忘れられない味

※飲酒の描写があります。

※この作品はフィクションです。

※お酒は二十歳からでお願いします。

※また、お肉は十分な加熱がされない場合、様々な病気を誘発します。お気を付けて、調理をされてください。


_______


 懐かしい夢を見た。


 初めてあの人に会ったあの日。


 僕はこれから先、その日を忘れることはないと断言できる。


 彼女の美しさに、僕は今も囚われたままだ。


 メニューを開いて現在時刻を表示させると、時刻は20:20を示している。


 いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。


 宿に来てから、既に二時間近く経過してしまっていた。


 急いで一階に向かうと、賑わっていた店内は空席が目立つようになっている。


「やあ、アンタかい!」

「すみません、部屋で寝てしまっていて。まだ食事は摂れますか?」

「もうそろそろ火を落とそうと思っていたところだよ。間に合って良かったね」


 ゲームだと24時間年中無休で営業していた宿。


 だけど、こっちはちゃんと人間がやっているんだから当然か。


 それにファンタジー系RPGだと時代背景が古いため、必然的に夜は短くなる。


 危なかった。


 昼食に続いて夕飯と二食抜くと、ゲームの仕様上バッドステータスを受けることになっていた。


 店内は飲食店から本格的に酒場になる時刻。


 僕はカウンター席に腰掛ける。


「それで、何にする?」

「よぉ、兄ちゃん‼ ここのメシは美味ぇぞ?」

「懐に余裕があるんなら肉がいいぜ? オーク肉のステーキ! ジェナ、あれ残ってるか?」

「まだあるよ。多めに仕入れたんだけど、今日は頼む奴が少なかったからね」


 女将さんからメニューを尋ねられる。


 すると、出来上がっている人たちが、口々に店のオススメを教えてくれた。


 たしか銀狼亭に来た時にも、女将のジェナさんがステーキをオススメしてくれたっけ?


 銀狼亭の肉料理はSTRに補正が掛かるメニューだった。


 やっぱり、その関係もあって美味しいのかな?


「では、それにします」

「ここの店主は焼き方一つ取ってもこだわってっからな!」

「じゃあ、オーク肉のステーキだね」


 ステーキだけだと胃もたれしそうなので追加でサラダも頼む。


 飲み物は水がよかったけれど、ゲームの影響を受けているのかメニューには見当たらない。


 仕方ないので、アルコール度数の低そうなワインを頼む。


 ステーキには時間がかかるそうなので、先に運ばれてきたサラダとワインに口を付ける。


 赤ワインは、大人なぶどうジュースを想像していた。


 けれど、思ったよりも酸味や苦みが強かった。


「はいよ! メインのオーク肉のステーキだ!」

「美味しそうですね」

「あたぼうよ! ウチの旦那の特製さ!」


 サラダで空腹を誤魔化していると、注文したステーキが運ばれてきた。


 大きい。


 五百グラムはありそうな肉塊が鉄板の上に鎮座している。


 滲み出る肉汁が鉄板の熱で弾け、いい匂いが周囲に漂う。


 その香りに、自然と口内に唾液が溢れてくる。


 ナイフで肉塊を一口大に切り分け、口へと運ぶ。


 オーク肉のステーキは、塩とコショウとニンニクだけのシンプルな味付け。


 余計な味付けがされていないので、肉本来の強い旨味がダイレクトに楽しめる。


 一噛みごとに溢れ出る肉汁。


 脂の甘味と旨味が口の中一杯に広がる。


 正直に言うと、オーク肉だからO157とかE型肝炎とかが怖かった。


 けれど、魔法のある世界だからか、それとも料理人の腕の成せる業なのか、分厚いステーキにも拘らず、中までしっかりと火は通っている。


 一口、二口と肉を口に運ぶ手が止まらない。



 ……あれ?


 どうしてだろう。


 何故か、涙が溢れてくる。


 胸の奥が熱い。


 この気持ちを表現する言葉が見当たらない。


「使え」

「……ありがとうございます」


 カウンターの向こうから、丸太のような腕をした店主がタオルを差し出してくれる。


 それを受け取り、涙を拭う。


「……」

「これは?」

「金は要らない」


 ぶっきらぼうに差し出されたグラスを受け取る。


 ワインのカップが量産の木製カップ。


 それに対し、こちらは質のいいガラス製だ。


 酒だろうか?


 琥珀色に輝く液体を嚥下する。


 一口で高いものだと分かる味わいだった。


 深みや甘みが、はじめに頼んだワインとは断然違う。


 もしかしてと思ってステータスを確認すると、状態異常を示す欄に『経験値取得up』のバフが表示されていた。


 銀狼亭の裏メニュー『白金の葡萄酒プラチナムワイン』。


 食事で摂取すると、次のフィールドワークで得られる経験値量が二倍になる効果のあるメニューだ。


 本来は銀狼亭で77回食事を注文することでメニューに追加されるドリンクだったはず。


 そうか。


 NPCがNPCじゃなくなったこの世界だと、ゲームの法則に縛られない展開もあり得るのか。


 グラスに残った白金の葡萄酒を口に含む。


 今度はゆっくりと味わいながら、喉の奥に流し込んだ。

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