#n:【痛いの痛いの飛んでいけ】

n「エピローグ」

 白、白、白。前後、左右、上下。どこまでも果てしなく、すべてが真っ白だ。


 杖を片手に佇む、ペストマスクの俺。その目の前には、同じくペストマスクのオレがいる。雰囲気も服装も、俺と同じ。だけど背格好が微妙に違う。頭の位置が俺より低く、代わりに少し胸がある。


 彼女がペストマスクを外し、フードを脱いだ。背中まである髪を服の内側から引き抜いて、後ろに流す。俺を見つめる瞳と、その長いまつげにはそこはかとない色香が漂っていた。


 やせぎすの美少女は、皮肉っぽく口角を吊り上げる。そして高い声で――


「よう」


 俺もペストマスクを脱いで、応じた。


「……よう」


 なるほど、これは夢だ。


 それにしても、自分じゃない自分がそこにいるというのは、たいそう奇妙なものだ。しかもそれが性別も年齢も違う相手となれば、思わずむずがゆさを感じてしまう。


 口調や性格は寸分たがわず同じなのが、気まずさに拍車をかける。いや、なんかもう気まずいを通り越して、ムカつくな。腕を伸ばして、彼女の頬をつねってみる。


いいあいあいすんあいきなりなにすんだ

「いや、なんか腹立つ顔するなと思って」

オエあオレはオアエオマエあぞだぞ。ふんっ」


 彼女の姿と共に、俺の手から柔らかな頬の感触が消える。俺のすぐ隣に瞬間移動したオレは、赤い頬をさすりながら言った。


「もっと自分を労れよ」


 ご存じの通り、それは今後の改善事項だ。


「それで、ここは俺の夢なのか?」

「いいや、オレが見ている夢だ。そこにオマエを招待した」


 明らかに、自らの意志で夢を操作している様子だ。


「お察しの通り、【超明晰夢症状ドリーム・ドリフター】だ。ばあちゃんの異能病はオレが引き受けた」

「うまくいったか……!」

「じき現実世界のばあちゃんも目覚めるよ」


 夢の中なのに安堵で腰が抜けた。また俺の日常が戻ってくる。それがうれしくて仕方ない。この気持ちは、彼女にも分かるはずだ。だけど彼女はどこか距離を感じさせる微笑みで、視線を逸らした。


「どうした?」

「いや。ちょっとな」


 彼女が指を鳴らす。すると、白い世界に扉が出現した。扉が開くと、その向こう側には森が広がっていた。そして切り株に腰かけている妙齢の女が、こちらを覗き込んで眉間にしわを寄せた。


「なんだいなんだい、せっかく夢を操る力を手に入れたって言うのに、随分しみったれた夢を見てるじゃないか」

「ばあちゃん!?」

「おねえちゃんとお呼び」


 美少女のオレが肩をすくめた。


「ばあちゃんが目を覚ますまでに、まだもう少し時間がありそうだから、ちょっとだけ夢を繋げてみた」


 ばあちゃんはその場に座ったまま、頬杖を突く。


「まったく、あたしのことは放っておけって言ったのに。結局やり遂げちまうとはね。昔のあたしだって、あんたほど頑固じゃなかったよ」


 俺とオレは、目を合わせ苦笑するしかなかった。ばあちゃんは呆れたように首を振ると、「どっこいしょ」と腰を上げる。そしてこちら側の白い世界に踏み込んできた。


「で、こっちのちっこいのもあんたかい、小童」


 乱暴に撫で繰り回されて喋れない美少女のオレに代わり、俺が答える。


「まあ、いろいろとあって」

「ふん、随分と可愛げあるじゃないか。養い甲斐がありそうだね」

「は、放せ~っ!」


 美少女のオレがばあちゃんの手をふりはらう。


「悪いが、このオレは、この夢限定だ。目が覚めたら、それまでだ」


 彼女の言うとおりだ。美少女化光線の効力が切れれば、存在の主導権は俺の元に戻ってくる。そして再び光線を浴びない限り、美少女と化したオレが表に出ることは、もう二度とない。


 彼女は異能病という厄介ごとを押し付けられたまま、裏方に回ることになる。


 それは俺が――そしてオレ自身が決めたことだ。彼女だって後悔はしていないはずだ。だけどだからと言って、気持ちよく割り切っているわけでもない。それくらいの察しは付く。なにせ俺自身のことなんだから。


「可愛い家族が欲しけりゃ、崎刃崎きばざきのことを優しく迎えてやってくれ」


 ばあちゃんは鼻を鳴らして、不敵に笑った。


「好きにしな、小童ども。今更ガキの一人や二人増えたって、問題ないさ」

「……!」


 俺とオレは頷きあう。許しは得た。後は彼女に伝えるだけだ。


 オレが俺に向けて、指を鳴らす。俺の背後にまた一つ、扉が出現した。ひとりでに開いた扉の向こうには、延々と暗いトンネルが続いていた。


 これがどこに繋がっているのか、説明はない。だけど、俺には分かる。


「さあ、行って来いよ」


 美少女のオレが言葉をかけてくる。


「みんなのこと、よろしく頼むよ」


 せめて、彼女が安心できるよう、俺は大きく頷いた。


「任せておけ」

「それから。そのみんなの中に、オマエ自身も入れておけよ。こうやって釘を刺しておかないと、また滅茶苦茶やりかねないもんな」

「大丈夫だよ。分かってるだろ?」


 彼女は「当然」と目を細めた。彼女は俺で、俺は彼女だ。ならこれ以上、言葉は必要ない。俺は杖を小さく掲げて彼女への挨拶とし、扉の向こうへと踏み出した。


   ●


 どこまで続くか分からない、夢のトンネルを歩いていく。


 最後まで歩いた時、俺は夢の世界から現実の世界に帰りつく。


 もっとも、目を覚ましたところで、俺の身体は相変わらずボロボロだ。


 この二か月、身体にため込んできた傷病は、何日か寝ていれば回復するというようなものじゃない。中には完治しないものもあるだろう。 


 だけどそれについて、あまり悲観的な気持ちはない。


 健康であることはいいことだけど、それは幸福な生活の必須事項というわけじゃない。世の中には病気や怪我を抱えたまま生きている人がごまんといる。大人になれば、不健康を抱えた人の方が多いくらいだ。


 一病息災――一つくらい病気を抱えている方が、かえって元気に長生きする、とも言う。


 結局のところ、健康に生きるってことは、「病気や怪我が一つもない肉体を持つ」と言うことじゃなくて、「明日の自分を労わる心」を持つってことなんだと、俺は思う。そういう生き方が、自分にとっても、自分の周りの人間にとっても、大事な事なんだ。


 今回の件で、俺にもようやく準備ができた。周囲の愛と向き合い、そして自分の身体と向き合う準備が。目が覚めたら、これからはちゃんと健康的に生きていこう。


 そうだな。あれだけ迷惑をかけておいて図々しいかもしれないけど、やっぱり掛かりつけ医は黒杉先生がいい。


 彼は一線を越えた危険な医者だ。だけどそれは、患者を治そうという意志の強さ故だ。主治医として、これほど頼もしい人もそういない。


 ああでも、地下室に監禁されるのは勘弁願いたい。あそこじゃ見舞い客が来てくれないから。なにせ入院ってやつは、死ぬほど退屈なのだ。誰かが会いに来てくれないと、やってられない。


 その時、どこからともなく声が聞こえてきた。誰かが呼び掛けてきている。


 ってことは、そろそろかな。トンネルの先が明るくなってきた。目覚めの時だ。


   ●


 俺が最初に見たのは、真上から落ちてくる崎刃崎シロの顔だった。


「坊やー!」

「うぐぇっひ!」


 強烈な衝撃に悲鳴をあげる。気付けの一撃としては、あまりにも激しすぎる。


「ちょっと、なんて無茶なことをするんですか、あなたは! デンジャラスポイント記録更新ですよ!」

「うぇへへ! 今の悲鳴、ツボに入りそう!」


 足衛あしえ二十並草はたなみくさもそろっているようだ。


「くそ、寝起きに騒がしすぎるぞ」と強がろうとしたものの、喉がかすれて声が出ない。寝過ぎの代償か。頭はガンガンするし、相変わらず身体もダルい。


 足衛がベッドの脇から顔をのぞかせる。


「おはようございます、先輩。三日ぶりの朝ですよ」


 目だけ動かして手元を確かめると、そこには男子高校生の不健康な腕が伸びていた。美少女化の痕跡は、跡形もない。


「で、身体の方はどう~? 今の、メチャクチャ痛そうに見えたけど」

いてぇよ」


 二十並草の問いに、かすれた声を絞り出す。俺の上のシロは、ようやく我に返った。


「そんな! 坊や、痛いの? 苦しいの?」


 おまえのせいなんだよな……。


 だけど心底心配そうなその顔を見せられると、口にはできなかった。


「安心して、これからもワタシたちが傍についてるわ。坊やの健康的な生活は、ワタシたちが守ってあげるんだから!」


 彼女は俺の頭を撫でながら、なんのてらいもない笑顔を見せた。


 そしておまじないを唱える。それは相手の苦痛を取り去る古い儀式。心に安寧をもたらす、愛の仕草だ。


「痛いの痛いの飛んでいけ、へびつかい座まで飛んでいけ~!」


 おまじないなんてものは、しょせんただの気休めに過ぎない。


 だけど不思議だ。幼いときから今日まで、ずっと感じ続けていた胸の痛みが、魔法のように和らいで消えていくような気がした。


 ああ。もう、大丈夫だ。




   完

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異能力不健康全書 空一海 @shirokuro361

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