星巡るリンドブルム

村本 凪

始動 叢雲学園憑機部

幼き心に宿った灯

 多くの木々に囲まれた山の麓。お世辞にも交通の便べんが良いとはとても言えないこの場所で、初老の男と老人が再会を喜んでいた。


「遠いとこからよぉ来たな。ゆっくりしてけ」


「親父、去年開通したループスフィアに乗ってくるって言ったろ? おかげで愛知から東北間も、一時間かかって無いっての」


「はぁ~、そんなにか。俺なんかは山暮らしのせいで、余計に技術の進歩を感じちまうよ」


「ったく、今や火星にだって人が住む時代だぜ? しっかりしてくれっての」


「悪い悪い。ん? そういや兎羽とわちゃんはどこだ? 今年は連れて来てくれるって話だろ?」


「あぁ、ここだよ。ほら、兎羽。爺ちゃんに挨拶は?」


 キョロキョロと辺りを見回す老人に、男は自分の足元を見るよう指差した。


 すると、そこには五歳程の幼女が、男の足で隠れるように立っていた。幼女の手には男のズボンのすそがしっかりと握られており、老人の目に気が付くと、裾を握る力は一層強くなる。


 今までの会話の内容から、男が彼女の父であり、老人が祖父に当たるのだろう。


「どうした? 怖がらせちまったか?」


「まさか。こっちは火星の放送映らねぇだろ? どうしても見たい番組があったみたいで、来る途中ですっかりねちまったんだ」


「あ~……。ウチの周りなんて、数年前にようやくアジア圏の放送が繋がったくらいだからなぁ……」


「そういうわけだから、我が家のお姫様が不機嫌なのは親父のせいじゃねぇよ。こうなったらほっとくのが一番だ」


「そうか…… それもそうだな。いつまでも立ち話もなんだし、上がってけ。兎羽ちゃんもゆっくりしてってな」


 孫娘の元気な姿が見たい老人であったが、自力で解決出来ない問題が相手では対処のしようが無い。時間が解決してくれることを願って、息子と孫を家へと招き入れるのだった。


 移動前にかけられた最後の言葉。それをもってしても、兎羽は父の裾を握るばかりであった。



 古びた野球道具に文字しかない本、土と緑の匂いで充満した部屋は、今の兎羽を満足させるものが何一つ存在しなかった。


「お父さんのバカバカ! どうして教えてくれなかったの! ……これじゃ私だけ仲間外れになっちゃう!」


 ポロポロと悔し涙を流しながら、兎羽は己の選択を後悔した。


 お休みを利用した祖父の家へのお泊り会。それ自体は別に嫌ではなかった。むしろ、人並みの好奇心を持つ兎羽にとっては、普段は見られない景色を見れると楽しみですらあったのだ。


 しかし、幼い彼女は知らなかった。土地によって、見られる番組には差異があるということを。


 祖父の家へ泊る日は、兎羽の通う幼稚園で流行している魔女っ子番組の放送日。このままだと自分は、来週の幼稚園の話題に付いていけなくなってしまう。


 それに気付いた兎羽は、今日だけは家に帰してくれと必死に訴えた。だが、いくら交通の便が発達しようと、長距離移動には相応の金がかかる。そのため兎羽の訴えは父によって無残にも取り下げられ、あまりにもしつこい懇願は父の怒りを呼んだ。


 そうしたモヤモヤを抱えたまま到着した祖父の家。そこはすでに、兎羽にとっては楽しい場所ではなく、楽しみを奪った場所に見えてしまっていた。


 悲しくて悲しくて、元気に挨拶なんて出来る筈が無かった。


「きっとお父さんは私のことが嫌いなんだ。だからイジワルしたんだ。嫌い嫌い、大っ嫌い!」


 もちろん兎羽の父が兎羽を嫌いなわけがない。その証拠に、悲しむ娘を少しでも元気付けようと、彼からタブレット端末が渡されていた。


 兎羽も少しでも悲しみを和らげようと、動画サイトのサムネイルを流し見していくが、今の彼女が欲しいのは魔女っ子番組の最新話だけなのだ。


 どうあがいても手に入らない物を求めている時点で、その悲しみが解消されることはない。


 悲しみは父への不満に変わり、不満は怒りへと変化していく。そして感情につられるように、タブレットを操作していた指も、いつの間にかスラスラから力のこもったボチボチへと変化していく。


 それが原因だったのだろう。ある配信の上を通った指が、スライドではなくタッチと認識された。


「抜いた! また抜いたぞ! 日本の龍征がまた抜いたあぁぁぁ!」


 途端に耳を貫いたのは、興奮した男性の叫び声。


 予想だにしなかった大音量に、兎羽は驚いて飛び上がり、同時に画面に目を奪われた。


「……綺麗……なにこれ」


 画面に映っていたのは、金色の軌跡を残して岩々の間を自在に飛び回る、黄金の龍の姿。


「太陽系を横断し、リンドブルム発祥の地である大気圏スペースデブリ群で行われているこの最終レース! そのレースで今、奇跡が起ころうとしています。いえ、奇跡が次々と実現していきます!」


 ふわふわと浮かぶ岩と岩の間を、黄金の龍は難なく通り抜けていく。そんな龍をメインに据えた映像の隅で、様々な色のロボット達が、映ったと思えば遥か後方に流れていく。


 熱を帯びた男性の声と、ただただ美しい飛び回る龍の映像。


 幼い兎羽にもようやくこれが何なのか理解出来てきた。これは、ロボットを使ったレースなのだ。


「今更このような説明は不要でしょう。しかし、あえて説明させていただきたい! リンドブルムとは操縦者の意識のみを機体に転送し、操る技術であります。送り込まれた先には操縦桿など存在せず、もちろん念じるだけで自由に動くといった都合の良い物でもございません」


 そこで男性は言葉を切った。言葉を発するために吸い込んだ息が、画面越しの兎羽にさえ聞こえた。


「全ての操作は機体に等間隔に埋め込まれた触覚センサーによって、実際に手足を動かすが如く、操作する必要があるのです……なのに、なのにあの機体はなんだ! 龍だ。ドラゴンだ。東洋龍の姿形そのままではないか!」


 兎羽は息を呑んだ。


 先ほど男は、操作には手足を動かすような動きが必要になると言った。


 ならば、目の前で飛び回る黄金の龍はなんだ。どうやれば人より数倍長い胴を持ち、人の半分も無い手足を自在に操って動くことが出来るのだ。


龍征たつゆきは、あの機体を操る日本代表の龍征は、今まさに機体と一体化している。まさにドラゴンそのものとなっているのです! 細長い龍の身体だからこそデブリ群を素早く抜けられる。人型には無い四本腕だからこそ、多くのデブリで勢いを付けられる」


 男性の言葉で兎羽も理解が深まっていく。


 時に大型デブリ同士の間を華麗にすり抜け、時に小型デブリ群を四つの腕を用いて勢いよく通り抜ける事が、どれだけ難しいのかが分かっていく。


「あぁっ! 見えた! 見えたぞ! 一位だ、一位を突き進むアメリカ代表の背中が見えた! ここで龍征が一位を取れば、総合順位が入れ替わる! 日本代表が一位になる! 行け! 龍征、行ってくれ!」


 快進撃を続けてきた黄金の龍だが、一番前を走る機体とは中々差が縮まらない。もちろん黄金の龍が失速したわけでは無い。それだけあの機体のスピードが早いのだ。


 レースと言うからにはゴールがある。そして先にゴールへ走り込んだのが相手であれば、どれだけ努力したとしても負けなのだ。


「がんばれ……! がんばれ……!」


 兎羽は黄金の龍の勝利を祈る。


 今まで知りもしない世界だった。知っていたとしても、きっと興味を持てないジャンルだった。だが、どうしても、今だけは黄金の龍に勝って欲しかった。彼が勝つ瞬間が見たかった。


 そして、遂にその時は訪れた。


「あっ……」


「ゴールまで残り二百メートル…… あっ、いったか!? 抜いた、抜いたぞ! 龍征が遂にアメリカを抜いた! そしてここで決着だあぁぁ! 見たか世界! 見たか宇宙! これが、日本だ! 日本代表の力だ! 第十回 太陽系横断レース! 優勝は日本代表だあぁぁぁ!」


 興奮を隠しきれない男性の声。だがそのほとんどは、すでに兎羽の耳には入っていなかった。彼女が認識していたのは、黄金の龍が勝ったことだけ。けれど今の彼女にとっては、その事実だけで十分だった。


「あれ……? 涙が……止まらない……」


 勝利を目撃した瞬間、曇りだしたタブレット画面。急いで曇りを取ろうとしたが、途中で曇りの原因が自分の涙であることに気付いた。


 さっきまで悲しみに暮れて流していた涙。けれど今の涙に悲しみは無くて、むしろ流れるほどに、温かい何かが心を満たしてくれていた。


「でも、これで終わり……」


 レースは黄金の龍の勝利で幕を閉じた。兎羽が何よりも望んでいた結果であるし、そこに不満が生まれる余地は無い。


 しかし、終わってしまったということは続きが無いということ。兎羽を一瞬でとりこにしたコンテンツが、これ以上見れないことを表している。


 もっと黄金の龍を見ていたかった。まだまだ彼の活躍を見たかった。そういった未練と去来感が兎羽に生まれた。


 もしこのまま配信が終わっていれば、彼女は魔女っ子番組のことを思い出し、またもや悲しい気持ちになっていただろう。だが、天は兎羽に味方した。


「興奮冷めやらぬ実況スペースですが、ここで視聴者の皆様に嬉しい報告です! なんと、今回の日本代表優勝を祝しまして、これまでのレースを全て! ノーカットで放送することが決定いたしました!」


「えっ?」


「視聴方法は、配信画面に現れるボタンをタッチするだけ! 続いて優勝いたしました日本代表に関するインタビューですが_」


 男性の言葉は続いていたが、兎羽は迷わずボタンを押した。


 その日、父親が夕食の時間だと呼びに来るまで、彼女はタブレット画面に夢中になっていた。

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