第1章 熱心な恋文の送り主
第1話 三日連続の恋文攻撃
アールグレイの茶葉が入ったクッキーを食べながら、二階の大きな窓枠に座って、玄関周囲を彩る庭を眺めていた。ここでぼーっとしてるのが、僕のお気に入りの時間。父上が世界中から集めてきた、いろんな色のバラが、競うようにひしめき合って咲いている。庭師が毎日お手入れをしてるから、ぱっと見は美しいんだけど……もう少し距離を置いて植えてあげたほうがいいんじゃないかなぁって、ときどき思う。きっと土の下では、互いの根っこが絡まりあって、居心地悪いと思うんだ。ぎっしりと大量に咲いてるほうが、迫力があるから、そうしてるんだろうけど。父上の大好きな庭だから、勝手に位置を変えるわけにもいかないしな、ただよう匂いは最高だし、もう少しだけ、ぼーっとしてよう。
僕の自室兼、執務室の真ん中に置いてある丸いテーブルにも、今朝ベルジェイが剪定してくれたピンクのバラが一輪、青いガラスの花瓶に活けてあるんだ。僕の執事はお花が好きでね、毎週あちこちの部屋に飾ってくれるんだ。おかげで窓から虫が入ってきて、なかなか出ていってくれないんだけど、まあ虫の数匹くらい、べつにいいかな。
コンコンと部屋の扉が鳴った。
「クリストファー様、ミニ・ローズ姫から、お手紙が届いております」
「え? またぁ? あ、どうぞ入って」
ベルジェイは室内からの合図がないと、絶対に部屋には入らない。でも掃除するときだけは無理やり扉を蹴破られちゃうんだ。
「失礼します」
静かに扉を開けて入ってきた。すらりとした長身の年若い執事が、銀色にも金色にも見える薄い色彩の髪を揺らして、丸テーブルへと歩いてゆく。彼が持っているのは、綺麗に磨かれた銀のお盆で、あのピンクの封筒が一通、載っていた。
うわぁ……。
「いつもは七日置きだったのに、一昨日も、昨日も、そして今日も届いたね」
「届きましたね」
「う~ん、ちょっと嫌な予感がするよ。僕からも、丁重にお断りする旨の手紙を、出すべきなのかも。え~っと、なんて書いたらいいんだろう、考えないとなぁ」
毎日考える事が山積みなのに、まーたまた増えちゃったよ。どんどん増えていくね。
彼女からの不思議な手紙に、返事を出したことは一回もないんだ。貴族同士の変なやり取りって、こちら側の弱みになることもあるから、慎重にならないといけない。慎重に慎重な吟味を重ねきった結果、変な手紙にはそもそも反応しないという手段を取ってるんだけど、もうあの箱もいっぱいになってしまったことだし……そろそろ、知らんぷりできなくなってきた。
「あ、ねえベルジェイ、僕の事は昔みたいに、クリスって呼んでくれていいんだよ」
「そんなわけには参りません」
「でも、クリストファーって長いし」
「クリストファー様、私はあなた様とともに働くと決めたとき、己の全ての私情は捨てたのです。ここに置いてもらえて、とても幸運に思っておりますよ」
あ、声が笑ってる。いつもキッとした無表情なんだけど、声だけは感情が豊かなんだよな。
このやり取りも、もう挨拶みたいなものだ。クリスって呼んでほしいのは、僕の本心なんだけどね、呼びたくないって言うベルジェイの言葉も、彼の本心なんだよな。
「ほえ~、相変わらず真面目だなぁ」
僕は窓枠から下りて、お盆の上の封筒を手に取った。物騒な内容が書いてあるかもしれないから、一応、目は通しておかないといけない。お盆にはペーパーナイフまで用意されてて、僕が手でビリッと破いて手紙まで真っ二つにするのを暗に防いでくれていた。
「……」
手紙をじっくり黙読する。内容は、いつも通りの、詩集じみた熱烈な恋文だった。よくもまぁ、会ったことのない僕を相手に、ここまで文面が思いつくもんだ。手紙専用の詩人さんを雇っているとみた。今回の僕は、小鳥に例えられてたよ。鳥籠の中に閉じ込めて、毎日かたときも離さず独占したいんだって。怖いね。
「ん……? クリストファー様、窓から、こちらの屋敷に向かってくる女性陣の姿が見えます」
「え? 今日は誰の来訪の予定も、ないはずじゃなかったっけ?」
「ええ、そのはず、なのですが」
僕とベルジェイは、並んで窓辺に集まった。春らしい軽やかな生地のドレスを揺らしながら、楽しそうにおしゃべりしている団体が、日傘を片手に、バスケットも持って、ぞろぞろと歩いてくるところだった。
見覚えのある人がたくさんいるけど……あ、思い出した。
「あれは兄上が勝手に作っちゃった後宮の、女の人たちだね。ピクニックかな?」
僕が見上げると、ベルジェイの真剣なまなざしが、ぶれることなく窓の向こうを凝視していて、ちょっとびっくりした。
「見覚えのない淑女が、一、二、三……五名いらっしゃいます」
「そ、そうなんだ」
きっと兄上のナンパが成功して、人数が増えたんだろう。また父上から小言が飛んでくるだろうけど、兄上には効かないだろうなぁ。
僕の国では王様に許可なく新しい女性を迎えるのは禁止なんだ。で、兄上は禁止項目ブチ破り皆勤賞。女の子を集めてばかりで、全然相手してあげないから、後宮に閉じ込められた女性たちがどう思ってるのかは、わからない。
「今日はいい天気だし、お花は今年も花付きが良くて綺麗に咲いてるから、お花見に来たのかもね」
「彼女たちは、クリストファー様に許可なく、立ち入ろうとしております」
「ぼ、僕は別に構わないよ? 花だって愛でてもらったほうが、嬉しいだろうし」
……ベルジェイの横顔は、険しかった。
「事前になんの連絡もされず、クリストファー様に気煩いを生じさせる権利は、彼女たちにはありません」
「ほとんどが僕の知ってる顔ばかりだから、僕の許可なんていらないよ。ここは補強だらけで古い屋敷だけど、もともとは、ここがお城だったんだもの。新築したばかりの立派なお城が、すぐ近所に建ってるけど、あそこから彼女たちが遊びに来たって、いいんじゃないかな」
「ですが、春先に庭で子猫が多数産まれましたよね。ドレスに毛が付いたら、どう責任をお取りになるおつもりですか?」
「あ、そうだった! しかも黒猫もいるんだよね。ドレスが毛だらけになっちゃうや」
そうだった、そうだった、完全に忘れてたよ。僕の弟は動物が大好きでね、この屋敷に猫がいるってばれたら大変なんだ。絶対に持って帰って、飼いたがる。それはまずい。
「クリストファー様はこの屋敷の主なのです。たとえ王位継承権第一候補の兄君様が愛する女性であっても、なんのお声掛けもなく、この土地に足を踏み入れる事は許されません」
「そうだね、全面的に賛成だよ」
そうこう言ってる間に、彼女たちが庭に入ってきてしまった。まあ綺麗! 紅茶に浮かべましょう~、とか言ってるのが聞こえる。侍女が敷物を広げちゃってるよ。場所取りもばっちりだね。
「あの……じゃあ、えっと、彼女たちには、なるべく優しい口調で、お引き取りを、お願いします」
彼女たちの楽しい時間を台無しにしてしまう罪悪感でいっぱいになりながら、ベルジェイに指示すると、彼は僕が言い終わらないうちに部屋を出ていた。いつもは気をつけて静かに閉める扉も、バーン!! である。
あー怖い。
僕、あんまり人にきついこと言うのは得意じゃないんだ。こういう時、即断して行動に移せる彼らは、すごいなぁって思う反面、喧嘩しないでほしいなぁ、とも思う。まあ、こんなところに生まれちゃあ、水面下での喧嘩なんて日常茶飯事なんだけどね。あ~両親が優しくて、ご飯も美味しくて、食うに困らない仕事に就きながら、昼時に友達と話す時間もあるような、そんな身分の人に生まれたかったな。僕はきっと世界一、王族に向いてない男だと思う。
女性陣に対するベルジェイの物言いが、あんまりにもきつかったら、窓から注意しよう。そう思って、窓にほそーく隙間を作って、窓辺に座って外の様子を伺っていたら、女の人たちは井戸端会議しながら、お弁当を広げちゃった。
……ベルジェイ、どうしたのかな? 途中でお手洗いに行きたくなっちゃったのかな。
そんなことを思っていたら、部屋の扉がけたたましくノックされた。
「はーい」
僕が返事するや否や、ベルジェイが息を弾ませて戻ってきた。
「大変ですクリス!」
「そのようだね、どうしたの?」
「兄君様の後宮の女性に混じって、ミニ・ローズ姫を名乗る少女が!」
……え?
どういう、こと?
どうして遠い国から三日連続で手紙をくれたお姫様が、兄上の後宮の女性陣に混じってるの?
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