#4:【不揃いな崎刃崎イオ】

19「整理、分析、推測」

「相変わらず、ハルくんの家は大きいねぇ~」


 柿の木やらなにやらが植えられた広い庭を覗き込みながら、二十並草はたなみくさが感嘆の声をあげる。まだ若干声のピッチは高いものの、コントロールはおおよそ取り戻せているようだ。


 一方、隣の足衛あしえは、心ここにあらずという感じで闇を吹き出し続けている。心配だけど、ひとまず背中を押してやれば自力で歩行できているので、そうかからずに持ち直してくれるだろう。


 俺は門扉の鍵を開けながら、二十並草に教えた。


「この屋敷は、ばあちゃんが昔、命を救った人から譲り受けたらしい」

「ハルくんのおばあさん、何者?」

「……さあなぁ」


 ばあちゃんはあんまり自分のことを話したがらない。でもたまに酒に酔って、「バイクの耐久レースで死にかけた話」だとか、「潰れかけた旅館を買い取っての繁盛させた話」だとかを、ポロっとこぼすことがある。その一つ一つがやたらとビッグスケールで、そのくせ脈絡がないものだから、始めのうちはからかわれているんだろう、と思っていた。だけどいつの間にか、そんな考えは消えてしまった。おそらくあれは全部、本当にばあちゃんが経験してきたことなんだろう。俺を引き取るまでのばあちゃんは、なんにでも挑戦して、なんでも乗り越えてしまう、そういうバイタリティお化けだったのだ。


 門扉を開けると、崎刃崎きばざきが我先にと乗り込んでいった。


「ワラワの一番乗りじゃ~! さあ、ワラワをた~んともてなすがよい」


 紅い髪をしているので、【一過性巨大化症状】を使う方の人格だ。ふと気になった俺は、玄関で靴を脱ぐのに手間取る彼女へ、質問を投げかけた。


「そう言えば、おまえはいったい何番目の崎刃崎なんだ?」


 今のところ『二番目』と『三番目』がはっきりしているので、空白の数字は……『一番目』か?


 それに対して、彼女は何故か解答に躊躇した。


「その、えっと……ごにょごにょ、番目」

「え?」


 肝心な部分が聞こえない。もう一度確認しようとしたら突然、彼女が怒り出した。


「うるさい! 『四番目』じゃ! 『四番目』! しかし! 順番が遅いからと言って、甘く見るでないぞ。崎刃崎の中で一番偉いのはワラワじゃ! 一番強いのもワラワじゃ! 番号なんぞは所詮、生まれた順番を示す記号にすぎん。早く生まれた奴が偉いなんて抜かすアホウは一生、アルディピテクスに五体投地しとりゃええんじゃ!」

「な、なに言ってるんだ、おまえ」


 彼女はまくしたてる。


「みんな、みんな、ワラワを崇め奉れ! ひれ伏し、お供えものをするのじゃ!」

「お供え?」

「具体的には、甘いものがよい」


 もしかして、おまえも食いしん坊か。


 いや、そんなことより、気になることがある。


「三人しか人格がないのに、二番、三番、四番なんて、変じゃないか? 『一番目』は?」

「人格が三つしかないなんて言っとらんぞ。起きてる人格が三つ、と言ったんじゃ」


 話を聞いていた二十並草の目が光る。


「じゃあ、いるんだ。『一番目』も?」


 靴を脱ぎ捨てた『四番目』は、今までになく真剣な表情を見せた。


「『一番目ヤツ』は普段、寝ておる。めったに表に出て来んのじゃ。歳が歳じゃからな」


 それだけ言い残して、居間へ走り去っていってしまう。俺は杖を玄関の隅に立てかけながら、その背中を見送った。


 ということは……、俺と直接の関係がある崎刃崎は、その『一番目』なのか?


   ●


 居間にいる崎刃崎や二十並草たちに「すぐ戻る」と伝え、俺は一人自室に戻った。


 部屋に踏み込んですぐ、後ろ手に鍵をかける。ゆっくりと扉に背中を預け、一息。そのまま照明もつけず、カーペットの上にへたり込んだ。


「……ッ」


 音にもならない声が漏れた。壮絶に……ダルい。具体的に言うと、身体中が重い。両手両足が石になってしまったみたいだ。体力のゲージは、完全に空っぽだった。


 仲間に弱っているところは見せられない……、その一心で、気合を振り絞って歩いてきた。正直、普通に生活するだけでもいっぱいいっぱいなのに、今日はあまりに無理をし過ぎた。根性だけで動き続けるには、体力の消費が激しすぎる。


 激しいと言えば、頭痛も酷い。脈拍に合わせて、頭の内側を金づちでガンガン叩かれているみたいだ。あまりの痛みに、うっすらと吐き気さえ感じる。


 暗闇の中、ぎゅっと瞼を閉じ、深呼吸を試みる。いくら喘いでも、空気は浅いところまでしか入ってこない。


 とにかくダルい。ダルくて、ダルくて、しょうがない。今すぐ地中深くに埋もれて、なにもかも投げ出して眠りについてしまいたい気分だ。あまりに余裕がないものだから、今日は毎日続けてきたばあちゃんへの見舞いも諦めてしまった。この二か月で初めてのことだ。


 俺の身体の限界は近い。残された時間の中で、ばあちゃんの治療法を見つけることが果たしてできるだろうか。


 仮に。もし仮に、俺が諦めたとしても、ばあちゃんのことは黒杉先生たちが看てくれている。身体を最大限ケアして、延命してくれている。いつか奇跡的に異能病が消滅し、何事もなかったかのように目を覚ます可能性はゼロじゃない。


 だったら……。


 いや、だったらじゃないだろ。俺は自らの頬を叩いた。


 たしかに可能性は零じゃない。でも百でもないんだ。奇跡が起きなかったら、俺は一生後悔する。だからできるかどうかではなく、やらねばならないのだ。俺が。それまではどんなにシンドくても、泣き言はなしだ。甘ったれるな。気合を入れろ。


 俺は歯を食いしばって、鉄より重い瞼を押し上げた。壁にもたれたままズルズルと立ち上がり、手探りで照明をつける。


 そうだ。とにかく、できることをやろう。俺はふらふらと机に向かった。『病気百科事典』と題された分厚い本を手に取り、ページをめくる。目当ての項目に辿り着くまで、さほど時間はかからなかった。


 多重人格――いわゆる解離性同一性障害。その字面に、重たい目を走らせる。


 これはれっきとした精神障害だ。精神的ダメージを回避するための防衛反応で、ストレスとなる感情や記憶を遠ざける内に、それが独立した人格としてふるまいはじめる……らしい。言葉を読み上げても、にわかには理解できないな。うーん、独立した人格、ねえ。


 俺はこれまでの崎刃崎の言動を振り返る。


 お節介な白い『二番目』の崎刃崎。


 無表情な蒼い『三番目』の崎刃崎。


 高圧的な紅い『四番目』の崎刃崎。


 たしかに全員、方向性がばらばらだ。その言動は、とても同一人物とは思えない。


 だけど、多重人格は精神の病だ。仮にように見えていても、それはそう見えているだけ。実際に、複数の人間が存在しているわけじゃないってことだ。


「だとしたらおかしいよな……」


 異能病の基本のメカニズムを思い出す。ウイルスが脳に回路を作って、その回路が異能症状を引き起こす。何度ウイルスに感染しようとも、脳味噌の数が変わらなければ、回路の数は一つだけ。回路が一つなら、異能も一つ。だから異能症状は、一人に一つだ。


 俺は、崎刃崎がそれぞれの人格に異能を割り振ることで、複数症状を実現している――と、考えた。だけど彼女「たち」が、精神上の架空存在だというのなら、何人いようと脳が変わるわけじゃない。回路の装備枠は一つだけ。崎刃崎が複数の異能を備えているのは、やっぱり筋が通らない。


 おかしいと言えば、そもそも人格ごとに髪の色が変わるのもおかしい。そんな多重人格、聞いたことないぞ。まるで人格に合わせて、身体ごと造り替えているかのようじゃないか。だから多重人格というよりは、むしろ……


「多重人間……か?」


 なるほど、この考えはいい線を行ってる気がする。


 だけど、あー。ダメだな。疲労、頭痛、吐き気、その他諸々で、これ以上は頭が回らない。というか……意識が――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る