異能力不健康全書
空一海
本編
#0:【不審な闇医者集団】
00「プロローグ」
夜の帳が落ちた路地裏に、荒い呼吸がこだまする。ハイヒールの爪先が濁った水たまりを蹴散らし、アスファルトから生えた花を激しく濡らした。
呼吸の主は、仕事帰りのOLだ。闇をかき分け、必死に走る。
持っていたコンビニの袋は、さっき落としてきてしまった。拾いに戻る余裕はない。追われているのだ。
右目の眼帯でいつもより視界が狭いのだろう。彼女は何度も転びそうになりながら、闇雲に路地を逃げ回る。
だがその逃走劇も、あまり長くは続かなかった。
「……そんな!」
行く手に現れたのは、壁。行き止まりだ。
引き返そうとしても、もう遅い。退路には三人の追手が、悠々と立ち塞がっている。
全身黒ずくめに、ペストマスク。百人が見たら百人とも「不審者」と断ずるであろう、かなりクレイジーな集団だ。
ハロウィンでもない春先に、こんな格好で夜の街を徘徊し、あまつさえ女性を追いかけまわしているなんて、まともじゃない。こんな連中は今すぐ刑務所か、
……と、まあ、平時の俺ならそう評価するところだけれど、今はそういうわけにもいかない。
何故って? その不審者三人組の真ん中に立っているのが、他でもないこの俺だからだ。
俺は
左右のメンバーは、俺の助手たち。
右手側、早口でブツブツなにかを呟き、全身から絶えず泥のような闇を垂れ流しているのが、助手A。
左手側、定まらない輪郭で、瞬きの度に現れたり消えたりを繰り返しているのが、助手Bだ。
「くっくっく、助手A、助手B。追い込みご苦労。ここからは俺の仕事だ」
俺は杖を握り直し、獲物を見据える。OLは壁に背をあて、へたり込んでいた。もはや逃げる気力もないのだろう。どのみち逃げ場はないし、助けを求めるための通行人もいない。
「さて、夜分遅くの無礼、許していただこう。だが恐れることは――」
そこまで言って、左右の助手たちを振り返る。これを恐れるなというのは無理だな。
「まあ、部下たちのことは気にしないでくれ。二人ともただの病気なんだ。分かるだろ?」
「……」
「とにかく! 貴女が抵抗せず、じっとしていてくれるのなら、我々の用件はすぐに済む」
俺が一歩踏み出すと、OLは身をすくめた。
「ひっ! こ、こっちに来ないで!」
無論、俺は足を止めない。彼女は必死にハンドバッグを差し出してきた。
「お、お金が欲しいなら、あげるから!」
「くくく、金だと? 笑わせる!」
生憎、そんなものに興味はない。俺は二人の助手を背に、腕を広げる。
「我々は闇夜に彷徨い、医の術を探る秘密研究機関――その名も『
俺は彼女を指差して言う。
「貴女には
「じ、実験?
当惑しているOLの目の前で足を止め、ペストマスク越しに彼女を観察する。
「その右目。随分と痛むだろう?」
真っ白な眼帯で覆い隠されている彼女の右目。それこそが今宵、彼女を標的にした理由だった。無意識にそこに触れようとした彼女の手を、杖の柄で制する。
「その不健康、この俺がもらい受ける!」
黒い手袋で彼女の顔面をわしづかみにする。そして……
どんよりとした旧工場街に、悲鳴が響き渡った。
●
OLが目覚めたとき、もうそこに人の姿はなかった。ハンドバッグは手元に残っている。急いで中身を確かめるが、金品も抜かれていない。まるでさっき路地であったことがすべて、夢だったかのようだ。
だけども、ただ一点だけ、さっきまでとは違うところがあった。それは彼女の右目の眼帯が、怪我もろとも無くなっていることだ。
彼女はその変化に気付かぬまま、とにかくその場を離れることにしたらしい。逃げ出すように、路地を走り去っていく。
俺たちは雑居ビルの屋上から、その背中を見送っていた。
「被検体・五十七番の健康状態に、問題はなさそうだな」
俺は彼女の眼帯を手に、背後の助手たちに声をかける。
「で……。ゲホッ。おまえたちはどうだ。体調は?」
返事がない。不審に思って振り返ると、ついさっきまでそこにいた助手が一人、消えていた。その場に残っているのは、助手Aだけだ。
「おい、助手Bはどうした?」
「……ふ、ふふ」
助手Aは相変わらず泥のような闇を垂れ流しながら、力なく頭を垂れている。
「分かりません。なにも分かりません。分かるのは、あたしが役に立たない女ってことだけ。ふふふ、あたしは腐ったジャガイモみたいな女」
「……おい、助手A?」
「ああ……ダメ! なにもかもお終いです! こんな簡単な質問にも答えられない、有能ポイント零点のあたしなんて、チームから捨てられちゃうんだ。ぐす、ぐすん」
自虐が止まらない。かと思えば突然、俺の腕にすがりついて、泣きべそをかき始める。
「お願いします。お願いします! どうかあたしがいなくなっても、先輩は長生きしてください! そしてどうか、何年かに一度は、あたしのことを思い出してください!」
「落ち着け、落ち着け。大丈夫だから。な?」
実体を持った闇は屋上いっぱいに広がって、あっという間に洪水のようになってしまう。
押し流されそうになっていると、消えていた助手Bが突然、姿を現した。ペストマスク越しに、悲鳴をあげる。
「うひゃー、ナニコレー。少し目を離した間に、大惨事じゃ~ん。オモシロ!」
妙に甲高い声でまくしたてている。俺は彼の手元の物に、目を留めた。
「おい、なんだそれ」
「コンビニのレジ袋。この弁当、あのお姉さんの晩御飯かな? うわ、揚げ物多い~」
「返してこい」
「は~い」
その瞬間、助手Bが忽然と消える。三秒ほど待つと、同じ場所に同じ格好で戻ってきた。
「ただいま~」
今のほんの数秒で、逃げるOLに追いつき、レジ袋を手渡し、またこの場所まで戻ってきたのだ。
そんな彼の声は、先ほどにも増して高く、速くなっていた。聞き取ることも難しい。もはや本人にも制御できないのだ。
助手Aからあふれる闇。助手Bの超高速移動。二人に起きている異常現象は、共通する「ある病」によって引き起こされている。
それは「異能力」を発症させる病。人類史上例を見ない、とびきりの奇病――いわゆる「異能病」だ。
「これ以上の活動は、心身に負担をかけすぎる。今晩の実験は終わりとしよう。二人とも、ゆっくり休め」
二人にそう告げて、俺はペストマスクを脱いだ。夜の冷たい外気が、火照った顔をなでていく。ふいに喉から、乾いた咳が出た。
「……ゲホ、ゲホッ」
ああ、ダルいな。
俺は二人に聞こえないようにうめいて、フェンスの向こう側へ視線をやる。そこには、タールで塗りつぶしたような夜の街が広がっていた。遠く山のシルエットを背に、まばらな高層ビルがそびえる地方都市、ここが俺たちの地元、
俺は今この街で、あらゆる不健康を蒐集している。たった一つの、ある目的のために……。
「……?」
ふと、頬をつたう生温かいものに気が付いた。手袋を外して、指先でなぞる。血だった。右目から垂れてきたのだ。あのOLが痛めていたのと同じ、右目から。
異能病に蝕まれているのは二人の助手だけではない。この俺も……
「ハルくん、どうかした?」
助手Bの聞き取りづらい問いかけに背を向け、俺は目元を拭う。
「いいや、なんでもない」
俺の身体は悲鳴をあげている。……だけど、こんなもんじゃ足りない。足りないのだ。
もっとだ。もっと傷病のデータが要る。
俺は鉄の味を静かに噛み締め、六陸の光を睨みつけた。
「もっともっと……不健康にならないと」
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