21「縁側での一幕」

 四人での夕食は、それはそれは騒がしかった。崎刃崎きばざきは途中何度も人格を入れ替え、その度にトラブルを起こした。『三番目』は皿をひっくり返して右手を火傷し、『四番目』は肉を喉に詰まらせ死にかけた。二十並草はたなみくさは大はしゃぎで悪ノリし、それを制御しようと足衛あしえが躍起になって、また崎刃崎たちがグラスをひっくり返す。まさにてんやわんやだ。


 でも、ばあちゃんがいなくなってからずっと死んだようだったこの家が、急に生気を取り戻したみたいに思えた。それがなんだか、俺は無性に嬉しかった。


 鍋はほとんど食べられなかったけど、不思議と少し満たされた気持ちだった。


 一人でいることには慣れたつもりだったけど、俺はもしかしたら、こういう賑やかさに飢えていたのかもしれない。


 身体が弱ると心も弱る。この二か月で俺は、ここまで衰弱していたのだ。


「……」


 俺は今、縁側で一人ボーっと庭をながめている。片付けくらいは手伝おうかと思ったのだけど、二十並草が「任せて!」と張り切っていた。足衛も「先輩は場所の提供者なので、ゆっくりくつろいでてください」と言うので、その言葉に甘えた。正直ありがたい。


 ちなみに崎刃崎は今、『四番目』の姿でテレビを占拠している。俺にはあまり関心がないらしい。家にまで押し掛けてきた『二番目』とは大違いだ。『二番目』はゲーセン以降、一度も姿を見せていない。つきまとわれている時は戸惑いばかり感じていたけど、こうなってみると少し寂しく……ないこともない。いよいよ俺も焼きが回ったか?


 思わず苦笑していたら、背後から人の気配が近づいてきた。


「先輩」


 足衛の声だ。


「い、今よろしいでしょうか」


 俺は振り返って、眉をひそめた。足衛の様子が少しおかしい気がする。顔を赤らめて、何故かもじもじしている。そう言えば声も少し上ずっていた。さては……


「酔ってるのか?」

「えっ……?」


 彼女はきょとんとしながら数秒間、固まった。それがどういう間だったのかは分からないけど、彼女はへにゃりと笑った。


「え、えへへ~。お肉の調理の時、味付けにお酒を使ったので、それかもですねぇ」


 料理酒で酔ったってことか? そんなことある? 分からない。俺はまともに料理をしないからな。まあ、そういうことも、あるのかも?


「とにかく! お隣り、座らせろください!」


 俺の返事も聞かず、彼女は隣に座り込んでくる。


「おまえ……、グイグイくるな」


 口調も挙動も、ふらついてる。わざとらしいくらいに。彼女は一層頬を赤らめ、誤魔化すように声をあげた。


「よよよよよ酔ってますからネ!」

「……」


 俺の内心で、そっと疑念が頭をもたげる。それをぐっと押し殺し、俺は彼女の次の行動を待った。彼女がなにを考えているにせよ、ひとまずは出方を探ろう。


 だけど彼女は、なかなか口火を切らなかった。何度か口を開こうとするそぶりは見せたものの、言葉が音にならない。結局、赤い顔を俯けてしまう。


 そんな下向きの視界の端に入り込んでしまったのだろう。彼女は俺の左手の包帯をじっと見つめていた。とっさに左手を隠そうとして、俺は失敗したなと思った。隠そうとすれば余計に注意を引いてしまう。


「先輩、この二か月で随分傷が増えましたね」

「……そうだな」


 傷は、『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』を始めてから着実に増えている。まだまだ出来たてのものから、治りかけのものまで、いろいろある。一つが治るまでに、二つ三つとおかわりするせいで、生傷が絶えたことはない。たいてい効くかどうかも分からない軟膏を塗って、包帯でぐるぐる巻きにしている。その処置が正しいとは思えないけど、病院にかかるわけにはいかない。


「夜も眠れてないみたいですし」


 そういえば、キッチンに睡眠改善薬を出しっぱなしにしてたな。これも失敗だ。


「あたしたち、結構いろいろな患者を診てきましたけど……、おばあさまの治療法、まだ見つからないんですよね?」

「……」


 それに返す言葉を、俺は持たなかった。足衛は言葉を重ねる。


「やっぱり先輩の異能病は、最初から異能病だけは治せないものなんじゃありませんか」


――諦めろ、と。


 直接そうとは言わなかった。だけど彼女が伝えたいのは、そういうことだ。俺は逃れるように、庭の隅を凝視する。包帯塗れの手の上に、足衛の指の感触が絡みついた。


「こんな体になって! いったいいつまで続けるつもりなんですか?」

「ばあちゃんが回復するまでだ」


 今度は即答できた。


「俺は諦めない。可能性があるうちは、手という手を尽くして手段を探す」


 なにも世界を救いたいだとか、隠された秘宝を見つけたいだとか、そんな御大層なことを言ってるわけじゃない。唯一の家族を失いたくない。それだけが俺の望みなのだ。


 ばあちゃんさえ戻ってくれば、俺は元の生活に戻れる。全部が元通りになる。はずだ。


「不健康は百も承知だ。痛みも苦しみも我慢できてる。だから……」


 いきなり闇の触手が伸びてきた。俺は為す術なく、縁側に押し倒される。


「ふんっ!」

「ぎゃあ!」


 容赦控えめの痛烈な一撃だった。涙が出るくらいには痛かった。


「ほら見たことですか。全然我慢できてないじゃないですか!」

「い、今のは不意打ちだろ!」


 足衛はぎゅっと眉を吊り上げる。


「もういいです。それより先輩、左手の包帯、緩んでますよ。動かないで」


 俺の左腕を強奪した彼女は、いつの間にかほどけかけていた包帯を、まき直しはじめた。


「いいですか。先輩はもう少しご自分を大切にするべきです。今日だって、合理がどうとか言って、あたしたちの怪我を勝手に……」

「……」

「あなたがおばあさまを心配するのと同じように! あなたのことを心配してる人がいることも知っておいてください。あたしだって、どれだけあなたのことを……あ、いえ」

「……? なんだよ」

「なんでもありません! はい、終わりです!」


 いつもは一人でやるので、ついつい雑になってしまうのだけど、足衛の巻いた包帯はすごくちゃんとしていた。ゆるみも偏りも全然ない。美しさすら感じる。


「……うーん」


 俺はその左腕の様子をしげしげと眺めながら呼びかける。


「……なあ、足衛」

「な、なにか不手際でもありましたでしょうか?」

「いや、ないんだ。よく出来てる。出来すぎてる」

「……」

「おまえやっぱり、本当は酔ってなんか――」


 落ち着きつつあった彼女の顔色が、再び真っ赤になった。


「あー! そう言えば門限があったんでした! ヤバすぎポイント一千点なので、あたし家に帰りますね! 失礼します!」


 彼女は返事も待たずに逃げていった。


 入れ替わるように現れた二十並草が、障子の影から顔だけのぞかせ、ニヤニヤ笑う。


「うぇへへへ。ボクのいない間に、二人でお楽しみ~? ハルくんも隅に置けないなぁ~」

「別に。そんなんじゃない」


 巻きなおしてもらった包帯をさすりながら、俺は確認するように繰り返した。


「……そんなんじゃないんだよ」

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