第5話

「その反応を見るに、広瀬先生がどういう人なのかは知っているようですね」


 広瀬先生が件の被害者だと聞いて固まってしまった俺の反応を見て、仙堂先輩は情報の共有が出来ていることを察する。


「そ、そりゃあ有名な先生ですし。……あの、山吹先輩のお兄さんってあの広瀬先生に口では言えない何かをして本当に無事で済んだんですか?」


 胸のサイズを聞いただけ(それでも十分なセクハラだが)で停学にさせられるほどだ。山吹先輩のお兄さんが何をしたかは知らないが、下手したら退学にまでなる可能性もあったのではないだろうか。


「そうだね……、一応無事だったよ。停学とかの罰も無かったし。でもその代わりにお兄ちゃんとお兄ちゃんが作ったこの部活が先生にすっっっっごく、恨まれるようになってね」


 山吹先輩はとても疲れた顔で広瀬先生の恨みを買っていることを強調する。

 この場合むしろ恨みを買っているだけで済んでいることが奇跡な気もする。一体どんな弱みを握ったんだ。


「まあ、ここが広瀬先生に目を付けられてるってことは分かりました。でも、それを聞いてこの部活に入る気持ちがどんどん薄れてきたんですけど……」


 俺としてもこの部活に入りたいという気持ちはある。だけど、まともに学校生活を送れる確率を激減させてまで入りたいかというととても悩む所だ。


「待って! 聞いて! 話した通り、広瀬先生はこの部活を目の敵にしてるの。それはもう、どうやったらこの部を廃部に出来るかいつも画策してるってレベルなの」

「そんな状況でよく五年も存続できましたね」

「うん、今まではお兄ちゃんが先生をなだめすかしつ、……時には脅しつつ、何とかしてきたんだ」


 ……時には脅すとか小さく言ったけど、絶対宥めたりするより脅す数の方が多かったに違いない。あの先生がちょっとやそっとの話術で何かを見逃すとも思えないし。


「だけど二年前にお兄ちゃんが卒業してからは先生にそんなこと出来る人もいなくなった。でもお兄ちゃん以外の部員はそこまで破天荒でも無かったから、大きな問題も無くやってこれたの」

「普通に部活やってたらそんな常に廃部の危機とかある訳ありませんもんね」


 教師と攻防を繰り広げる山吹先輩のお兄さんが異常なだけだし、そりゃ卒業したら平和にもなるだろう。


「うん。それでも広瀬先生はまだこの部活に恨み骨髄って感じで……、言ってしまえば今は膠着状態が続いてただけなんだ」

「恨み根深過ぎません?」


 恨むべき張本人が居なくなったのにまだ廃部にご執心とは執着心が強すぎる。本当に一体どれほどの事をやらかしてきたんだ。


「葉純先生しつこいっからねー。プライドも高いし。そんな先生を一度は屈服させた雛ちゃんのお兄さんは偉業をなしえたと言っても過言ではないよ」


 宮川先輩は腕を組みながらうんうんと頷く。


「いや別に屈服とかはさせてないと思うんだけど……。とにかく、広瀬先生が未だ目を光らせてるのに起こっちゃったのが今回の事件なんだよ」

「……事件と言うと、もしかしなくてもあれですか」


 俺は先輩たちが必死に隠そうとしていたベランダに繋がる窓の方に目を向けた。すると山吹先輩は沈痛な面持ちで首を縦に振り、窓の方を振り返る。


「そう……、もしもあれが先生にばれたら先生はここぞとばかりに責め立てて来ると思う。それでゆくゆくは廃部に発展しちゃう。それはどーしても避けたいの」

「……大体の事情は分かりましたけど、言われたくないなら俺もわざわざ先生に言いに行くことなんてしませんよ?」


 これを報告したところで先生からの評価が良くなるとも思えないし、何もメリットが無い。俺はそう思っているのだが、どうにも先輩方は俺の言葉を信じきれないらしく全員渋い顔をしていた。


「そう信じたい。信じたい気持ちはあるんだけど……」

「今日会ったばかりだからねぇ……」

「そういう訳ですので、つべこべ言わず入部して下さい」

「なんでそうなるんですかっ!」


 三者三様。それぞれ今の素直な今の気持ちを表明してくれたのはいいけど、結論に納得がいかない。


「何でと言われましても、話の流れで分かるでしょうに。私たちは初対面のあなたを信用しきれない。だったらもう、貴方も部員にして運命共同体にするしかないじゃないですか。素行不良程度ならともかく、器物破損。広瀬先生なら停学一か月は固いですね。部全体の連帯責任にもなるでしょうし……。貴方も入学して早々そんな目に遭いたくはないでしょう?」

「道連れじゃないですかっ!」


 初対面の奴に連帯責任を押し付けて来るとか悪質すぎる! 窓が割れた件に俺は一切関与してないのに!


「いやまず何であんなことになったんですか! 文化系の部で窓ガラスが割れる事態が起こるなんてそうそう無いと思うんですけど!」


 俺は割れた窓を指差して今更ながらに説明を求める。

 野球部やサッカー部がボールを飛ばして、みたいな事なら分かる。でも、そこの窓はどう見ても内側から割られている。割られている面積と比べて部屋の中に散らばっている破片は明らかに少ないし、ほとんどはベランダにあるのだろう。

 でも何をしたらああなるのかは全く分からない……。


「……そうだね、ちゃんと話そうか。私がさっきした説明は本当に簡単なもので、この部はもうちょっと色んな活動をしてるの」


 宮川先輩は自分が着ている服に手をかざして、前置きから話し始めた。


「まず一つ、民族衣装の由来とかを知って実際に自分たちで着てみること。二つ目は、その日着ている民族衣装の民族や国の文化に触れてみること。この二つが、ここで主にやってる活動内容なんだ」

「文化に触れてみる……、ですか」

「そ、民族料理を食べたりその国伝統のスポーツをやったりとか」


 出来る範囲でだけどね、と山吹先輩は苦笑する。

 なるほど。確かに話で聞くだけなのと実際に体験するのとでは、物事に対する理解度は雲泥の差だろう。


「それで、このタイミングでその話をしたということはまさか」

「…………さっきも言ったけどアオザイはベトナムの服、という事で今日はベトナムの文化を体験する日だったの。ベトナムにはダーカウって呼ばれるスポーツがあって……、ダーカウはあんまりスペースとか無くても出来るスポーツだから部室でそれをやろうって話に……」

「ほう」


 山吹先輩がバツが悪そうな顔で話し続けるため、とりあえず突っ込みは無しで話を聞く姿勢を取る。


「ダーカウっていうのは蹴鞠とバトミントンを足したようなスポーツなの。ベトナム語でカウって呼ばれる重りの着いた羽を何人かで蹴りあって、落とした人が負けっていうスポーツ。始まりは古代中国だったらしいんだけど……、ベトナムでも多くの人が自分のカウを持ってて、街の色んな所で遊ばれてる国民的なスポーツなんだ」

「へー……、初めて知りました」

「日本じゃやってる人とかいないからねー。でも世界大会も開かれてるくらいメジャーなスポーツでもあるんだよ? 最初は中々上手く蹴るのが難しいんだけど、慣れてきたらラリーが続くようになってきて凄く楽しいんだ。色んな蹴り方とかにも挑戦できるようになってくるし」


 山吹先輩は花が咲くような笑顔でダーカウの魅力を語ってくれる。

 アオザイの話をしてる時も思ったけど、この人すごく楽しそうに説明してくれるな。おかげでこっちも興味がわいてくる。

 お兄さんの影響と言ってたけど山吹先輩本人も民族衣装や文化が好きなんだろう。


「それで、そのダーカウってスポーツは本当に室内でやっていいものなんですか?」

「うん、うん。そこは本当だよ。むしろ今日は風が強いからね、外でやったらカウが風に流されたりしちゃうんだよ」


 カウっていうのがどれくらいの大きさなのかを知らないから聞いたが、風の影響をそこまで受けるものなら室内でやっても危険は無いのだろう。……そうだとしてもこんな狭い部室じゃなく、体育館とかしかるべき場所を借りたらいいのにとは思うけど。

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