第5話

 もしかすると敢えてわたくしを怒らせたいのかもしれませんが、皇妃の反応を簡単に引き出せると思ってるあたり、完全にわたくしを舐めています。


「皇妃陛下は慎重なお方ですからな。慎重すぎて判断ができないと、誰もが嘆いておりますが、女性の身だ。当然のこと。私めはわかっております。ご不安でしょうとも」

「まあ」


「……なにしろ、今回は蛮族の侵攻だけではないのですから。皇妃殿下のご生家が所領アンブロシーで、川の堤防が決壊、今年の穀物の収穫が絶望的との知らせがございます」

「まあ」


「……それに、蛮族に荒らされた土地から、流行病の兆しがあるようです。すでに複数の町が汚染されているとか」

「まあ」


「……蛮族が今にも襲ってくるという流言が飛び交い、帝都周辺でもすでに大変な混乱で。それに乗じて、古き土着の宗教の信徒が帝都に火を放つという噂もあり、人々は疑心暗鬼に陥っております。もしかして、すでに今、この帝都にも火が放たれているやもしれません」

「はあ」


 あ、間違えましたわ。


「く……。こんな大変な時に皇妃陛下のお心を煩わせるのもと思いましたが、お耳に入れたいことがございます」

「ほう」


 もう、ふた文字ならなんでもいいですわ。

 キルケ議員は、なにやら忌々しそうに一人の女性を呼び寄せました。波打つ豊かな金の髪、赤い唇、ばっちりした目、豊満な体。うむむ、弾ける若さ。


「こちら、実は皇帝陛下の寵愛を受けた、エルニーニョという娘。陛下は彼女をお気に召され、山ほどの宝石をお贈りになり、それはもう、入り浸っての愛欲の日々……」

「へえ」

「さぞおつらいとお察しします。が、この非常時、悲しみに暮れるお時間を好きなだけとっていただくわけにはいかないのです。実は私めは、昔から皇妃陛下のことをお慕い申し上げておりました。私めをそばに置いてくだされば、それこそ、身を粉にして、この国難に立ち向かい、蛮族を押し戻し、あなた様をお救い申し上げてみせましょう」

「……」


 返事をするにも、口が動きません。

 呆れてしまいます。

 わたくしは、嘆息して、すっと右手の人差し指を横に動かしました。


 それだけで、キルケ議員と女性は、飛び出してきた衛兵たちに取り押さえられ、床に押さえつけられます。


「な、なに、なにをするか」

「きゃあ、私を傷つけたら、陛下がお怒りになられますわよ」


 愚かしいにも程がありません? キルケが今しがた口にしたのは、皇帝陛下に成り代わろうという、簒奪の意志ですわよ。


 けれども確かに、彼らに対して懇切丁寧に説明をしてやる余裕もなさそうです。

 キルケの話の全てが嘘だったわけではないようで、慌ただしい気配が玉座の間に近づいてきます。執政宮には、次から次へと、恐ろしい報告をもたらす使者が集まってきていたのです。





 わたくしは、前世の教訓を準備できるはずの時間を、活かすことができませんでした。

 もはやこの身にできることは、彼らの報告を居住まいを正して聞くことだけです。


「皇妃殿下! アンブロシーで、大河の堤防が決壊、今年の穀物の収穫が絶望的との知らせがございました!」


「その件! アンブロシーより続報あり、年二回の想定行動訓練のおかげで、農民領民は全員、速やかに高台に逃れ、無事とのことです! なお、今年の収穫は半分終わっており、収穫物は高台にありて、同じく被害を免れたとのこと! 残り半分の小麦は、品種改良を重ねて水害に強くなっているため、収穫量は1、2割の目減りにとどまるのではないかとの推定が専門家によって計算されております! 今年は豊作が見込まれていたため、国内の需要には十分対応できる量が残る見込み!」


「同じくその件! 堤防の決壊部分が不審な壊れ方をしていたこと、またこの数日、領内に見慣れない男たちが出没していたことが、民間の警備団員たちから報告があがっております!」


 駆け込んできた者たちは、わたくしの生家で顔馴染みの者たちでした。どの顔も泥に汚れ、そこに涙が流れて大変な有様でしたが、表情は輝くばかりです。それほどに、奇跡的な被害の少なさでした。

 ひとりが、一歩前に出て、玉座の下の階に額づきました。


「すべて、皇妃陛下がお輿入れの前に、アンブロシーに根付かせた制度のおかげです。河川氾濫を想定した行動訓練も、品種改良も。また堤防の補強のおかげで浸水の速度も遅く……」

「それに、地元で兵を徴募して、警備団として兼業させることで、治安も大変良くなっております。早晩、堤防決壊の原因などはわかることでしょう。それなのに、兵たちへの支払いは抑えられるのです。その先を見るお力、まさに女神……!」


 いえ、それほどのことではございませんが。結婚前の、どんでん返しを恐れてばかりだったわたくしを、少しは誉めてもいいかしら。ひとまずは、よかったですわね。


 けれど、一息つく間もありませんでした。泣き伏す彼らを押し退けるようにして、緊迫した様子の官吏が前に出ました。


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