第2話   可愛いミニ・ローズ

「あの虫歯になりそうな文章を送ってくる、異国の姫が? すぐそこの庭でピクニックしてるの!?」


 大慌てで窓を大きく押し開けると、待っていたかのようにピンクのレースの日傘が傾いて、庭の誰よりも幼くて小さなお姫様が、僕を見上げた。苺クリームみたいな色のゴスロリドレスが、生クリーム色のふわふわしたレースでたっぷりと縁取られていて、キャンディみたいな短めのツインテールの先は、くるりんとカールしていて、ちょっと羊のツノっぽかった。


 まるで全身お菓子のようなお姫様が、とろけるような優しい笑顔で、優雅に片手を振った。


「あらぁ、クリス様〜、ごきげんよう」


 声まで甘ったるいとは。ソーダの瓶みたいな綺麗な青い瞳が、嬉しそうに細まっている。


 かっわいい〜なぁ……アレが僕と同じ人間? じつは誰かが持ち込んだお人形で、誰か後ろで腹話術してるんじゃないの? いっそ、そうであってほしいよ、アレが人間であることのほうが怖いくらいだよ。


 ……あ、え? 彼女が、僕の手紙の相手ってこと!? しまった、見惚れてて会話の内容を聞いてなかったや。な、なにか気の利いた挨拶を返さないと。僕だって、この屋敷を守る主人であり、紳士なんだから。


「こ、こん、にち」


「あなた様からのお返事が待ちきれなくってぇ、遠路はるばる馳せ参じてしまいましたわ〜」


 彼女が無邪気に、日傘まで軽く振ってみせる。その姿に、周りの女性陣も、「まあ、可愛らしい」なんて言いながら、朗らかに笑っている。すでに大人気なんだね……。


 彼女がミニ・ローズ姫で間違いないようだ。僕を鳥籠に閉じ込めて、毎日ひとりじめしたいって手紙をくれた子。もっと大人っぽくて、兄上の正妻の座を狙う、色っぽさと計算高さをこねて合わせた、腹黒くて誰も飲めないコーヒーみたいな女性だと思ってた。


「しまいましたわーじゃないよ!? 今日ここに来るなんて知らせ、僕の所には届いてないよ!」


 彼女、僕よりも歳下なんじゃないか? 幾つなんだろう……気になるけれど、大衆の場で女性の年齢を話題にするのは、ご法度だ。こんなふうに大声でやり取りする内容じゃないよ。


「あらぁ? 照れていらっしゃるの? こうしてお庭にも入れてくださってるのに、今更可愛らしいご冗談ですわ」


「本当に届いてないんだってばー!」


「ふふふ、騙されてあげませんわよ? わたくしはちゃーんと、お手紙で送りましたとも」


 え〜? 何かの間違いだよ、だって本当に今日ここに来るなんて、知らなかったんだ……何度だってそう言いたくなってしまうけど、彼女の周りには無数の蝶のような味方が、楽しげにお弁当を広げている。もはや庭が、ミニ・ローズ姫を中心とした一つの集団と化してるよ。これじゃあ、僕が言い訳するたびに、彼女の味方が敵にまわってくる。めったにない楽しい時間を妨害されたとあっては、尚更だね。


 あ、となりに立ってるベルジェイが、窓から離れちゃった。


「クリス、これは罠です」


「うん、僕もそんな気がするよ。ど、どうしよう、庭には猫がいるのに」


「相変わらずクリスは話が早くて助かります。では、今から私が言うことを、よく聞いてください。手紙の数と、手紙を受け取り続けた年数を、絶対に口になさらないで」


 ベルジェイがすごく緊張した声だった。黙っているように、薄い口に人差し指を立てて忠告してくれてる、その気持ちは嬉しいんだけど……。


「ちょっと待って、それってすごく難しくない? 彼女は今、手紙の話題を中心にして話してるから、どうしても手紙の内容まで会話が進んじゃうよ。それを豪快に突っぱねたら、周りの女性陣から不審に思われちゃう」


「なぜ、不審に思われるのでしょう」


「彼女たちはね、僕とミニ・ローズ姫が知り合いで、なおかつ今日会うことを約束し合っている仲だと思いこんでるから、この庭に無断で入ってきたんだ。ミニ・ローズ姫が、みんなをピクニックに誘った犯人なんだよ」


「クリストファー様は、『そんな知らせは聞いていない』『届いていない』と口になさいましたよね。『・たくさんの手紙を受け取ってきたけれど、どの手紙にも書いてなかった・』とは、答えていらっしゃいません。つまり、今なら『手紙を一通も受け取っていない』という嘘が通用します」


「ええ!? そんな豪快な嘘つくの!? 木箱がパンパンになるぐらい貰ってるのに」


 それでも、やらなきゃダメ? できるかなぁ、無理じゃないかな~、だってミニ・ローズ姫と僕の接点って、手紙の事しかないし……あ、そうか、もう接点すら取っ払って、赤の他人同士であると主張すればいいのか。


 これなら嘘にはならないぞ。だって本当に、赤の他人なんだから。


「クリス様?」


 ミニ・ローズ姫の跳ねた語尾に、僕は慌てて窓から顔を突き出した。困ったような不安そうな顔で、金色の眉毛を下げるミニ・ローズ姫が、僕を見上げている。


「いじわるなさらないでくださいまし。何度も恋文を送り合っているわたくしたちなら、伝わっているはずですわ?」


 そうは言うけれど、本当に手紙には今日ここに来るなんてこと、一文字も書かれてなかった。証拠を出せって言われたら、全部出せるよ。だって僕は届いた書類関連を、全て捨てずに保存してあるんだから。


「クリストファー様、ここは受け取っていないという嘘を一貫し、ミニ・ローズ姫には後々になってから、個人的に問い詰めてください。絶対に周りの空気に流されてはいけません」


「う、うん、努力はするよ。期待しないでね」


 できるかな~、不安だな。こういう駆け引きって、いつも緊張するよ。僕ってほんっとうに、人の上に立つのが向いてない。


「うふふ! クリス様~、そんな所でおしゃべりなさってないで、お庭へ下りていらして! スモークサーモンにブラックペッパーをたっぷりとまぶして、アボカドと甘えびで挟んだサンドイッチがありますの。お好きだってうかがいましたので、うちの自慢のコックに作らせましたわ」


 わあ、美味しそう~! 僕、サーモンとアボカド、大好きなんだ~……って、食べ物じゃ釣られないぞ。人にきついこと言うのも、ひどい嘘をつくのも、すっごくつらいんだけど、ここは、やらなきゃな……。


 僕はひどく落胆した顔を作って、肩も大げさに下げてみせた。


「ミニ・ローズ姫、君がこんなことをする人だなんて思わなかったよ。僕は君と一度も会ったことはないし、話したこともない、ましてや手紙だって貰ったことがないよ。君こそ誰かに騙されてるんじゃないか?」


「まあ! そんな――」


「無断で庭に入り込んだ件だけは許してあげるから、食べ終わったら早急にお引き取り願うよ。僕サーモンそんなに好きじゃないしさー」


 彼女と会ったことがないのは、本当だった。たま〜にだけど、僕は周辺国の交流会に、兄上の付き添いとして参加してたことがあったんだけど、彼女らしき貴族の娘さんは一度も見かけたことがない。だから、彼女と話が盛り上がったこともなければ、こっそり二人きりで話したこともない。それなのに、どうして彼女はたくさんの恋文をくれる。


 僕個人としても戸惑ってきたし、父上も、彼女の国とこれ以上の強い結びつきを持つ事は、今のところ考えていないのだと言う。すでに彼女のお姉さんの何人かが、うちの国の貴族のお嫁さんになってるからね。父上もこれ以上のつながりを持つ必要性を、感じないんだってさ。


 おまけにミニ・ローズ姫は、多分まだ恋愛を楽しむには早い年齢なんじゃないかな。どう見ても恋愛よりお勉強させてなきゃいけないくらい幼いんだ。九歳か、十歳くらいかも?


 彼女は、日傘をくるくると回しながら、コロコロと笑った。


「もう、クリス様はお子ちゃまなんですから~」


「へ? 僕が?」


「成熟した紳士ならば、『恥ずかしいから帰りなさい』なんて、婦女子わたくしたちに言い放つわけがありませんもの。今回ばかりは、お姉さんなわたくしが引き下がって差し上げましょう。『・あなた宛ての恋文なんて、一通も送らなかった・』。これでよろしくて?」


「え、えっと」


「ですが、大衆の面前で淑女に恥を掻かせたのですもの、償っていただきますわ。明日はこの三倍のお返し、期待していますわね!」


「ええ!?」


「クリス様には罰として、明日はわたくしとデートしてくださいませ〜」


 にこにこしている、余裕のミニ・ローズ姫。僕ら二人のやり取りを朗らかに見守る、楽しげな淑女の方々。まるで僕のほうが幼くて未熟者で、恥ずかしさのあまり嘘ばっかりつく子供みたいじゃないか?


 さっきの彼女の言葉、『・あなた宛ての恋文なんて、一通も送らなかった・』なんて、この場の誰が信じるんだよ。困ったなぁ、やり返されたよ……。


 ここで僕がムキになって『ふざけるな! 帰れよ!』なんて子供っぽく怒鳴ったら、どうなると思う? 場がしらけるどころの騒ぎじゃないよ、兄上のお気に入りの女性陣の楽しい時間を破壊した罪は、後々大きく響くだろう。すぐに言い負かされて、すぐにカッとなる人に、信用も情報も集まっちゃこないからね……お城で何が起きてるかの、情報網が絶たれてしまうよ。


 そもそも、僕にそんなこと言う勇気ないし。庭はすでにお洒落な喫茶店のごとく、お菓子やお弁当が広げられてて、ちょっとしたパーティになってるし。彼女たちも普段から兄上に放置されてて、僕も気の毒だなぁって思ってたから、今だけ楽しい時間を過ごしたいんなら、それでもいいかなぁって、思っちゃうんだよね。


 ここは、そっけない態度を取ってしまった僕から謝ったほうが無難かな……背後から、怒りのオーラを放つ誰かさんの気配を感じるんだけど、声をかけたほうがいいのかな。


「ベ、ベルジェイ、どうか落ち着いて」


「クリス、今すぐ全ての手紙を持って、彼女のもとへ向かいましょう。そして、どの手紙のどの行に、来訪の知らせが書いてあるのか、皆様の前で確認させるのです。それで彼女の嘘が白日のもとになります」


「そんなひどいこと、しなくていいんじゃないかな。ほら、みんな楽しそうだし」


「皆様が楽しそうなのは、あなたが舐められているからですよ」


 うぅ……胃が……。


 僕は今から、庭で楽しく談笑し合う空間を突き破って、みんなの笑顔を曇らせるような大事件を、起こしに行かなきゃいけないの?


 楽しい時間や、のんびりした時間は、どうして僕のそばから離れていってしまうのかな……。


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