エピローグ 暗躍する影
「首尾はどうだ?」
月明かりに照らされた執務室。
壁に掛けられた精緻な絵画。
無造作に置かれた宝石箱。
その他、贅を尽くした内装や調度品から、部屋の主が高い地位を有するものであることを窺わせる。
男はワインを片手に寛ぎながら、信頼の置ける臣下からの報告を待った。
「全て、計画通りです」
「そうか」
「はい。影からは、ウォーツ大森林の深層にて、ゴブリンエンペラーの誘導に成功したとの報告を受けています」
会話から、彼らはウォーツ大森林で、何らかの実験を行っていたことが判る。
実験の全容までははっきりとしないが、慈善事業の類でないことは明らかだ。
「それで? レーネの町の被害状況は?」
「それが……」
「どうした?」
男の口から【レーネの町】というキーワードが出た。
時事的なことから鑑みるに、会話の内容は数日前に発生したレーネでのスタンピードについてのようだ。
だが、臣下の表情は芳しくない。
スムーズだった報告が一転、言葉を詰まらせる。
言い淀む臣下に対し、男が訝しみの視線を向ける。
やがて、男の視線に耐えかねたのか、恐る恐る臣下は口を開いた。
「レーネは民や兵に犠牲は出ましたが、
その……被害は軽微、との事です」
「……馬鹿な」
被害は軽微。
その言葉の意味を理解するのに、男は数秒の時間を要した。
続けて、臣下からレーネの町の具体的な被害状況が報告される。
住民の死者数――57名。
駐在していた兵の死者数――24名。
冒険者の死者数――31名。
その他、モンスターの襲撃により、西門が大きく損壊。
住宅二棟の倒壊と一棟の壁が破壊された。
また、町の近郊にある農園と果樹園にも被害が確認されたが、具体的な状況は調査中とのこと。
100名以上の犠牲者を出しておきながら、被害が軽微と言うのは無理があるように聞こえる。
しかし、スタンピードを受けた町の被害状況と考えれば、極めて少ない数字だ。
スタンピードは、言わば災害。
加えて、今回発生したものは、過去に例を見ないほど大規模なものだった。
万を超えるモンスターの大群。
レベル100を超えるボスモンスター。
一歩間違えればレーネが滅び、近隣の村や町にも甚大な被害が発生していたであろう事は想像に難くない。
苦虫を噛み潰したような顔をする男。
彼は怒りに任せ、ワイングラスを床に投げつけた。
臣下の口から出た【ゴブリンエンペラー】という単語。
レーネの町の被害状況を疎ましく思う男。
この事から、男が人為的に発生させることが不可能である筈の、スタンピードを引き起こした張本人であると想像がつく。
「やはり、レーネにはあの男が居たことが大きかったでしょう」
「騎士団長か……忌々しい奴だ!」
男は新しいグラスを用意すると、なみなみとワインを注ぎ、ひと息に呷った。
口の端からワインが零れるのも厭わない。
男の羽織る豪奢な服に、赤いシミが広がっていく。
事実、テオの活躍は、レーネの被害を大きく減じさせる一因となった。
彼が侵攻するモンスターを最前線で蹴散らすことで人的被害は最小限に止められた。
レイの慧眼も、住民への被害を押さえた要因のひとつだ。
彼女の計画はスタンピード発生こそ見誤ったが、避難指示や復興支援、戦闘で傷ついた者への治療は速やかに行われている。
報告を続けるほど、男の顔は険しさを帯びていく。
どうにかして男の機嫌を取り持とうと、臣下は別の情報を伝える。
「しかしながら、有力者の吸収は順調です。また、王都に張り巡らせた根も、勢力を伸ばしつつあります」
「……そうか」
僅かな怒気が見て取れるが、幾分落ち着いた男の様子に、家臣は安堵する。
席を立ち、酒の火照りを覚ますため、バルコニーへと出る男。
「私の計画を狂わせてくれた借りは、すぐにでも返してやろう」
暗雲立ち込める夜空。
そこに浮かぶ十六夜は、まるで未来を暗示するかのように赤く輝いていた。
『一章 はじまりの町』 ――完
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