第8話

「みな、支えてくれて、感謝します。陛下の無事のお帰りまで、引き続きよろしく頼みます」


 わたくしはそう言って、ゆったりと玉座に腰掛け直します。


 やるべきことがたくさんあっても、わたくしよりも優れた適任の者たちがこうして大勢いて、真剣に取り組んでくれているのです。わたくしにできることは、ここにこうやって、鷹揚に座っているだけ。それだけのようです。

 よいことですわ。よいことです。


 わたくしって、ちっぽけなんですわ。

 今回しみじみと、そう感じました。

 前世があろうと、なかろうと、できることはとても少ない。特にわたくし、特に趣味以外の特技はありませんもの。結婚前のように、ひとりで怖がって何とかしようと足掻くのを続けていても、きっと今回の事態には対抗できませんでしたわ。

 わたくしの人生、波瀾万丈も順風満帆も、わたくしがどうこうしようとして成るものではないのですわ。





 やがて静かに耐える日々は終わりを告げ。

 夫と息子は、無事に帰ってきてくれました。

 レオニードは怪我もなく。ただ過酷な行軍だった証拠に、日に焼けて、年齢とともにわずかに弛んでいたお腹と背中がスッキリして、筋肉がついて少し体が大きくなったでしょうか。何故か、以前よりも元気そうです。

 ビクトルは、驚くほど背が伸び、体に厚みが出て、表情には確かな自信と余裕が見えるようになっていました。


「お帰りなさいませ。ご無事のお戻り、なによりです」


 ビクトルは、わたくしをわずかに見下ろして、この時ばかりは小さな子供のように、にかっと満開に笑ってくれました。けれどすぐさま慌ただしくどこかへ行ってしまいましたわ。成長するということは、寂しいものですわね……。


「ただいま、カチェ。抱きしめていいかい?」


 尋ねてくださるのはいいのですが、大抵すでに抱きしめられているので、意味がありません。レオニードは変わらなくて、わたくしはそれが嬉しくてたまりませんでした。


 わたくしを抱きしめたまま離さないレオニードから、小姓たちが手際よく甲冑を外していきます。その様子が、本当に戦争が終わったのだと実感させるもので、わたくしの目から涙がこぼれ落ちました。夫と息子を見送らなければならないと決まってから、初めての涙でした。

 レオニードの初陣を見送った時とは違って、よく我慢しましたわ。

 わたくし、がんばりましたわよね。何も、役には立たなかったけれど。


「ああ、カチェ。最愛の伴侶。尊敬すべき賢い人。ありがとう。すべて、君のおかげだ」


 レオニードが何か言っています。


「ヌルグの者たちは——ああ蛮族と呼んでいた彼らだけどね——ヌルグの土地で恐ろしい病が流行って、救いを求めてこの国に集団で移動してきたらしい。けれど国に入ってみれば、すでに病の広がる町が点在していた。食べるものも飲むものも尽き、つい、奥深くまで入って食べ物を奪ってしまったそうだ。それから、攻撃されれば反撃するの繰り返しで、彼らも途方に暮れていたようだった」


 報告は受けていることですが、レオニードの口から聞けることが嬉しくて、じっと耳を傾けます。

 レオニードは一度わたくしから体を離して、胸甲を外し、鎖帷子を脱ぎました。

 季節はすでに秋ですが、面積の多い鎧を身につけていては暑かったのでしょう。かいた汗が急に冷えたのかぶるっと震えた体を、小姓たちが素早く布で拭いて、チュニックを着せようとしてくれましたが、レオニードはそれを止めて、彼らを下がらせました。

 それから、レオニードはまたわたくしを腕の中に閉じ込めました。

 ぴったりと頬が胸にくっついて、レオニードの匂いがわたくしを包みます。


「医務局長が派遣した調査員が、現地の警備兵たちと協力して、そういった事情を調べ、前線の僕のところまで知らせてくれたんだ。現地採用の警備兵たちの中には、ヌルグの言葉を解するものもいてね。なんとかかんとか、互いに意思疎通を図り、彼らの病に効くと言って解毒剤を与え、安心させて、地元に帰らせることに成功したんだ。

 交渉の勝利、無血の勝利、なんでもよい。すべて、カチェを讃える言葉だ」


 わたくしは、戸惑ってしまいました。

 戦争の被害が少ないうちに、穏便に終結したと聞いていましたが、いつかの玉座の間でのことのように、全ては国の備えです。わたくしは、本当に、自分の手を動かすことをやめてしまっていて、なんにも備えられてはいなかったのです。

 国の体制を、人材を、あそこまで構築し育てたのはレオニードです。だから、愚かな自分に絶望して、ただ彼の代わりに玉座を温めていただけのわたくしを守ってくれたのも、レオニードですのに。

 おかしな方です。


「調査員が来るまで我々が持ち堪えられたのも、カチェのおかげだ。内政の経済的負担の軽減を第一の理由にしていたけれど、属州を独立させるだけでなく、かつてのように国として成り立つように支援をしただろう。その国々から恩を返そうと手、どんどんと援軍が来た。我らの軍は、かつて父王が無理に徴兵していたころの二倍まで膨れ上がったほどだ。

 あと、辺境で地の利を生かした国境防衛のために、城壁建造を進めていたこと、あれも効果が大きかった。カチェ、カチェ、君は素晴らしい」


 待って待って。


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