第7話
「財務大臣」
「はい」
わたくしは、わたくしの仕事上の相棒とも言える男性を呼び寄せました。
「この一年、いえ、半年の間の、陛下の帳簿を」
「はい」
間をおかずに手渡されたということは、この騒ぎの間に彼は予見して用意していたのでしょう。さすがです。優秀な臣下に恵まれていることを実感します。
手渡された数枚の紙をパラパラとめくって、わたくしは、はあとため息をつきました。
「どこにも、あなたに貢いだ形跡は認められませんわね」
「そ、そんなパラパラめくって何がわかるのよ」
「あら、帳簿というものは、出納帳だけではありませんのよ。今は、ざっと貸借対照表と損益計算書を見たのです。見慣れてくると、おかしな数字はなんとなくわかるようになりますの。でも、おかしな点はなし。おかしな誤魔化しもなし。
よって、わたくしの把握しない陛下の支出はないのですわ」
キルケ議員が、復活してきたのか、鼻で笑います。
「皇妃陛下もお人が悪い。そのように見たフリで騙そうとは」
「騙すつもりはありませんけれど」
見たフリなのは確かなので、そこは否定いたしませんが。
この度の侵攻の知らせが来る前、つい先月がバビルン王家の決算月で、それはもう、死ぬほど確認した代物ですので、今更確認する必要もありませんもの。こういうものが存在するぞ、と誇示したまでです。
「お金だけでなく資産も、皇宮の廊下の高価な装飾品はもちろん、鏡ひとつ水差しひとつの漏れもないように、物品管理もされていますもの。先の王宮ではたびたび物が紛失しておりましたけれど、皇宮に移動してからは、都度、紛失の原因割り出しができております。残念ながら何名か窃盗罪で裁かれておりますわ。
陛下であっても、陛下の身の回りのお品を勝手に持ち出して換金などできませんわよ。
それに、陛下のお買い物は、事前の申請、事後の請求、どちらもわたくし宛に上がって来ますもの。内容をあらためて承認するのですかが、当然すべて把握しております。陛下は現金はお持ちではないし。ですのでそう度々、贈り物をご用意できるはずがございませんわ」
あら、なぜキルケ議員はそんなに同情したような顔をするのかしら。
「なんと、陛下には陛下の予算がおありでしょうに……」
「陛下におまかせしていたら、予算の全てでわたくしに宝飾品を買ってくださるので、管理権を取り上げました。陛下の公的な生活に必要なものは、全て別予算でご用意いたしておりますから、あまり使い所もなかったとかで。余らせてはいけないというプレッシャーから解放されたと、お喜びでしたわよ」
わたくしの唯一の趣味が、こうした財務会計、管理会計なのです。すでに今世にも複式簿記はあったものの国の財政には活用されていなかったので、これだけは、皇太子妃となってから嬉々として導入いたしました。
財務大臣は、初めは私が鍛えていたのですけれど、いつの間にかわたくしよりもスマートに書類を作り処理をし、バビルン王家だけでなく帝国の各直轄地の連結会計も易々ととこなします。悔しくはないです。ただの趣味ですから。ええ。
ともかく、女性は黙りました。王様、財布握られてんのかよ。という言葉に何故か哀れみが込められていたようですが、本当に、レオニードは喜んでいたのですけれどね。
「時にキルケ議員。なぜ、執政宮への伝令より先に、すべての事件について、あなたはご存知だったのかしら。しかも、不思議なことに、国の対応についてはまるで知らずにここへいらしたようね。……まるで、あらかじめそんな事件が起こるということだけ、知っていた、みたいに」
言い逃れる方法を探すように唸っていたキルケでしたが、やがて、伏せた顔から上目遣いに私を見てきました。
「私めも、いろいろとツテがございますのでね。賢明な皇妃陛下ならお分かりでしょう。情報が集まるのは、私めに人望があり、頼りにされることが多く、期待もかけられている証左でございます。ただ、無念なのは、もたらされた情報の精査が足りませんでした。これは全く、私の不手際でございます。反省をいたしまして、しばらく謹慎をいたします。ええ、私めのご処分については、どうぞ陛下がお戻りののちに、ご相談ください……」
「毒杯を与えましょう」
きょとん、とキルケは目を丸くしてわたくしを見ました。
聞こえなかったのでしょうか? 仕方ありませんわね。
「毒杯をお前に与えましょう」
わたくしはもう一度、はっきりと言いましたわ。
キルケは、わたくしを本気で、慎重が過ぎて優柔不断だと思っていたのでしょう。ですが、あれほどはっきりと簒奪の意図を見せておいて、このままわたくしが見過ごすと思ったのでしょうか。今後の不安の芽となる者を。
「さ、裁判を! 裁判をしてください」
キルケは騒ぎ立てました。
裁判ですか。一応、申し立てはできることになって……いますわね。扉付近に立っていた法務長官がうなずいています。まあ、わたくしが今、皇帝の留守に全権を委任された皇妃として死罪を決めれば、そのまま認められるでしょうが。
わたくしは、その特権を使わないことにしました。
実は、レオニードは密かに法典の編纂を進めていたのです。元老院の力も、この際削ぎ落とすおつもりです。
法典が実施されれば、すべての帝国民が法に従うことになります。それを睨んで今肝要なのは、皇妃自ら遵法の姿勢を示しておくことでしょう。
わたくしは、キルケの申し立てを受け、裁判を行うことに同意いたしました。
ただ、キルケはおそらく後悔すると思いますわ。
確かに裁判のためには皇帝の帰還を待つ必要があります。皇帝の身に何かあれば皇妃であるわたくしか、無事であれば皇太子であるビクトルが代行しますけれど、それもまた、正式な帝位継承のための膨大な諸手続きの後となるでしょう。その間、キルケは生き延びます。それが今のキルケの望むところなのでしょう。
けれど、もし、レオニードが帰ってきて、キルケのしでかしたことを知ったなら。
おそらく、毒杯の方がやさしいと思うのですけれど。まあ、瑣末なことです。
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