃべりたいことをいっぱいおしゃべりしている、とっても楽しそうな声が聞こえてきたよ。ちょっと振り向いてみたら、敷物の上でスカートを広げて座る彼女が、年上のご婦人方から上手にお話を引き出していて、そのリアクションといったら、まるで女の子のお話に熱心に耳を傾けてくれるビスクドールのようだった。聞いているふりが、とっても上手なんだ。


「ふふ、楽しそうだね~。ベルジェイ、手紙の件はまた今度にしようよ」


「……承知いたしました」


 うーわ、ベルジェイの声、不満そう。早く屋敷の中に戻らなきゃな。



 猫のたくさん入った籠も、庭師とメイドが玄関の中まで運んでくれたよ。もう玄関扉を閉めても大丈夫そうかな?


 よし、戸締まり完了っと。


「ふう、疲れた……彼女たちの突然の来訪は、これで最後にしてほしいかな」


「当然です。親親戚兄弟といえど、事前連絡は必須ですから」


 ハハハ……めちゃ怒ってるね。


 でも、まあ、彼の言葉ももっともだよね。僕だって友達の家に突然お邪魔するなんて、迷惑だろうから絶対しないしさ。


「にゃ〜」


 藤の籠の中がガリガリと引っ掻かれて、その振動で揺れていた。猫たちが狭いと抗議しているんだ。


「あ、ごめんごめん! 今出してあげるからね」


 僕ら数人がかりで、猫を屋敷の中へ放してあげた。勝手知ったる他人の家、と言わんばかりに方々へダッシュしてゆく猫たち。この前、柱に爪とぎをされないように樹脂でコーティングしてもらったんだけど、今度は壁紙を引き裂かれちゃって、次は何が犠牲になることやら、このお屋敷はいつか猫で倒壊するかもね。


 もともと古すぎて取り壊される寸前だったところを、僕が住むんだって言い出してから始まったのが、このお屋敷生活なんだ。国民の税金を、こんなボロボロの建物の維持費に使っちゃうのは気が引けるんだけど、でもここは国のためにも存在し続けなきゃいけないんだ。


 僕だけじゃなく、多くの人によって、とても大切な場所だからさ。


 ありゃ、閉めたばかりの玄関扉を、猫が背伸びまでしてガリガリしてる~。やめて~。


 よし、抱っこして阻止したぞ。


「よしよし、どうしたの~? もしかして、サーモンが食べたかったの? うちで用意してるカリカリと練り餌のほうが、栄養があると思うんだけど。いつもと違う物が食べたいのかな」


「その猫の顔は記憶しております。四月二日に子猫五匹を出産、現在は授乳中の母猫です。授乳のために栄養を摂取している影響か、よく食べます」


「あ、そっか、赤ちゃん猫はお母さんのミルク以外、何も食べられないもんね。赤ちゃんが心配なんだろうな……ほんと、ごめんね~」


 僕が頬ずりして謝ると、母猫のピンクの肉球が僕のほっぺたにめり込んだ。どうして猫って、構わないとすねるくせに、構うと押し返してくるのかな。


 うわ~! じたばた暴れだした! こうなったらとても抱っこしていられないから、しゃがんで放してあげた。母猫は再び玄関扉の前までやってきて、しゃがみ込んでしまった……ほんっとごめ~ん! 君の産んだ赤ちゃん猫は、いったい庭のどこらへんにいるの。隠れて産んじゃうから、なかなか見つけられないんだ。


 他の猫たちも、僕らから離れて好き勝手どこかに行っちゃった。またたびは時間が経つと、効果が薄くなるんだ。だからもう猫たちは、僕とベルジェイに惑わされることがない。自由気ままな生活に戻っちゃった。


「やれやれ、今度は花瓶が倒れてるかもね。割れない素材の物に交換してるから、ケガはしないと思うけど」


「クリストファー様、来訪された女性陣の中で、ミニ・ローズ姫だけが異様に猫に懐かれておりましたね」


「え? ああ、そうだったね。彼女も猫を抱っこできる人だったよ」


「私は先ほど、お庭でご婦人方にご説明していた際、香水のきつい臭いに目頭が痛くなりました。人よりも嗅覚の優れた動物にとっては、彼女たちと一緒にいたミニ・ローズ姫にさえも、近寄りがたいと思われます」


「でも、ミニ・ローズ姫の足首に、猫が擦り寄ってたよ? たまたま鼻のつまってた猫だったのかも。猫も風邪ひくんだよね。それか、あの猫だけ香水を気にしない性格だったとか、サーモンの匂いのほうが重要だったとか?」


 なんでか動物に好かれる人って、いるんだよね。たぶん、その動物が安心する雰囲気を出すのが、とっても上手いんだと思う。


「それらの可能性も捨てきれませんが、おそらくミニ・ローズ姫も、猫を惑わせる香りを、まとっていたのかも」


「へえ、そんな香水があるんだったら、知らずに購入しちゃった人は、今頃猫たちに追いかけられながら、首を傾げてるだろうね」


 ベルジェイがジト目で僕を見下ろした。


「……クリストファー様は、希望的観測の才に溢れておりますね」


「え、どういう意味? 楽観的ってこと?」


「ふがいないことです、バラの咲き乱れる時期でなくば、私の鼻も多少は利いたのですが。淑女に接近して鼻を近づけるだなんて、さすがにできませんでした」


「あ~あ~、ごめんごめん、むくれないで。ミニ・ローズ姫が猫の好きな香りを、わざとまとって来たって言いたいんでしょ?」


 ベルジェイは疑り深い性分だから、こういうとき変に勘が働くんだよね……これが彼の長所って言っていいかわからないけど、穿うがった見方で相手を観察する彼の視野に、何度も助けられてきたのも、また事実だった。


「変なの。なんでそんな事する必要があったんだろうね。ああ、そうだ、ベルジェイに伝えておきたいことがあるんだ。ミニ・ローズ姫は、兄上が女性たちを閉じ込めていることを知っていたよ。外出がばれないように、猫の毛が付いたドレスを着替えることも、彼女たちに指示する予定みたい」


「そうなのですか? あの姫は我々の内情を、どこまで知っているのでしょうか。場合によっては、自国へお返しになることができません」


「そう、そこなんだよね~……あんな短時間じゃあ、どこまで知ってるかは測れなかったけれど、そもそもなぜあんなに小さい女の子が、兄上の後宮にいるのかな。そこから疑問なんだよね~」


 彼女は頭から尻尾の先まで、謎がたっぷりと詰まってる。僕はあごを片手で支えながら、じっくり考えてみた。頭をあちこちの角度に傾けて、いろいろと思い当たる節を捜してみる。


「ベルジェイ、猫の件で手紙の話題がうやむやになったのは、好機かもしれない。とりあえず今日は、彼女たちに楽しい時間を過ごしてもらって、そのあとで僕たちは兄上に、事の経緯を説明してもらおう」


「承知しました。以上の件で、兄君様へお時間が頂けないかご連絡いたします」


 ふと、僕はベルジェイを見上げた。


「待って待って、兄上は君の命を狙ってるんだから、連絡を入れる際は別の人に頼んでね」


「あ……お心遣い、痛み入ります」


 深く一礼するベルジェイの声には、少しだけ緊張が混じっていた。


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