反コヴィッド史

ししおういちか

三独

「あ、あ」

 あるサイト運営者の男は恐怖する。己の身体、その内部に巣食う痛み——その正体に思い至ってしまったが故に。

 恐慌が、じわじわと臓腑を這い上がってくる。しかし、それは予想された結果であった。自分の環境を考えれば、感染は遅いか早いかの違いでしかなかったのだ。

 新型コロナウィルスと呼ばれる、未知の病原菌。その全容が徐々に明るみになるにつれ、国民のある層には不安が広がりつつあった。



 呼吸器系の疾患。高熱と喉や肺の痛み、ひどい時には呼吸困難や血栓といった症状さえ表れる。

 そして何より何より恐ろしいのは、

「一人で過ごす時間、他人と接さない奴ほど感染しやすいなんて言われたって……こんなんどうしようもねえじゃねえか!!」

 そういって、男は激しく咳き込む。

 考える余地はない。生涯気にかけることもないと思っていた、保健所の番号を検索する。

 男が最後に他人と会話した日から、既に二年ほどが経過していた。




 婚活中の女は、焦燥に満ちた表情でそのニュースを見ていた、

 ワイドショーが繰り返し流しているのは、三つの「独」——即ち三独を避けるようにという、国からの通達だ。


 独居…… 一人で過ごす時間が長い・または居住空間に自分一人しかいない状況。

 独力……他人の力を借りることができない状況

 独断……一人で間違った判断


 即ち、このウィルスへの正しい対策を行うためには、手洗いうがいや消毒といった基本的な衛生面はもちろんのこと、集団・組織に属した上で友人や恋人、家族といった繋がりを常に保ち、身体的接触を欠かさず、その中で思考を共有することによってウィルスの感染を防ぐことができる。他人と触れ合わず、一人で思考する時間が長ければ長いほど、耐性は低くなっていくからだ。

 群体へと同調し、自己を殺して流されるままになることが、健康でいる最良の手段である世の中への変貌。

 その環境が、女をさらに血眼へと掻き立てる。

 次の本番は、三日後だ。


 


 その青年の心境は、針の筵だった。

 また、その対角線に座る女性にしても青息吐息といった体。二人は、いわゆる数合わせでここに存在を許されている。

 本来であれば、この場は男女同数で向かい合い、新たな恋の予感と共に談笑する空間。他の六人は至って楽しそうなのがそれを証明しており、本来は顔が紅潮することはあれど白くするようなイベントではない。

 しかし、それは主流に位置する者にとっては、の話。

 周知の通り、個々の感情が入り乱れるこのような状況においては、何かを掴み取る者というのは——残酷にも掴み取った経験の豊富な者であることが多い。そうでない者は、血眼とはいかないまでも内面の飢えをいかに表在化させないかが重要なのだ。

 幸いにもその場は、場の調和を保つ者が複数いた。それ故、奇跡的にその二人は真の意味で「邂逅」を果たすことになる。

 しかし浮かぶ表情は、「これで自分より下ができた」という暗い安堵であった。





 やがてソーシャル・コネクト(社会接続計画)が徹底される中、人々は集まり、笑い、悲しみ、恋をし、適応していく。

 笑う。

 笑う。

 そして、つながる。





 夥しい孤独の犠牲の上に。

 ある者は今日も、温かく腐った笑顔を向けられ、一人笑い返す。





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