人生の転機は突然に

 春特有の柔らかな朝日と、青々とした緑の香りが鼻腔をくすぐる清々しい朝。


兎羽とわ


 セミロングの髪にメタリックなデザインをしたウサギの髪留めを付け、制服に身を包んだ一人の少女が、見送りに出てきた父親の言葉に振り返る。


「なぁに? お父さん」


「いや……立派になったと思ってな」


「ふふっ、なにそれ。まだ高校生だよ?」


「俺にとっては、もう高校生だ。それに……」


 父親は何か言いたそうに口をモゴモゴと動かすが、言葉になることは無い。


 しかし、そんな彼の態度で、兎羽は何が言いたいのか分かったのだろう。苦笑しながら口を開いた。


「分かってる。に頼んだところで解決しないかもしれないし、そもそも受け入れてもらえないかもしれない。もっと酷いと、部員すら集まらないかもしれないのは分かってるよ」


「すまん……」


「だからお父さんは悪くないって。それに、まるで失敗前提みたいに言うのはちょっとイラっとする。大好きなリンドブルムのことなんだよ? 全力を尽くすに決まってるでしょ」


「そうだな……。けれども……」


「もう! 高校入学っていう娘の門出なんだよ! そんな日にお父さんが暗くてどうするの!」


 いつまでも暗い態度のままだった父親に、遂に兎羽から激が飛んだ。


 一瞬驚いたような顔をした父親だったが、娘の言葉が正しいと気が付いたのだろう。いつの間にかその顔は、娘の成長を素直に喜ぶ優し気な父親のものになっていた。


「……兎羽の言うとおりだ。悪かったな、弱気な顔を見せて。入学おめでとう兎羽。気を付けて行ってらっしゃい」


「うん、行ってきます!」


 手を振る父親に見送られながら、兎羽は新しく入学することになった高校、県立叢雲学園へ向けて走り出すのだった。



「……それじゃあHRも終了だ。入学初日でいないとは思うが、何か質問があるやつは職員室まで来るように」


 影山かげやまと名乗った、あまりやる気の感じられないクラス担任が、HRの終了を宣言する。


 (分かっていたけど、退屈)


 入学式を終えて教室内でワイワイ騒ぐ学友達の様子を、窓側最後列という最高の立地から眺めながら、棋将夜見きしょうよみはため息を吐いた。


 時刻はもうすぐ昼下がり。新入生である夜見達は、今日は入学式とクラス内での挨拶のみで終わりだ。さっきからぼ~っと眺めている学友達は、きっと学校終わりにどこで遊ぶかの予定を立てたりしているのだろう。


 今日初めて会ったメンバーも多いはずだ。夜見もあのメンバーの輪に入ろうと思えば、特に苦も無く入れてもらえるに違いない。


 (そうは言っても、初対面の相手と向かうのなんてカラオケかショッピングか精々チェーンの飲食店。聞きたくも無い歌を聞かされるか、買いたくも無い物を永遠と眺めるか、誰かの愚痴に相槌を合わせるリズムゲームをやらされるだけ。パ~ス)


 どこかのグループに参加した時のシミュレートをした結果、本日は直帰に決定した。そして、その選択の面白みの無さに、また溜息を吐く。


 昔から何事にも興味を持てなかった。


 勉強は論外、遊びも興味が続くのは数日が限度、恋愛なんて鼻で笑ってしまうほど。根暗をこじらせたような性格であり、ともすればクラスでハブられる存在になってもおかしくない夜見だったが、以外にも中学時代はそれなりに友人がいた。


 彼女がクラスから疎外されなかった理由、それは彼女が異常なほどに他人に歩幅を合わせるのが上手いからだった。


 クラスがスポーツの話題で盛り上がっていれば、ニュース等で要点だけを収集して、別の切り口から話題を提供する。クラスでドラマが流行っていれば、これまた倍速で視聴したり出演者の情報を集めるなどして、小話などで盛り上げる。


 他人の話に便乗することで、知識の薄さや物事に関する熱量の少なさをカバーする。こうすることで、クラス内のヒエラルキーが中間程度になるようカバーしてきたのだ。


 友人と言っても親友では無い。親友では無いからこそ、高校が変わったことで自然と親交は無くなっていくだろう。


 けれど、別に夜見は気にしなかった。元々ちょっかいをかけられないために作った、玉避け程度にしか思っていなかったのだから。


 高校生活もそんな形式上の友人を作り、会話に上手く入り込み、遊びにはほどほどに参加する。そんな形で終わるだろうと、始まった当初から考えていた。


 (あっ、そういえば明日入学式だからって、昨日の試合分は手を付けて無かったっけ)


 そんな自身をして薄っぺらい人生を歩んでいる夜見だが、彼女にも趣味とは言えないまでもお気に入りの暇潰しがある。


 それこそが、スポーツ観戦である。


 男女こだわらずスポーツに人生をかけ、心身共にボロボロになろうとも頂点を目指す闘争心。そんな彼らを見ていると、自身の中にも情熱が灯ったかのような錯覚が生まれる。


 その感覚が嫌いではなかった。だから彼女はジャンルにこだわらず、あらゆるスポーツを観戦するのだ。ある意味中身が薄っぺらいからこそ、どんなスポーツでも受け入れて楽しめる下地があったのかもしれない。


 (まぁ、この時期にやってるスポーツなんて、リンドブルムとかの憑依型スポーツがメインだけど。サポーターやメカニックの顔は楽しめても、肝心のランナーが機体じゃ、楽しさも半減なんだよなぁ~)


 時代と技術が進むほど、人は伝統にとらわれる。


 やろうと思えば真夏の山でもスノーボードが楽しめる現代。それでも大昔の規定に則り、プロスポーツの開幕日はほとんどが初期から動いていない。そのため春真っ盛りの時期に開幕しているプロの試合など、それほど数が無いのだ。


 (お~、今日の試合は天神フェニックスもいるんだ。あそこは奇策をバンバン試してくれるから好きなんだよね~)


 どうせ家に帰った所で、やることは全く変わらない。それなら教室で暇を潰してから、交通網が落ち着いた午後過ぎに帰ろうと、ホログラム型情報端末で動画を見始める。


 こうして夜見の一日は、終わりを告げる筈だった。


「ねぇ。それってリンドブルムの試合だよね?」


「へっ?」


 だが、そうはならなかった。


 いつの間に近付いたのか、あまり見ないウサギの髪飾りをした少女が、ニコニコと微笑みながらこちらに話しかけてきたのだから。


 夜見の人生の中でも、一位二位を争うほどに濃密だった一日。その開幕の鐘が鳴り響いた瞬間だった。

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