戦闘
先手はウルフから。
ウルフは数メートルの距離を駆け抜けると、
その後、倒れた僕の首筋に自慢の牙を突立てて、息の根を止めようという寸法だろう。
迫る前足。
鋭い爪が頭上を通り過ぎるのを感じながら、転がるようにして回避する。
崩れた体勢を急いで立て直し、再びウルフに向き合う。
牙を剥いて威嚇をするウルフ。
その顔は僕を仕留め損なった苛立ちからか、激しい怒気が感じられる。
逃がしてくれそうな雰囲気じゃない。
どうしよう?
このまま素手で戦うのも面白そうだけど、折角の異世界だ。
初めての戦いは剣を使ってみたい。
「(
脳内でコマンドワードを思い浮かべる。
すると、目の前にホログラムに似た半透明のステータス画面が出現する。
この辺りの仕様はレジサイド・オブ・サーガと同じだ。
何ができるのかは後で調べるとして、今は戦いに集中しよう。
シンプルに一新されたステータス画面を横目に、インベントリから初期装備のブロンズソードを取り出す。
薄水色のエフェクトを伴って、空中に簡素な鞘に包まれたブロンズソードが現われる。
突然の現象にウルフが警戒の色を濃くした。
やっぱり違う。
ゲームのモンスターはプログラムに沿って動くだけの存在だった。
攻撃目標はプレイヤー本人ではなく、プレイヤーの存在する座標。
息遣いはどこか義務的で、ディティールは拡大するほどに粗くなる。
怯みなどは痛覚由来のものではなく、累算ダメージの判定によるモーションのひとつ。
でも、目の前のコレは違う。
荒々しい吐息。
風になびく毛先。
ダメージを与えれば、その都度、痛みによる反応を見せてくれるだろう。
コレはしっかりと“命”が内蔵された本物のウルフだ。
そしてここは、どうしようもなく現実の世界。
負けたらリスポーン地点で復活する保証は無い。
一戦一戦が、命を懸けた真剣勝負の世界だ。
身体が熱くなって行くのに反し、頭の奥がスッと冴えていくのを感じる。
重力に引かれて落ちようとするブロンズソードの柄を握り、鞘から剣身を引き抜く。
赤茶色の無骨な剣身が、太陽の光を受けて輝く。
その狂気的な光が、得も言われない感情を僕に抱かせる。
手のひらに感じる確かな重み。
次世代の技術と持てはやされたレジサイド・オブ・サーガでさえも、ここまでの感触は再現されていなかった。
何だか新鮮に思う。
この戦闘は、いわば新しい肉体の運用試験。
それと同時に、今後モンスターと戦うことができるのかを確認するためのものでもある。
第一目標は、身体の動きについての確認。
次に、モンスターの行動パターンの変化や挙動についての調査。
準備は整った。
両手に持ったブロンズソードをウルフに向けて構える。
左脚を軽く引き、両の爪先に力を入れ、いつでも動けるように準備する。
長い睨み合いに痺れを切らしたのか、ウルフが駆け出す。
フェイントも何もないただの突進。
狙っているのは僕の右太腿のようだ。
半身になって攻撃を避ければ、ウルフの顎が噛み合わさる音が虚しく響いた。
追撃を仕掛けて来そうな様子だったので、牽制の意味を込めてブロンズソードを振るう。
すると、野生動物の反射神経の成せる業か、ウルフは軽く斬撃を躱した。
再び距離を取る僕とウルフ。
現在の僕のステータスは、おそらく初期値のままだろう。
ゲーム通りなら二、三回、ウルフから攻撃をもらってしまえば終了。
それどころか、倒れた拍子に頭でも打とうものなら、HP云々に関係なくゲームオーバーかもしれない。
睨み合いの最中、ウルフは僕の隙を探るかのようにその場をうろつく。
落ち着きが無い。
狼とは本来、群れで生活する生き物のはずだ。
その生態をここでも当て嵌めるとするならば、一匹狼は独り立ちしたばかりの若い個体。
もしくは、年老いて群れからあぶれた個体。
ただ、種類や環境によっては、一頭で狩りをするのも珍しくはないのかもしれない。
……この個体は若い個体だろうか?
直感的にそう思った。
立ち振る舞いや顔つきに、どことなく幼さが感じられる。
若い個体は、総じて狩りの技術が未熟。
経験不足から来る焦りや不安は、稚拙な行動を取らせる。
次はどんな攻撃を仕掛けてくるんだろう?
……ああ。
この感覚だ。
思わず笑みが零れてしまう。
相手の出方を窺い、その一挙手一投足にまで気を配る。
命を懸けた勝負の感想としては少し不謹慎なのかもしれないけれど、楽しくて楽しくて堪らない。
大丈夫。
思ったよりも身体は動くし、ウルフの動きにもついていけている。
今度は僕から攻撃を仕掛けよう。
タイミングを窺っていたウルフは、唐突に駆け出した僕に意表を突かれた。
ただ、これくらいで怯む相手でもない。
低く屈めた体勢からは、僕の攻撃を回避した後、カウンターを仕掛けようという狡猾さが表れているようだった。
中段に構えたブロンズソードから放つ袈裟切り。
斬撃は――空を切った。
後ろへと飛び退ったウルフが四肢に力を入れた。
――血飛沫
宙を舞う、ウルフの左前脚。
タイミングはしっかりと身体が覚えていた。
ウルフには、こちらの攻撃をバックステップで回避して、カウンターで噛み付き攻撃を仕掛けてくるという行動パターンがある。
それを利用すれば、痛烈なカウンター返しを決めることができる。
そのパターンを確実に引ける保証は無い。
けれど、僕にはこのウルフが、カウンターを仕掛けてくるという確信があった。
短気で経験の浅いコイツは、隙を見せれば引っかかってくれる。
初撃を外してカウンターを誘発させ、接近してきたところに切り上げを放つ。
ブロンズソードはウルフの左前足を切断するとともに、顔面に一条の傷をつくった。
情けない悲鳴を上げ、地面をのた打ち回るウルフ。
左目が潰れたようで、そちら側の瞼は閉じたままだ。
今回の戦いで、この世界でも十分にやっていけるという自信が持てた。
さあ、止めを刺そう。
一瞬だけ、このウルフを痛め付けることで、流血とHPとの間に関連性はあるのか試したい衝動に駆られた。
他にも調べたいことは山積みだ。
クリティカルの発生条件は?
スタン値の蓄積の仕組みは変化がないのか?
だけど、それらの検証はまたの機会にする。
僕に拷問の趣味はないし、何より後味が悪い。
ウルフに近づく。
だけど、右目に宿る闘志は消えていなかった。
みっともなく喚き散らしていても、それさえも僕の油断を誘う一手であり、僕が攻撃範囲に入った途端、襲い掛かってくる。
「その動きは知ってる」
「――‼」
怒りにまかせて噛み付こうとするウルフを軽く避ける。
左目側、ウルフから死角になるように位置取りをしたので、次の僕の攻撃は避けられないだろう。
ゲームでも、HPが減少したモンスターが、怯んだ振りをして反撃してくることはあった。
それに、このウルフは敵意を隠すのが下手だ。
不意打ちを仕掛けるなら、攻撃のタイミングを計るような素振りを見せるべきではなかった。
痛みに喘いでいても、時折、窺うような素振りがあったことを、僕は見逃していない。
戦闘開始時と比べ、精彩の欠いた攻撃。
威圧感も闘争心も、今となっては見る影もない。
加えて、片目だけでは距離感が上手く掴めないらしく、その攻撃はほんの少しリーチが足りていなかった。
僕はブロンズソードを構える。
最期の瞬間、彼は何を感じたのだろうか?
何を思ったのだろうか?
光を失った左の眼球。
死角に立つ僕に恐怖を感じたのだろうか?
どこに襲いかかるか分からない、剣の痛みに絶望したのだろうか?
――命を失うその瞬間まで、生きたいと願ったのだろうか?
差し出されたウルフの首元。
無防備なそこに、ブロンズソードを振り下ろした。
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