第7話

「ちょっと待って。東学ってどっかで聞いたことのある名前な気がしてたんだけど、もしかして君って清滝中学で女子に『妹になってください』って言ったあの東学……?」

「ああ、それ俺ですね。何だ、もう知られてたんですか」


 げに恐るべきは女子の噂というわけか。まだ入学してから一か月しか経っていないのに上級生にまで広まってるとは。


「ね、ねぇ、琴ちゃん。その話詳しく聞かせてくれない?」

「いや、私も噂で聞いただけなんだけどさ……。友達の後輩が清滝中学の出身らしくてね、その子が言ってたんだって。『今年の新入生には同学年の女子に妹になってくれと言ってくるヤバい奴がいるから先輩も気を付けて下さい』って」


 山吹先輩は宮川先輩から噂の詳細を聞きながら、そろりそろりと仙堂先輩の背中に身を隠す。まるで俺から少しでも距離を取りたいと言わんばかりに。

 しかし噂を流した後輩とやらも迷惑な奴だ。俺がヤバい奴、何て根も葉もないことを言い触らしやがって。俺はただ自分の目的に向かって脇目も振らず邁進してるだけなのに。誰か分かったら今度文句言いに行ってやろうかな。


「……信じがたいというか、同じ高校にそんなのが居るなんて信じたくない話なんですけど、その話は百パーセント真実、なんですね?」

「俺がヤバい奴って所を除いたら真実ですね。確かに俺は中学二年の春に同じクラスの女子を校舎裏に呼び出して、妹になって欲しいと告白しました」

「そのエピソードが本当ならヤバい奴って所を含めても真実ですよ」


 仙堂先輩が何か失礼なことを言った気がするが、聞こえなかったふりをして当時のことを思い出す。


 今となってはもう懐かしい話だ。俺が理想とする妹に近い性格と見た目をした女子が同じクラスになったから、タイミングを見計らって告白をしたら断られた。本当ならそこで終わるはずの話だった。

 だが、次の日にはクラス全体にその話が広まっていて、俺がその女子に近づこうとしたら他の女子にブロックされるようになった。それどころか同じ学年の女子全員に避けられ詰られ、針の筵のような学校生活だった。そしてとうとう俺は告白以降その女子と会話を交わすことなく卒業を迎えた。


 何とも理不尽な話だと思う。俺はただ妹になって欲しいと言っただけなのに女子からは変態扱いだ。


「いやー、でもそんな話が高校でも出てくるとは思ってませんでした。人の噂は七十五日とか言いますけど丸っきり嘘ですね」

「いやいや、何で想定してなかったのよ。こんなの末代まで語り継がれるレベルの話なのに」

「それよりも私はこの話を知られたのにこんな平然としてるのが怖いですね。こんな黒歴史、どころか闇そのものみたいな話が広まっていると知ったら常人なら発狂ものでしょうに」


 宮川先輩と仙堂先輩の二人にぼろくそに言われているが今はスルーしよう。この二人に何を思われたところで特にダメージは無いし、俺は山吹先輩という未来の妹にさえ嫌われなかったらそれでいい。


「山吹先輩」

「な、何かな」


 そろそろ返事が貰いたくて山吹先輩に話しかけたのだが、山吹先輩は仙堂先輩の背中に隠れたままで、俺と目を合わそうともしてくれない。


「いや、何かなじゃなくて、返事を聞きたいんですけど」

「へ、返事ね。返事……、それは東君が入部してくれる代わりに私に妹になれっていうあの話の返事?」

「嫌だなぁ、とぼけちゃって。それ以外に何の返事があるっていうんですか」


 俺は、ははは、と笑って山吹先輩の警戒を解こうとするが、俺の笑顔を見た山吹先輩が取った行動は仙堂先輩の背中により深く隠れるというものだった。

 何でだ。笑顔は人に安心感を与えるとどっかの本で見たのに。


「……返事の前にいくつか聞きたいんだけどいいかな?」

「はい、何なりと。俺も先輩に色々話して貰いましたし」

「じゃあ一つ目、私の方が年上なのになんで妹なの……?」


 どんな質問が来るかと身構えたが成程、それは盲点だった。認識というのは人によって様々だという当たり前のことを再認識できる。


「先輩、いいですか。妹という存在はですね、そんな小さいことに囚われたりなんかしません。人種、血縁、年齢、それらは全て些細なものです。人種が同じでも違ってもいい、血縁があっても無くてもいい、年齢が下でも上でもいい。大事なのは兄妹という関係性がそこにあるか否か、それだけなんです」

「…………うーん」


 妹萌えという文化を知らない人にも分かりやすいように説明したのだが、山吹先輩は頭痛をこらえるように額に手を当てている。


「大丈夫ですか? 良ければもう一度説明しましょうか?」

「いい、大丈夫。本当に大丈夫だから、そんな気を遣わなくて」


 ……親切心で説明を繰り返そうとしたら思った以上に強く拒否されてしまった。

何か話す度に溝が深まってる気がするな。これから兄妹としての距離を作り上げたいのに、ハードルがどんどん高くなっていってる。


「そうだね、分かった。理解できないということが分かったよ。じゃあ二つ目の質問に行くね?」

「あ、はい」

「何で東君はそんなに妹が欲しいの?」


 山吹先輩は俺と目を合わせないように視線をそらしながら、根本的なことを聞いてくる。

 うーん……なんともまあ、また言語化が難しいものを。


「そうですね……、強いて言うなら魂に刻まれているからと言いますか……。深夜アニメとかに触れる機会が多かったのも原因なんでしょうけど、それ以前から俺は確実に妹が大好きで理想の妹を追い求めていました。ですので、きっかけらしいきっかけというものはありません。ほぼ三大欲求と同じレベルです」

「…………そう」

「雛ちゃんダメっ! 意味が分からないからって思考放棄したら相手に飲み込まれるから!」

「そうです! たとえ相手が常識の通じない変人だったとしても、対話することを諦めたらそれこそ思う壺ですよ!」


 山吹先輩が死んだ目で俺の話を受け流すと、そんな山吹先輩を励ますために二人が声を張り上げる。


「何なんですかさっきから、何も悪いことをしてない幼気な新入生に散々な言い様ですね」

「「変態は黙ってて(下さい)!!」」


 さすがに物申したくなって俺も口を挟んだが、宮川先輩と仙堂先輩にきつく睨まれ口を閉ざすほかなくなった。

 俺が黙ったところで三人は俺に背を向け、作戦会議のようなものをし始めた。しかも、最初の時とは違い、内容を隠す必要も無いと思っているのか会話は全部筒抜けである。


「ねえどうする? さっきまでは入部させなきゃって気持ちだったはずなのに今は入部させちゃダメって気持ちが強すぎるんだけど」

「でも何をやらかすか分からない人間だということが判明したせいで、入部させなかった時の不安も倍増しましたからね……」

「お、大げさだよ二人とも。ほら、まだ何か致命的なことをやっちゃった訳でも無いんだし」


 端から否定的な二人と違って山吹先輩は冷静に俺のことを見てくれているようだった。……まだ、なんて言葉が出てきた気もするけどそこはスルーしよう。


「いや、雛ちゃん。同級生や先輩に妹になってくれ、は十分に致命的だからね? それに何かをした後じゃ遅いから事前に対策しないと」

「ええ、しかも怖いのが周囲に何を思われても平気そうなあの精神性ですよ。ああいった自分の欲望に忠実な人間は後先考えませんからね。山吹先輩が毒牙にかかるのも時間の問題かもしれませんよ」

「うん……、確かに暴走してる時のお兄ちゃんと同じ目をしてるから危険だとは思うんだけど……。でもでも、それは私が気を付ければいいだけの話だし……それで丸く収まるなら、ね?」

「ダメだよ雛ちゃん! そうやって甘いと相手に付け込まれちゃうんだから! もっと自分を大切にしないと!」

「貴女が言うと説得力が違いますね……、ですが私も言いたいことは同じです。もっと毅然とした態度で臨まないと丸め込まれてしまいます」


 まるで悪徳商法に騙される友人を必死に引き止めているかのような二人の説得を聞いて、山吹先輩は腕を組んで長考の姿勢を取る。


「………………分かった。じゃあこういうのはどう? 一旦あっちの提案に乗るのは乗る、けど手遅れになる前に東君の異常性癖を矯正して事なきを得るみたいな」

「矯正、出来るかなぁ……。あれはもう筋金入りみたいに見えるけど……」

「うーん……、だったら矯正じゃなくて上書きとか出来ないかな? この部活を通して東くんを妹フェチから民族衣装フェチにするとか……」

「なるほど。変態から変態にジョブチェンジさせるわけですか。雛さんはお兄さんを見て変態がどうできるかも知ってるわけですし、あながち不可能とも言い切れませんね」

「お兄ちゃんも東君も散々な言われようだねっ! でもそういうことで合ってるよ、どうにかしてお兄ちゃんと同じルートを辿ってもらって、妹という幻想からは目を逸らさせる。どうにもならなさそうだったら、最悪洗脳すればいいし多分なんとかなると思う」

「「こわい……」」


 触れ合いそうなくらい顔が近かった三人だったが、山吹先輩の発言を聞いて他の二人は一歩距離を引いた。

 せ、洗脳って言葉が聞こえたけど気のせいだよな? 一高校生がそんな技術持ってるわけないし……でも山吹先輩の言葉を聞いた二人の反応を見るに気のせいじゃない可能性が……。

 そうして俺が一人で戦々恐々としている内に三人の話が一段落したようで、山吹先輩は決意を携えた瞳で俺と真正面から向き合った。

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