第9話

「それはすべて、レオニードの政策ですわ。わたくしではありません」

「いや、君だよ。だってすべて、君が不安だと零したことを解決したくてやったことなのだから。なにより、君が誇るべきはその人脈じゃないか? あらゆる分野に、これほど優れた人材が揃っている。こんな奇跡のような時代は、君が作った」


 確かに、孤児院からスカウトしたり、属州からもスカウトしたり、あまり身分にこだわらず、やりたいこと優れていることをさせてやろうとしました。今世の人生における出会いを、少しでも大事にしたくて。


「けれど、わたくしは本当に最初の支援だけで。みな、いつの間にか自力でやっていくようになって。レオニードにそう言われると、それだけの人材が偶然揃ったのは、奇跡のようなことだと確かに思いますわね」


 ははは、とレオニードが笑いながら、寝台にわたくしごと座りました。


「カチェは夢中になると僕を放っておくからな。ある程度のところで、僕が彼らのその後の道を代わりに支援したが、どの子も驚くほど優秀だ。筆頭は、医務局長かな。いやここは、ビクトルと言っておかないと、あいつが拗ねるか」


 そうだったのですね。存じませんでした。でもそうすると、人材育成もレオニードの成果です。

 それより、やはりレオニードが大きくなっているようです。わたくしがこんなにすっぽりと囲われてしまうなんて。


「少し、痩せたな。苦労をかけた」


 大きな手が、わたくしの細い肩を撫でさすります。

 そういえば、少しあちこち細ってしまったかもしれませんわね。思い返しても、まともに食事をした記憶がありません。

 でも、きっとわたくしは、また元に戻りますわ。幸せ太りというでしょう? 夫と子供と一緒に食事を取れるなら、きっとなんでも美味しくいただけます。もう、彼らの安否を案じて喉が塞がることもないのですから。


「キルケのことも聞いた。あいつ、カチェに自分を側におけと言ったのだって? 百回殺したい。それに、愛人を仕立て上げたと聞いた。まさか、少し、気持ちが揺らいだり」

「しません」

 どちらのことかわかりませんが、素早く否定しておきます。


「わたくし、レオニードが今更他の女性に目移りするなんて、想像できませんのよ。レオニードが、これまでの結婚生活で、わたくしに刻んでくれたことです。結婚以来一度も、その点について不安になったことはありません」

「ああ、カチェ。その通りだ。信じてくれて、嬉しい」


 レオニードの黒瑪瑙の目が、うっすらと涙の膜に覆われて、わたくしは胸を衝かれました。

 もしかすると今まで、わたくしが不安がることで、このひとも不安になっていたのかもしれません。

 そう思って申し訳なく、でも、その深い心の繋がりに、えも言われぬ安らぎを味わいました。


 もし今後、力及ばず敵の手が間近に迫る時が来るとしても。わたくしは逃げることを最善と考えないかもしれません。ええ、あれほど、人生の落とし穴に恐れをなしていたというのに、です。

 なぜなら、死それ自体は、私の不安ではないと気づきましたから。

 死に価値を見出すわけではありません。

 死までの生に価値を置こうと思います。

 その時間が長くとも短くとも、生きている間は、レオニードの隣に立って、胸を張りたい。

 レオニードの隣で、揃いの帝衣を纏い、誇りを持って死すならば、数年の命を繋ぐより良いと、そう考えることもあるでしょう。もしかしてのお話です。


「今はほかに、何か不安なことはあるか?」


 あやすようにわたくしを抱き込んでゆらゆらと揺らしながら、レオニードはやさしく問いかけてくれます。結婚してから、幾度繰り返したかわからない、二人きりの不安相談ですのよ。ああ、五ヶ月ぶりになりますのね。


 やさしいやさしい声。わたくしの全てを慰めてくれる温もり。

 わたくしにとって、これほど安心できる場所など、ありません。

 いつもであれば、ありませんわ、と即座に答えたでしょう。

 それでも、わたくしは敢えて真剣に考えました。もう二度と、怠惰のせいで後悔したくはありませんから。でも今夜ばかりは、何も思いつきませんわね。

 仕方がありませんので、ひとつ、もう結婚以来ずっと気になっていたことを。


「娘も、結婚式にわたくしの着た拷問のようなドレスを着るのかと、不安ですわ」


 レオニードは笑ってくれると思ったのですが、意外と苦い顔をしております。おや、と思ったのですけれど。


「さっき覗いたら、眠っていて抱き上げることもできなかった。まだ結婚など考えたくもない」


 娘は2歳になって、夜はよく眠るようになったとはいえ、抱いては起こしてしまいますものね。

 本当に嫌そうに言うので、わたくしはおかしくて、幸せで、笑ってしまいました。

 わたくしより先に会いに行く女性がいるなんて。と、そんな不幸を想像したこともありましたけれど。こんなに愛すべきライバルでしたら、しかたないですわ。

 あら、でもいずれは、お父様と結婚する、とか言い出すのかしら。それは、強敵では?


 不安なことが、こんな幸せなものばかりなら良いのに。

 やっぱり人生、何事もないのが一番ですもの。

 この人生の行く先が幸せかは定かではありません。

 けれどみなさま、幸せはすでにわたくしの足元に咲いているようです。

 みなさまの足元にも、そして願わくばその進む道の先にも、幸あらんことを!



 いつかどこかの来世で、またお会いいたしましょうね。

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波瀾万丈人生に慣れた姫君は順調な今世を信じきれない ちぐ・日室千種 @ChiguHimu

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